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コロナ渦不染日記 #14

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五月十八日(月)

 ○朝から曇り。すっきりしない一日。在宅勤務もすっきりしない結果になる。

 ○本日の、都内の新たな感染者は十人。緊急事態宣言解除の基準は「一週間」で「人口十万人あたり〇.五人未満程度」、かつ「直近一週間の新たな感染者数の合計が、その前の一週間の数を下回っている」ことだという。先週一週間の新たな感染者数は、人口比率で〇.八人であったらしい。二十一日の解除は難しいと考えるべきだろう。
 また、東京近縁の都道府県に関しては、東京と連動しての緊急事態宣言解除となる可能性が高いという。

 ○この災禍で、従業員を解雇せざるをえなかった、関西のタクシー会社の社長さんが、ニュースの取材を受けているのを見た。涙をこらえ、目を赤くしながら、いまも続く後悔を語っていた。胸ふたがれる気分がする。
 後悔のない人生はないとしても、受けとめきれぬ後悔はあろう。そうするしかないとしても、そうする以外になにかできたことがあったのではないかと考えるのが知性ある存在である。そういう意味で、夢と希望は、後悔と呪いの母である。だが、それでも生きてゆかざるをえない。

 ○休業手当を受け取れない従業員むけに、休業者給付金として、三十三万円を上限に国が支給する法案がまとめられているという。また、休業手当を支払っている企業に対する、雇用調整助成金の上限額を引き上げる案もあるという。
 この休業者給付金は、雇用保険に加入していないアルバイトなどの非正規従業員も対象とするという。緊急事態宣言の発出と、外出、営業の自粛が要請されて、約一ヶ月半が経った。ぼくは、これは遅いとは思わない。政府の動きというものは、組織の動きというものは、どうしてもこういうものになる。

 ○すばらしい記事を読んだ。

灯は大切だ。君にとって、それが何かはわからない。だが、長く暗いトンネルに入っている時、灯は絶対に必要だ。灯があれば、出口を求めて闇雲に歩いて消耗することもなく、不安と恐怖に負けることもなく、周囲の暗闇を逆に友とすることができるようになる。暗くても、灯があれば大丈夫だ

人間は思い込みと決めつけが強い上に極端なので、トンネルに入るとすぐに絶望したり、泣き喚いたりしたくなるが、経験上、トンネルは自分が思っているよりも短く、また自分が思っているほど居心地が悪いわけでもない。光が差し込む明るい場所は素晴らしいが、君が暗いトンネルにいる間でも、君と周囲を照らしてくれる灯があれば、悪いことばかりじゃあないぜ

——籾山庸爾「暗く長いトンネルを100倍楽しくする方法」より。
太字強調は引用者)

 ここでいう「灯」とは「こころのゆたかさ」である。こころに「ゆたかさ」があれば、たとえその外側にどんな苦境が待っていようと、乗り越え、あるいはやりすごすことができる。反対に、この「ゆたかさ」のないときは、たとえその外側にどんな優しいものごとがあったとしても、それを愉しみきることはむずかしくなる。
 ぼくの灯は、本を読むこと、そして、こうして文章を書くことである。このことがあるかぎり、とりあえずぼくの穴ぐらは明るい。

 ○西垣通『秘術としてのAI思考』を読む。

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五月十九日(火)

 ○雨。気圧のせいか、朝から動きが鈍い。

 ○在宅勤務中、ミーティングツールの動作が異常に重くなり、お世辞にも意義のあるものとはいえなくなってしまった。

 ○「アルコール七〇パーセント以上配合」と表示して販売していた消毒液に、実際に配合されていたのは五パーセントであったという。だが、それらが使われているあいだは、その場はそれでなんとかなっていたし、詐称があきらかになり、つまりそれが使われていようがいまいが、事態に大きな変化はなかったとわかるのは後になってから、ということは、このたびのことがはじめてでもあるまい。
 不要不急の外出が、ひとの心のゆたかさを担保したように、結果がどうあれ「する」ことに意味があったことというのもあるだろう、ということだ。

