私はこれまでに、4回、死にかけたことがある。
人は誰でも人生の中で、死にかかっているような危機に、何度も出くわしているのかも知れない。運良く何事もなく生きてこれたような気がしていても、気づかなかっただけで運良くセーフ、があったかも知れないよ。
私は自分が自覚しているものだけで、4回、死んでもおかしくなかったような出来事に遭遇しているのだが、最初の危機は小学校時代。
最初に死にかけた話。
2年生になった夏休みに、学校行事で行われていた海水浴で溺れたのだ。
川から海に流れ込む河口での出来事だったが、建設工事用の砂を掘り出したあとの川底に残された深い穴に足を取られて、上手に泳げなかった私は海水を飲み込んで水中に沈んだのだ。
引率で付き添っていた先生は、海に子どもたちが流されないようにと線引きしたあたりを警戒していたが、胸まで浸かって水遊びしている子どもたちには注意が向いていなかったようだ。
しばらくしてから人数が足りないことに気づいた先生たちが、大慌てで水中を探し回って、行儀良く水底に沈んでいる私を発見してくれたのだ。
私の意識が戻った時には、大勢の人たちが取り巻いて溺れた私をのぞき込んでいて、息を吹き返したことに安堵の声を漏らしていたのを覚えている。
それから何年かは、見知らぬオジサンたちから通りすがりに声をかけられることが多かった。もちろん溺れたヤツとして。
死にかけた認識は子どもの私にはなかったのだが、事あるごとに大人たちが話すので「死にかけたんだ」ということが頭に刻み込まれたのである。
2度目に死にかけたメインの話。
2度目に死にかけたのは大人になってから。原チャリごとノーブレーキのライトバンに真横から撥ねられた出来事だった。この事故が死にかけた中での
ランキング1位に輝いている。この事故に比べたら他の死にかけは、そこそこだと感じるので取り上げないでおく。
正直言うと、この事故で一度死んでしまったのかも知れない。今、生きている私は、この事故を契機に別の私が動き出したのかも知れない。そう思えるくらいの不思議な体験だったので、かいつまんで紹介するね?
その事故の数日前に遡るが、クレジット会社の営業をしていた私は加盟店である、お得意先の仏壇屋さんを尋ねたと思って欲しい。
その仏壇屋さんでたまたま居合わせた、祈祷師のような人物に声をかけられたのだが、内容は「あなたの母親が守り神であなたの肩に付いている」という怪しげなご託宣だったが、見も知らぬ人に母親がいないことがわかるはずもなく、何かしらを売りつける手法でもなくただ驚いたのだ。
仏壇屋さんの店主にこの人物のことを聞くと、工房で作られた仏像の絵付けが上手くいかないので、先生に(祈祷師のこと)どうするように仏様が希望しているか、仏像に聞いてもらったところだ、というではないか!
そしてその店主も、悪いことは言わないから疑ったり怪しく思ったりしないで先生のことを信じて言うことを聞け、ってことだった。そのときに忠告されたのが「あなたを不憫に思い未練を残しているお母さんに、感謝する思いを毎朝、毎晩、届けなさい。そうすれば万一の時に教えて守ってくれる」からと。
無視するのがなんだか不気味になった私は、感謝の祈りを捧げる対象になる小っちゃな道具を買いそろえて、帰宅したその日から感謝の気持ちを込めて手を合わせるようにしたのだ。26才のとき。
そして死にかけたことが起こった!
それから何事もなくすぎて、その日がやって来た。
いつもの横道から大通りの電車通りに出るために、信号待ちをしていた。
原チャリバイクの私は右折して、大回りで電車通りに入り込むのがいつもの道順だが、信号待ちしている一方通行の出口付近には、赤信号で停車した路線バスが止まっているのも、いつもの風景だ。
青信号になって歩き出す歩行者をやや遠くの左手に見ながら、バスの前を抜けて右折しようとスピードを上げたそのときだった。バスの中から声がしたような気がしたのだ、アブナイよ!って声が聞こえたのだ。
これまで一度もそんな体験はなかったが、バスの前を抜けきる前にいつものような走り出し方でなく、スピードをゆるめて右方向を注意深く見ながら、右折するために進んだのだ。
すると突然、右方向から白い物体が突進してきた!
