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豊かな生活と、お金のある生活は違う。ごっちゃにしてるけど別次元なのだ。

豊かな生活をイメージすると、どうしてもお金が付きまとうが、豊かであることとお金持ちであることを同一視しては間違いの元だ。

豊かに暮らすためにはある程度のお金も必要かも知れないが、自給自足生活で山村暮らしを満喫している家族も存在しているし、親の残した遺産相続で兄弟姉妹、肉親が醜い争いを繰り広げている資産家家族も、アチラコチラにごろごろ見つけることができる。

いったい「豊かな暮らし」とはどういうものか?
この辺をきっちり理解せずに暮らしてしまうから、無い物ねだりの我知らずで自分の豊かさに気づかず、愚痴や不満や嫉妬や妬みに羨望までを総動員して勝手に失望しては、自身の幸せな暮らしや豊かな暮らしを見過ごしているのだね。

誰にでも災難は降りかかってくるし、幸運も同じように訪れてくるのだ。
ただ、そのことに気づくか気づかずにやり過ごしてしまうかの違いなのだ。

災難の時は自分だけじゃ無いと自分に言い聞かせて、災難が通り過ぎるのをジッと待てば良い。他の人も耐え忍んでいるのだから。

幸運の時は自分だけに訪れたと感謝して、幸運を他の人にもお裾分けすれば良い。幸運を独り占めにすると、次には他の人に受け取り役が交替だから。

そうやって世の中は回っていくのだ。

豊かな生活は豊かな心がもたらす幸せな暮らしであり、必要最小限のお金がありさえすれば、働くことさえ自由にしてくれるのだ。だがお金のありすぎる生活は虚栄心や見栄っ張りや、人を見下す醜い心を植え付けやすいので、どこか傲慢なオーラを身に纏ってしまいがちなのだ。

豊かな暮らしのために必要なお金を稼ぎ、充実した人生に活用するのが一番良いね。お金が先になってお金お金と振り回されるようになったら、豊かな暮らしを満喫する生活の前に、外見を装うことにお金を使うようになり、幸せからは遠ざかることになりかねない。

お金は人を豊かにもするけど、賤しくもするのだ。
どんな仕事に就いていようが、仕事に貴賤があるわけじゃないのだけど、みんな勘違いしているのだ、仕事に貴賤があるみたいに。

貴賤があるのは、その仕事に付いている「人物」に対して貴賤が生じるだけのことで仕事に対してではない。そもそも仕事に上下なんて区別は無いのである。区別して上下にこだわる心が賤しいのだよね。だからお金を沢山持っていても賤しい人は、賤しいのだ。

ふところのお財布事情より、こころの貧富事情を気にしたほうがよい。幸せは自分が感じるもので、人に見せて自慢するものではないのだから。

お金に困っても心の豊かさを忘れない人は、自分が困っていたとしても、もっと困っている人にも優しくできるのだ。それが人間力というもの。
人間力を備えている人はお金の多寡じゃ測れない価値観で生きられるから、いつも幸福度が高い人生を暮らしているんだろう。

人はいつかこの世からオサラバするのだ、世界中の全員がほぼ100年も経たずにいなくなってしまうのだ。最後の旅立ちの時には何にも要らない、お金も家も装飾品もすべて不要で身一つで旅立つわけだが、旅立つ最後の寸前までお金やモノに執着している姿を思い浮かべて欲しい。

なんだか哀れだよね?
みっともないよね?
有終の美どころか、憂醜の日になっちゃうね、ものすごく醜いよね?

だからもっと清々しく、キレイなお金の使い方をして楽しく豊かに暮らすことを考えよう。そしてお金に縛られず仕事にも引きずられず自発的に生きましょう。

そうすれば今より絶対に幸せになれるのだから、ね!

ってことで 今日のテーマは 豊かな暮らしとお金のある生活は別次元
という話。

では!
きょうの こころも のほほんびより。

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