私はアレで部活を辞めました!中学時代の還暦同窓会で剣道部顧問の先生と45年ぶりに和解した話。
何やらずいぶん昔の話になるんだけど、還暦同窓会に招待した先生の中にちょっと因縁のあった剣道部顧問の先生がおられたんだけど、その先生と45年ぶりに対話してその因縁話に決着つけて和解した話なんだけど。
挨拶を交わして隣の席に座った私に顧問の先生が語ったこと。
「君が僕を敵対視していたのは、やっぱりアレだったんか?」
私はこの問いに「そうでしたね~、アレがゆるせなかったんですよね~」と答えてから「でも、剣道部を退部したおかげ様で自分の道は拓けたし、そのことに今は感謝していますよ」と右手を差し出しました。
顧問の先生は「いやぁ・・・ほんとに申し訳ないことをしたと思っている。若いだけを頼っていて、教師として人間失格だったなぁ・・・」そう言うと私に深々と頭を下げて「すまんかった、この通りだ、ずっと気にしとった・・・」
そう言って私の右手を両手で包み込んで揺すりました。
この時に私たちの和解が成立したんですね。
その和解に至る原因となった出来事をついでに。
小学校の4年生の時に近所の幼なじみの同級生ら数人と、町にあった剣道クラブに入門したのをきっかけにして、中学に進学した後も当たり前のように剣道部に入部したんですね。
ちょうど中学進学のあとだったと思うけど、町にあった剣道クラブの師範がバイクの交通事故で亡くなるという不幸もあって、剣道クラブは自然消滅の形で活動を休止したんです。
そういうことも中学の剣道部に入部した理由だった気がします。
剣道部では3年生が黒胴の使用が許されて、2年生の初段の人が塗りの剥がれた赤胴・・・といっても、くすんだ色合いの小豆色のだったけど、剣道部に1つしかなかったその赤胴を使っていたんですね。
段を持っていない2年生と1年生は全員竹胴なんですが、胴の表面に幅が2~3㎝くらいの竹が貼り付けてある竹製の胴で、それも結構古い防具ばかりでした。
ちなみに剣道具の種類としては、面(めん)と篭手(こて)胴(どう)垂(たれ)の4つの防具があって、それに中学だと3尺7寸(114㎝)の長さの竹刀(しない)を用いて戦うわけですね。
竹刀の長さについては高校生になると3尺8寸(117㎝)に、大学生や一般になると3尺9寸(120㎝)と、それぞれの長さと重さに規定があるんですよ。
そういう剣道具が部員全員に行き渡るほどの数がそろっていなくて、1年生でも早く部室に入った順に、マシな防具を品定めしては着用するといった具合でした。
そんな程度のさして強くもない剣道部だったんですが、2年生に上がると当時の3年生部員が3名しかおらず、2年生にも黒銅か赤胴のチャンスが巡ってきそうな雲行きになったんですよ。
人数から言ってもチャンスはあるぞと、みんなで期待に胸を膨らませていたわけですが、そこに新任の教師が赴任してきて剣道部の顧問を担当することになりました。
剣道部の顧問に就任早々に、防具の着用ルールについて3年生のキャプテンから相談を受けたその教師は、試合を行って黒胴・赤胴の着用者を決定するという方針を打ち出しました。
要するに勝ち抜き戦で勝ち残った順に、上位から黒胴・赤胴の着用者を選ぶってことです。
黒胴・赤胴の数である5人のうち、初段だったキャプテン以外の全員を対象にして、残りの4つの黒胴・赤胴の着用者を決める試合をすることになったわけですね。
審判は顧問とキャプテンの2人が行い、入部間もない1年生を除いた人数で4つの胴を目指して戦うことになったんですが、顧問の下宿先になった地元の事業家の息子を引き連れてきて、再入部と試合参戦を告げたんですよ。
その事業家の息子というのが、2年の時に退部していた剣道経験者ながらも中学から剣道を始めたばかりの、2年生の全員より技量が劣るさして強くもない3年生だったので、楽勝だと思ってみんなで高をくくってました。
おそらく剣道部の顧問に間貸しした関係で、顧問が頼まれたのかあるいは機嫌取りに誘ったのか、定かではなかったのだけど、まぁよくある話みたいなのでみんなも問題にはしていなかったんですよ、勝てる相手だったから。
その再入部の3年生を加えた9名で、その日の練習の終了間際に、勝ち抜き戦は開催されました。
結果は、上位4人の中の3位に食い込めて、晴れて黒胴・赤胴の着用者に選ばれる・・・はずでした。
ところがところが、どっこい、その顧問が言うには、練習後に立て続けに試合をして疲れた状態の者もいただろうから、不公平になってはいかんので時間を空けてもう一度やり直す、というんですよ。(^_^;)
再試合の理由は誰の目にも明らかでした。
顧問の間借り先の3年生が、負けて上位4人の中に入っていなかったからなんですね。
せっかく上位に食い込めた4人は呆然として、顧問の先生を言うことをただ黙って受けることしかできなかったんです。
翌日に再試合ということになり、結局その日は試合後に顧問が例の3年生だけに居残りを指示して残りの部員は引きあげたんですが、締め切った体育館で顧問が例の3年生に個人特訓していたんですね。
上位の4人に食い込むために、必勝の技を教えていたようでしたが、かえってそのことが私たち2年生の闘志をかき立ててしまったんですよ。
翌日、再試合ではその3年生に猛然と挑みかかり、前日と同じ結果になってついにその3年生は、顧問との特訓の甲斐もなく選外が決定したんですね。
すると、なんということか、顧問が新たな選考方法を持ち出してくるじゃないですか。
言い分はこうです。
「君らの技量は紙一重で、たいして変わらんから、もっと公平に選べるよう僕が相手になって、4人を決めることにする!」
なんなんだよ、って感じですよ。
最初っから、3年生には技量に関係なく黒胴・赤胴の着用を認めるって、決めりゃ良いだけのことなのに、民主的で公平な決め方で決定するとか言いながら、全然公平でも民主的でもないじゃんよぉ~~!
