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26歳で得たもの


26歳は、霧が晴れた一年だったように思う。

社会人二年目以降、
転職し、人間関係が変わり、働き方が変わった。
生きていく中で、見た目は変わっていないかもしれないけれど、心の中が変わったなと感じている。
簡単にいうと、ポジティブになった。


「どんなに人を羨んでもその人にはなれないのだから、私は私」
「自分で立てた仮説を基に生きていく」

というのが25歳の学びであり、指針。
これをもう少し行動に落とし込めたのが、26歳。



「全ては実験。私は私の人生を実験していく。」

ああやってみようかな?こうやってみようかな?
だめだったー!次の手を考えよう!
そんな風にまずは自分の中で仮説を立てて、
それを基に進むけれど、ダメだったら別の道を探す。
それは、今まで取らなかったような選択肢を取ることにも繋がったなと感じた。

それに気づくまでは、白黒がつかないと無理な性格で、
自分の中でこうと決めて、それが上手くいかなかった時に前に進めずもがいていた。


それは対人関係にも表れていて、
自分が持つ白黒はっきりした意見を、
相手と意見をぶつけて、その間を探したいと思っていた。
でもこれってかなり難しくて、なぜならば自分も相手も自身が正だと思っていたり、相手の中で必ずしも意見があるわけでは無いから。



それが今の仕事に就いて、
ようやく見えてきた視点だなと感じている。
その視点を持ちながら、事を進めるには至難の業で
本当に色んな方法があるなと思う。



私自身はまだあまり上手く使いこなせていないけれど、
自分の中の気持ち軸で決めすぎず、意見も一旦置いておいて、
相手の立場や感情を汲み取って、相手が話しやすい雰囲気だったり、
そこに向けた発言をすることを心がけていきたい。
それが結果としてグレーになることの方が多いのだけれど、
よく人は正論で動かないというように、
人から信頼されるということは、相手の気持ちを汲み取ることだと知った。
人のために何かをする、というのは少し違って、
相手が喜ぶことをするのが「優しさ」でもあるということを知った。

20代前半はがむしゃらに目の前のことを頑張っていても、全然上手くいかなくて。
何でこんなに上手くいかないんだろうと自分を恨んだこともあったし、
自分はなんてダメな人間なんだろうと責めたこともあったし、塞ぎ込みがちだった。



そんなところから這い上がれたのは、
本を読んで知識をつけて、色んな人から影響を貰って、
自分との戦い方を知ったからだと思う。

「出来ないことはそのままにしない。でも無理はしない」
そんな自分との約束を守りながら、明日も健やかに過ごしていきたい。




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※余談1
この記事を最初に書いたのは2022/05/22だった。
そこから書ききれずに寝かせておいたもの。
だから題名を26歳で得たもの、としている。
いつかきっと書き切りたい時が来るだろう、
なんて思っていたらもう年末に近づいていた。
あまりにも寝かせすぎるとタイミングを失うので、急いで書き切った。
年々、時間の流れが速くなってゆく…



※余談2
ヘッダーの画像は筆者が大学生の時の写真である。
昔は写真に映ることで、作品として負の感情を昇華させていた。
今は自分の人生への責任と覚悟を持てるようになったので、
自分の弱さも、未熟さも、受け入れていこうと前向きにとらえている。
あの頃の自分、なんだかんだ諦めずにいてくれてありがとうー!!という気持ちです。

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遣る瀬無い朝方5時 蟠りある感情が少しでも解けますようにと願いを込めて。