 ○一方で、それまで使われていなかったことを、急に初めてみたばかりに、事態に支障が出た例もあるようだ。この災禍に、国民一人につき十万円を給付する、特別給付金のオンライン申請が滞り、現場に混乱が起こっているという。オンライン申請は、役所の職員さんたちが一軒ずつチェックするしくみになっているが、これはこの申請がコンピュータまかせにしかねる「前例のないこと」であるからだし、その申請内容に誤記や不備があるのも、これまでそのようなかたちで申請をしたことがない人々が、手探りで申請をしてみているからであろう。
 これはまったく誰のせいでもないことである。誰もが「初めて」なのだ。オンライン申請を受けたこともない、たとえあっても、ここまでの規模と、ここまでの緊急性ではなかった役所と、そして、ここまで追い詰められ、なにがなんでもやってみなければならない申請者と、双方にやるべきことをやっているだけである。その結果、スムーズにことが進まないからといって、役所を責めるのも申請者を責めるのもおかしな話ではないか。
 なぜなら、「初めて」は、いつだって、どんなことだって、なかなかうまくゆかないものだからだ。もちろん、しっかりと準備をしていれば、そして幸運に恵まれれば、そういうゆたかさに下ざさえされて、「初めて」でもうまくゆくことはあるかもしれない。しかし、そうでない場合のほうがおおいのは、うまくゆくことの理由になっている、慣れとか、そこからくる度胸や安心感がすっぽりぬけ落ちて、かわりに「どうなるかわからない」というストレスがどろっとたまってしまうからである。

 ○そもそも、人間や、ぼくたちうさぎを含む知性存在は、社会(世間)のなかで生きるうちに、「すみやかに、思いどおりの結果が出ること」に慣れすぎている。金を払えば、ものが手に入る。決まった時間の決まった乗り物に乗れば、狙った時間にある場所にたどり着ける。まぶたを閉じれば、また同じ朝がやってくる。——こういった気持ちがあればこそ、そうならないことに対して、哀しみ、怒るのだ。
 だが、この気持ちは、既知の分野においてのみ、期待することができるものである。あたり前のことではあるが、未知の分野にかんして、「すみやかに、思いどおりの結果が出ること」など、ありはしないのだ。
 そして、この災禍は、あきらかに未知の分野のことである。この「コロナ渦」についても、である。
 誰もが明日を知らない。誰もが次にどうすれば「正解」なのかわからない。だからこそ、「状況判断」に際して、試行錯誤に時間をとられ、強いストレスを受ける。これは、いまにはじまったことではない。これまでもずっとそうだったし、これからもそうなのだ。いつでも、誰もが、先の見えない「状況判断」を強いられ、そのことにストレスを感じながら、それでも「どこかへゆこう」としている。そうするよりほかないからである。「どこにもゆかない」のでは、なにも変わらないからだ(いちおう付記しておくが、この「どこにもゆかない」というのは「判断しない」ことの比喩であって、具体的に立ち止まってやり過ごすことを否定するのものではない)。
 もちろん、この道ゆきは、いばらの道である。だからこそ、文化文明があり、歴史があり、科学がある。経験を積みかさね、知恵を働かせて、状況判断の負担を軽くするよう勤めてきた。これもひとつのゆたかさではある。だが、それに慣れきってしまい、「判断」を外在化してしまったことで、反対に自己の責任において決断することを忘れ、思いどおりにならないことを嘆くばかりの人を生み出してしまったのではなかろうか。

 ○カーソン・マッカラーズが、出世作である『心は孤独な猟人(狩人)』で描いたのは、そういう「明日を知らない人々」の姿である。

 夜が更けるにつれて部屋の静寂も深まった。ビフはもの思いにふけりながら釘づけにされたように立っていたが、やがて突然身内に活気のみなぎるのを感じた。[中略]なぜならば、彼は束の間かがやいた光明のなかに人間の苦闘と勇気とを、無限の時をとおしてはてしなく流れ動いてゆく人間の姿を、そして働くものや、愛するものの姿をかいま見ることができたからであった。彼の魂は大きくひろがったが、それも束の間で、心には警戒と鋭い恐怖がめざめた。いわば彼は二つの世界の間に宙ぶらりんになっているようなものだった。彼は前のカウンターの鏡に顔をうつして見入っている自分に気がついた。汗がこめかみに光って、顔は引きつり、片方の眼はもう一方の眼より大きくひらかれている。左の眼は過去のなかにつぶさに探り入ろうとし、右の眼はおびえたようにみひらかれて、暗黒と過誤と破滅の未来をじっと見つめている。そして彼自身は光と闇、痛烈な皮肉と信仰との間の中有に迷っているのであった。[中略]しかし、そもそも自分は思慮分別のある人間なのか、そうではないのだろうか? どうして、このいわれもない恐怖がこんなに自分を圧迫してくるのだろうか? 自分はただおびえた阿呆のようにここにつっ立っているきりなのか、それとも気をとり直して理屈にかなったことをするだろうか? 結局は自分が分別のある人間か、そうでないかということになるのだ。ビフは水道の蛇口の下でハンカチーフをぬらして、緊張にゆがんだ顔をはたいた。どうしたものか表の日よけがまだ揚げていないことを思い出して入り口へ歩いて行ったが、その足どりには落ちつきが加わっていた。やがて、また店の中に戻ってきた彼は、心しずかに朝の太陽を待つことにした。