そんな思いで仕方なく、顧問を相手に立ち会うことになりました。
結果は、中学生相手に本気で打ち込んで押しまくり、自分の勝ちを宣言して例の3年生にだけは、隙だらけの打ち込みもしない手加減見え見えの戦い振りで、八百長みたいな小手を1本とらせたんですよ。
そして試合後に、胸を張って言い渡しました。
「みんなも見たとおり、実力上位の4人は○○、△△、YP、それにY君に決まりだ!」そう宣言しました。
本来2度の試合で4位に入っていたH君は、うなだれています。
そりゃそうでしょ、うなだれますよ。
思わず私は手を挙げて、顧問に疑問をぶつけました。
「先生ッ!あんまりだと思いますッ!決め方がおかしいですッ!」
すると
「どこがおかしいッ!君は僕に楯突くつもりかッ!出てこい!」
そう言うと私に防具を着けるよう命令して、自分も面を被り試合場で待ち構えているんですよ。
それから中学生と大人による、本気モードの喧嘩剣道が始まり最終的には顧問の竹刀の柄で、力任せに横殴りされた私の面が外れて、試合終了となりましたが、面を外した顧問の鼻息は荒いまま、顔も真っ赤なままでした。
全員が黙り込む中で、顧問がもう一度私に問いかけました。
「まだ、僕の決め方に不服があるのか!不服があるのなら君が譲れば済むことだ!そうせんのは、口先だけの匹夫の勇だ!」
ひっぷのゆうだ?・・・なんじゃそれ!
思わず口走ってしまったんですよ、我慢できずに。
「おうおう、こげんなずるか顧問の部活やったら、やっちょれんわッ!」
すかさず顧問が
「おッ!やめるんだな!そう言ったな、君!じゃぁさっさとやめなさい!」
間髪を入れずに退路を断たれてしまいました。(´д`;)
そんな出来事があって、剣道部を昇段試験前にやめた私は、シーズン前の創部されたばかりだった水泳部に、スカウトされました。
ここから私の中学ヒーロー時代の幕が開いたのです、ほんまです。( ´艸`)
その話はまた、ね。
そんな出来事があってから、中学時代の私はその顧問をあからさまに毛嫌いし、依怙贔屓の激しい教師の風上にも置けない先生だと、在学中は敵愾心を燃やしていたんですよ。
それが剣道部をやめるきっかけになった出来事だったけど、遅かれ早かれ顧問の人間性について行けなくて、いつかは退部していたと思うんですね。
そう言う因縁のなか、45年ぶりに再会した顧問は、うちの学校が新任だったからまだ70歳そこそこで、年齢を重ねたぶんのシワが顔に刻まれているものの年齢よりは若い印象でした。
ほんの5分ほど話すだけで、過去のわだかまりが氷解し、きれいに水に流して和解できたのも、お互いの年齢ゆえだったんでしょうね。
まぁ、そんな還暦同窓会の因縁の再会話でしたが、私はアレで部活を辞めたんだけど、おかげ様でアレで良かったんだなぁ・・・。
部活の話だったけど、こちらはオンライン部活の話。
ってことで、今回は
「私はアレで部活を辞めました!中学時代の還暦同窓会で剣道部顧問の先生と45年ぶりに和解した話。」という回顧でした。
では!
理不尽な ことも多き世 のほほんと。