【本】木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(増田俊也)
☆第43回 大宅壮一ノンフィクション賞
☆第11回 新潮ドキュメント賞
ノンフィクション作品において何が一番作品の良し悪しを決める要素になるのか。
それは恐らく
「作者の熱量」
この本はハードカバーで700ページ、二段組みで書かれている。作者・増田俊也先生の18年にも及ぶ取材の成果がこの分厚さに出ている。
格闘技に興味のない人間が、力道山はまだしも木村政彦の名前も知らない人間が、この分厚さの本、表紙に厳しい柔道家の写真だけを配置した無骨な本を手にとって読もうと思うだろうか?
もはや読み手を遠ざけようかとしているかのような佇まい。これこそ増田俊也の熱さだ。ついてこれる奴だけ来ればいい。でも結局の所、本なんてそれでいいと思う。
まず、木村政彦とは誰なのか。
柔道史上最強と謳われる柔道家で、全日本選手権を13年連続で保持。「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」と言われる程の大柔道家だ。今でも海外で腕がらみの関節技の事は「kimura」と呼ぶ。「TSUNAMI」「EMOJI」に並ぶ世界に通じる日本語だ。
師匠は牛島辰熊。四文字中三文字動物。
前半はこの半獣ならぬ四分の三獣の師匠の下での気の遠くような修行が描かれている。もう漫画の描写すら飛び越えてしまう驚異的なもの稽古量だ。そうして木村政彦は最強の柔道家へと成長する。
木村政彦は奥さんが病気で、多額の治療費を捻出するために柔道から後にプロレスに転向する。そこで出てくるのが日本プロレス界の父、力道山。
力道山は当時全盛で、まさにスターの階段を駆け上がる途中。
対する木村はめちゃくちゃ強いがプロレスへの対応能力は今ひとつ…ガチンコでやれば誰にも負けない自信があるのに、力道山の引き立て役ばかりでフラストレーションが溜まる日々…
そしてついに禁断の一言を放つ
「真剣勝負なら負けない」
ここに木村政彦vs.力道山という“昭和の巌流島”と言われる大一番が決定する。
今とは比較にならない注目度で行われたこの試合、実は当初引き分けという予定だったのだが、力道山の不意のパンチ連打(いわゆるブック破り)でなんと木村はまさかの失神KO負けを喫する。
この試合を境に、力道山はスターダムへ駆け上がり、木村政彦は表舞台から姿を消した。
なぜ!
木村は真剣勝負なら勝てるはずなのに!
なぜリング上で!
なぜ試合後の控え室で!
なぜ!
木村政彦は力道山を殺さなかったのか!
というのがこの本の主題であり作者を駆り立てるテーマ。そしてポイントは「圧倒的木村贔屓」である点。この作品が他のノンフィクション作品と一線を画す要素の1つだ。
柔道出身の増田先生は木村の敗北は到底受け入れられず、あくまで力道山をブック破りで名声を得た悪党、木村政彦を悲劇のヒーローとして描きたがる。
そして圧倒的な取材力で徹底的に調べ尽くす。しかし近づいてきた真相は作者が最も望まないものだった。
調べれば調べるほど、書けば書くほど真実は残酷だ。恐らく最後の方で増田俊也は泣いていただろう。手が震えるのを堪えながら書いたであろうラストは誰しもが魂震えるものに違いない。
途方も無い熱量を込めて歴史の闇に消えた自分のヒーローを救いあげようとする増田俊也先生の魂に刮目せよ。