思わず避けようとしたその瞬間、どッおぉぉ~ん!という大きな音と同時に私は、空中高くに跳ね飛ばされていた。同時にキャァァ~ッ!という周囲からの悲鳴に包まれて空中に飛んでいた。
バイクは、ギャリギャリギャリィ~ッ!という悲鳴を上げて、無残にも車に押しつぶされ、撥ねられた私は横断中の歩行者たちの悲鳴を聞きながら、スローモーションのように浮遊していたのだが、急に左上方からグレーの壁が迫ってきた。それが地面だったのに後で気づく。
地面にたたき付けられた後のことは時間が止まったようで、何も音はしなかった。しばらくして、ざわめきと共に電車のやって来る警笛の音が響いてきたのだが、電車の進路に倒れていた私は起きなければ、という思いで身体を起こし散乱してしまったバッグや、バッグに入っていた書類などを緩慢な動きで回収し始めた。
私を撥ねたワゴン車の運転手は、私がごそごそ動き出してから運転席を出てきて、私の近くで泣きながら踊っていた。本当に踊っていたのだ。苦笑
よほど私が動き出したのが嬉しかったらしい。生きてて良かった!
私が撥ねられた現場を見た同僚や先輩もいたし、昼間に駐在することもあるデパートのクレジットカウンターで私を知っている取引先も多かったが、私が翌日顔を出したときには、私の重体説や死亡説が職場や取引先で飛び交っていた。
そんな時に姿を現した私を見てみんなの顔は、まるで幽霊でも見るような表情だった。
奇跡的に命を救えたのは?
幸いにもかすり傷と打ち身程度で済んだのが奇跡的だと、現場検証の警察官にも驚かれたが、念のために頭部の精密検査を受けてくれとのことで、救急車に初めて乗ったのもこの事故の時だった。幸い精密検査も異常なし。
スーツの膝や肘がすり切れているくらいで目立った外傷もナシというめでたしめでたしの事故だったが、私はこのときに確信したのだ。母親が守ってくれたことを、アブナイよって声をかけてくれたことを、リアルに体験した。
奇跡的に命を拾ったのは、運動神経とか空手で身につけた受け身のお陰だとか周囲は言ってくれたけど、それは違う。あの声が聞こえなければ確実に死んでいたのは間違いない。奇跡的に命を救えたのは、あの声のお陰なのだ。
さて、あなたはこの話を信じますか?
私が母親(たぶん母親)の声を聞いて、命を捨てずに済んだこの話。
実話なので引っかけもオチもないけど、この体験から、私は生きているのじゃなく生かされている、と思うようになったのだ。
それ以来、母親への感謝の思いは増えこそすれ減ることはない。
朝、起きたときの感謝の挨拶は一日の始まりに、気を引き締めてくれる効果があるし、夜は食事の前に一日無事で済んだ事への感謝のお礼は、身と心を解放してくれるので、ますます美味しい食卓になるのだ。
私は無神教といっていいくらいの仏教徒(先祖の代からの仏教徒)だが
人には「ご先祖教」を名乗っている。お葬式や法事の時だけの仏教徒だ。
だから宗教は?と聞かれたら「ご先祖教」と答えることにしている。
両親を含めたご先祖さまたちに感謝していることは、間違いないからね?
自分が大切な存在であればあるほど生んでくれた親に感謝するし、その親を産んでくれた祖父母に感謝する。だからずっとずっと遡ったご先祖さまたちのおかげで、自分が生きていられることを実感できるから、感謝の思いで手を合わせることが生活に馴染みすぎているのだよね。
感謝の思いで手を合わせるという行為は、気持ちをリセットする儀式だ。
感謝の気持ちをいつも思い出したら、働くことも働かせてもらっていると感謝の気持ちが湧くし、自分本位の思考や行動に走ることも防げるだろう。
フリーランスで働く人は一国一城の主だから、なおのこと感謝の気持ちが大切だと思うのだ。仕事をもらうにしろ、頼むにしろ感謝の気持ちが潤滑油になるのでね。
あなたもそんな儀式を活用して、自分の中の潜在能力を引き出してみてはどうだろう?思ってもいなかったパワーが引き出せるかもよ!
ってことで 今日のテーマは 死にかけた話。
ちょっとスピっぽいけど、人智を超えたナニモノかが存在するかもね?
っという話でした。
今日も のほほん。
では!