経験を増やしても、決して豊かにはならないということ
よく人は「色々経験したほうがいいよ」なんて言うけれど、
これって
経験を積む=知識を得ることで豊かになれる
だと、思い込んでいました。
でも最近、生きていてむしろ
「これは経験しなくても良かったなぁ」とか、
思ったりすることも多かったりします。
例えば、ダメンズと知っていても惹かれてしまうとか、辛いものが食べたいと思っていて四川麻辣麺を頼んだのに辛すぎて後悔するとか、大なり小なり、この世で生きている以上、人は皆、裏で何かしら抱えて生きていると思うんですよね。
後悔して戻れなくなったり、忘れようとしてやけになったり、また同じことを繰り返したり、別の方法を模索したり。そうやって少しずつ時間は進んでいく。
結局、経験は増やそうと思って増やさなくても、大人になるにつれて、勝手に増えていくものだと気がつきました。
私は嘗て、とりあえず経験はしておいた方がいいと考えていて、何でも飛び込むようにしていました。これをやったらマイナスなことの方が多いけれど、これをやって得られる少しのプラスは、今までに経験していない何かが得られるかもしれない、と考えていました。
でも、嫌なことは経験しようとしなくても勝手に経験出来るように人生って設計されてるんですよね。
だからマイナスと分かっている道に進まなくて良いし、そこで得られるプラスもほんの少しなので、わざわざ進まなくて良いんだなぁと、気が付きました。
でも、やっぱり経験は色々としておいた方がいいとも思うんですよね。それはなぜかと言うと「自分が嫌だと思うことを判断するため」にしておいた方が良いと思うんですよね。
少し話が変わりますが、
やりたいことや好きなことをやっている人ってとてもキラキラして見えます。そして自分もやりたいことや好きなことを探そうとして、意外とそんなになくて焦ったりすることがあります。(私だけかしら)
好きなことややりたいことって「好きだから頑張らなきゃ」とか「好きだから乗り越えられるだろう」と信じ込んでいます。
でももし、好きなことがどれだけあっても、
嫌なことがそれを飛び越えてきたとしたら、どうなんでしょうか。
きっと、好きな気持ちで乗り切れるときもあるかもしれないけれど、嫌なことの方に目がいってしまって、頑張り切れない時もあるんじゃないかな、とも思うんです。
だから、好きなものを探し出すのと同じくらい「自分がやりたくないこと、許せないこと、嫌いなこと」を知る。そして要らないなと判断したら、捨てられるようになることも、好きなものと同じくらい大事なんだなと気が付きました。
我慢はいつか爆発してしまいます。
でも嫌なことが減れば、そもそも我慢することが減るんですよね。
好きなことをして生きていくことも勿論良いと思います。でもそれと同じくらい嫌なことに触れないようにすることも、大事なはず、なんです。
あまりそれに気付いてなくて、
焦ってしまうこともたくさんある。
今世の中に流布している成功パターンは「好きなことを全力でやっていたら事業が拡大した」とか「その時に与えられたものをやっていたら今のようになった」みたいなものが多いと思います。成功しても幸せになれないなんてよく聞きますけど、まさしく「成功」というのが「幸せになるための手段」だったはずなのに、手段と目的が逆になっちゃうパターンなのかな?と思ったりもします。
「幸せになるために」「嫌なこと」を知る。
嫌なことが何かを知るために、
まずは色々経験して、あぁこれは嫌だなぁと気付ける自分になること。
そうやって、気づいたことを大切に、
良い歳の重ね方をしていきたいなと思う今日この頃です。