ブルガリもドルチェ&ガッバーナの香りも勝てない腹ぺこ小僧を誘う夕餉の香り!
昨年はあの曲がヒットしたおかげで、ドルチェ&ガッバーナのブランドが一躍知れ渡ってしまった感があるけど、今回はその香り・匂いといったことにスポットを当ててみたいと思います・・・というほどの話でもないけど、ね。
つまりは、香りにまつわる思い出話、ということですけど、最後までお付き合いくださいね。(^_^)b
実は私は、夕餉の香りが漂うとなんだか胸が締め付けられるような、キュンとした思いになることがあるのですが、これって幼い頃の夕餉どきに香ってくる、友達んちの食卓に並んだご馳走の匂いの思い出なんですよね。
春や夏ならまだいいんだけど、季節が秋になるととたんにノスタルジックになってくるんですよ。
まだ子どもの頃に、友達と夕方遅くまで夢中になって遊んで、ふと気が付いた頃には外はもう暗くなっていて、その頃合いになると遊び友達も遊びを切り上げて、ひとり欠けふたり欠けして最後にひとり残されるのですね。
周囲の建物や生い茂る木々の輪郭も、ぼんやりにしか見えなくなった中でひとり薄闇に残されたまま、遊び友達の家々から漂って来る晩ご飯の香りでひとり食卓の妄想をふくらますのが日課みたいになっていたんですよ。
その当時としては珍しかった、チキンライスの匂いやカレーライスの匂いが空腹感をさらにかきたてて、羨望の思いと孤独感に包まれたままで誰もいない家に帰る、そんな日々でした。
実際に食べるよりも、腹ぺこ状態で空腹をこらえながら、友達のお母さんたちがこしらえている晩ご飯の匂い・・・ケチャップを炒める香りだったりカレーの香りだったり、トンカツの揚げ物の香りなどが腹にしみるのです。
いいなぁ・・・お母さんがいて。
ひとりぼっちの家に戻っても、鼻腔には美味しそうなご馳走の香りがまとわりついているんですよ。
暗くなってから帰ってきた父親と二人っきりの食卓は、言ってみればモノトーンの食卓ですね。
彩り鮮やかなご馳走もなければ、食欲をかきたてる香りを放つご馳走もない地味なモノトーンに近い食卓でしたね。
その頃の憧れていた夢は、お母さんがいてお母さん手作りのご馳走を、腹一杯食べることでした。
玩具が欲しいわけでも旅行に行きたいわけでもなく、ただお母さんの手作りのご馳走が食べたかった・・・なんて、ささやかな思いだったんでしょうね。
香りと記憶がセットになっているのは、あの香水の歌詞を思い出すまでもないことで、ほとんどの方が頷いてくれると思います。
あれからウン十年経過した今も、大人になった今でもそれは変わらない気がします。
だから食卓に並ぶ品数の多さに満足感を覚えるわけだし、団らんというキーワードを大切にするわけだし、ふたりだけの家族の食卓を、代えがたい貴重な時間に思えるわけなんですよね。
ブルガリの香水よりも、ドルチェ&ガッバーナの香水よりも、鼻腔をくすぐり幸せな気分にさせてくれるのが、天ぷらの匂いやレストランから漂って来る美味しそうな料理の匂いというのも、昔のままなんですよ。
って、ここでなぜブルガリ?
そう思われたかも知れないけど、私の使っていたオードトワレがブルガリのプールオムとブラックだったんですよ。(^^ゞ
ドルチェ&ガッバーナのオードトワレは、古参の女子社員たちにバースデープレゼントでいただいたことがあるんですが、甘くて強すぎる香りが好みじゃなかったですね。
まぁ、そんなことはどうでもいいことだけど。
話を戻して、天ぷらの匂いやレストランから漂って来る、美味しそうな料理の匂いを腹ぺこでかぐと、もうたまらなくなって、店に飛び込みたくなるという話でしたね。
まだ我慢ができるときは、何を食べようかと店を物色しながら訪れる至福の時間を想像して楽しんだり、決め打ちで訪れた店内でメニューを選ぶ時間を楽しんだりと、食べること自体を満喫するのが大好きなんですよ。
店内に案内された後の設えを観察したり、漂って来る料理の匂いに鼻をひくつかせたり、味や盛り付けを想像しながらメニューを決める時間までが、すべてひっくるめて楽しいのですね。
何を食べようかと、これまた1つしかない腹におさめる料理を、なるだけ堪能しようと欲張って、あれこれ注文してしまうわけですが、そんな失敗も含めて楽しめるわけなんですよ。
その点では、鮨を食べるときは、匂いや香りに釣られて食べに行くという行動では無かった気がしますね、店内で海苔の香ばしい香りに鼻をひくつかせることはあっても、歩いていて香りで誘われることは少なかったような。
そうか、鮨の場合は、飲みに行くときの腹ごなしが多かったからですね。
行きつけのお鮨やさんでお土産の折詰めを整えてもらい、2軒目に繰り出してお土産を差し入れして、店中で歓待してもらうというのが気分良く飲むための手口だったもんですから、ね。
特に接待で使うときは・・・そうだ、鮨は少人数の接待のときに利用することが多かったですね、それとフグも接待向きでした。
鮨と天ぷらは美味しい店のほとんどがカウンター席だったから、向き合って話ができない分、どうしても2人か3人程度に絞られてしまうけど、ふぐやしゃぶしゃぶ、石焼きスキヤキなんかは人数が増えても問題無しでしたね。
人数的な問題はなかったけど、お金がはるのが問題でしたかね。(^_^;)
でも大人になって接待に使うような高級店のどんなご馳走よりも、幼い頃に憧れた友達のお母さんたちの作る晩ご飯の香りのほうが、いまだに強烈な記憶として残っているし、おりおりに鼻腔をくすぐり蘇ってくるのです。
香りの記憶っていうのは、なかなか消え失せることは無いようですね。
そう言えば前にも香りと音楽の記憶について書いた記事がありました。
そうそう香りと言えば、中学の水泳部の練習中に溺れかけるほど泳がされている最中に、カレーの香りを鼻腔内に感じることがあったんですよ。
そしてその日は帰ってみると、どういうわけか近所のおばさんがカレーを差し入れしてくれたり、父親が仕事先の普請場の家から持たされたといって弁当箱にカレーを持ち帰るといったことが3~4回あったんですね。
これってもしかしたら自分の超能力じゃないか、そう密かに思い込んでいたんだけど、練習中にカレーの香りが漂うのは、けっこうな頻度だったから的中率は低かったんですよ。
もっと言うとその現象は、練習中の辛い思いを克服するために、自分の願望がカレー臭を呼び起こしていたんだと、今なら分かりますけどね。(^_^)b
そうです、今ならカレー臭を呼び起こしていたんだと分かるのは、はい、その通りです、加齢臭をまき散らす年齢になったからに、他なりません。
ってことで、今回は
「ブルガリもドルチェ&ガッバーナの香りも勝てない腹ぺこ小僧を誘う夕餉の香り!」という香りにまつわる思い出話でした。
では!
ブルガリも 勝てぬ香りに のほほんと