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楽しさは、楽チンの反対側にある。
昨年初めあたりから真剣に筋トレをしてます。
筋肉は裏切ることなく、鍛えた分だけ付いてきてくれる。これはほんとに素晴らしい。
もちろん食事管理に始まり、十分な睡眠と休養(筋トレ頻度)、正しいフォームやメニューの検討等々、筋肉をしっかり成長させる前提は色々とあります。
それら全ての努力が、「筋肉の成長」というわかりやすい形で目に見えるのは単純に嬉しいし楽しい。
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筋トレは人生の醍醐味を教えてくれる。
って、やや大袈裟な表現ですが、最近ほんとにそう思ってるんです。
それは、辛さや苦しみ、痛みのないところに達成感や充実感、喜びは存在しないということ。
刺激のない、安定だけの世界にはそれ相応の退屈と退化しかないということ。
だって筋トレなんて辛いことばかり。トレーニングしてる時間の9割以上は辛い。トレーニング中は、楽しいなんて感覚はほぼありません。楽しい時間があるとすれば、筋トレ直後のパンプアップ(筋トレの刺激で一時的に筋肉が盛り上がること)の時間くらい。
でも、そんなツラいことを黙々と続けてるんですよね。
ツラい苦しい痛いの先に達成感が待ってるから、充実感というものがタダで与えられるものではないから、だから続けられるんだと思う。
これまでの人生振り返ってもほんとにそういうものだなって思います。
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数年前、腰の激痛に耐えながらも3泊4日のテント泊登山を全うした時、山頂に登りきった時、思わず雄叫びを上げてガッツポーズをしたことがあります。その時は身体の一番奥の方から爆発的な喜びが込み上げてきて、思わず叫んでしまった。
仕事が全く上手くいかず、結果が出ずにヨーロッパのお客さんのそばに半年ほど張り付いていた時。精神的にやられそうになりながら最後の最後で結果が出た時には、ぼくの中の全て、文字通り全身が喜んでるのを感じました。
いつもそうなんですよね。
苦しみのないところに、痛みのないところに、憂鬱のないところに、ほんとの喜びなんて無いんだと思います。
一度きりの人生、思いっきり楽しめばいいと思うし、楽しいことを追い求めればいいんだと思う。
でも、ほんとの楽しさや熱狂と呼べるような感覚は、楽チンの先には無い。
楽チンの先には退屈しかない。
もっと言えば「自分の可能性を粗雑に扱った」という後ろめたさしかないと思ってます。
楽しさは、楽チンの先には存在しない。
達成感や充実感、雄叫びをあげたくなる喜び・熱狂という人生の楽しみは、いつもツラさ苦しさ痛みと憂鬱の先にある。
それは、ツライことから目を背けず自分の可能性を信じたから。
そうして自分自身を大切にしたから。
楽しさ、熱狂の源泉はいつもそこにある気がしてます。