——カーソン・マッカラーズ『心は孤独な猟人(狩人)』より。
太字強調は引用者) 

 分別にまさる力はない。そして、この分別をささえるものこそ、「こころのゆたかさ」であろう。そうしたものがそろってこそ、明日の朝日を待つことができるのだ。


五月二十日(水)

 ○重苦しい天気。ひどく寒い。

 ○昨日のミーティングで、マイクつきヘッドホンがついに使えなくなった。以前からその傾向はあったが、マイクつきケーブルを接続する本体の端子がダメになったようだ。これはもともとDJ時のモニタ用に買ったもので、そちらのケーブルと接続端子はまだ大丈夫そうなので、引き続き使うとして、ミーティング用に新たなマイクつきヘッドホン/イヤホンを手に入れる必要が出てきた。
 終業後、すこし歩いて、家電量販店に行く。郊外店というのではないが、車での利用が多いためか、一階が広い駐車場になっており、そこにすっぽり被さるかたちで二階以上が店舗となっている。広い店内は、時間もあろう、ひとけがなくてがらんとした印象。フェイスシールドをつけた店員さんの数も、往事に比べて少ない。そのうち一人を呼びとめて、オンライン会議のために、マイクつきのヘッドホンかイヤホンが欲しいというと、パソコン売り場へ案内される。
「マイクつきヘッドホンかイヤホンということでしたら、ここにあるゲーミングヘッドセットが、テレワークにもむいていると人気ですよ」
 とのこと。しかし、売り場を見ると、手頃な価格のものは品切れ。すぐ持ち帰られるものは、二万円を超える価格帯のものしかない。やはりこの災禍で在宅仕事になった同類が多く購入したものだろう。結局、音楽用ヘッドホン/イヤホンコーナーの片隅に、スマートフォンと兼用できる、お手頃価格のマイクつきイヤホンを発見して購入する。

 ○帰宅前におなかがすいたのでカレーを食べる。エビフライをつき。

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五月二十一日(木)

 ○夕方、国は関西の三府県——京都、大阪、京都の緊急事態宣言を解除することを決定した。一方で、東京都の本日の新たな感染者は、十一人を数える。国は、「五月三十一日の緊急事態宣言解除」を規定路線とし、なんとか帳尻を合わせるようにしているように思えてならない。いわんや国民をや。
 もちろん、緊急事態宣言下の「外出自粛」「営業自粛」の「要請」が続けば、現状でも一七〇社以上が倒産廃業をしている青息吐息であるのに、このまま「自粛要請」にこたえつづけていては、より多くの企業がたちゆかなくなり、いよいよ日本経済全体が危うくなるのはあきらかである。しかし、そうした経済の危機に、国の対策は遅きに失する。個々の店舗や企業が知恵を絞って新たな業態を試行し、クラウドファンディングなどで資金を集め補填したとしても、それでどこまで経済の冷え込みを防げるものか。

 ○関東圏のそごう、西武は、二十三日から特定店舗で営業範囲を拡大するむねを発表した。解除を待たず、そごうや西武が動き出すのであれば、「緊急事態宣言」とはいったいなんだったのか。

 ○内閣官房のホームページで確認できる、緊急事態宣言発出の前日に掲載された、「新型インフルエンザ等対策特別措置法案について」には、こうある。

新型インフルエンザ及び全国的かつ急速なまん延のおそれのある新感染症に対する対策の強化を図り、国民の生命及び健康を保護し、国民生活及び国民経済に及ぼす影響が最小となるようにする。

 さらに、緊急事態宣言下の具体的な目的に、「体制整備等」として、

(1)行動計画等の作成
① 国、地方公共団体の行動計画の作成
② 指定公共機関(医療、医薬品・医療機器の製造・販売、電力、ガス、輸送等を営む法人)の指定・業務計画の作成
(2)権利に制限が加えられるときであっても、当該制限は必要最小限のものとすること
(3)発生時に国、都道府県の対策本部を設置、新型インフルエンザ等緊急事態に市町村の対策本部を設置
(4)発生時における特定接種(医療関係者、社会機能維持事業者の従業員等に対する先行的予防接種)の実施
(5)海外発生時の水際対策の的確な実施

 ここに書かれている要件は、たしかに果たされたものと思えなくもない。しかし、いかに「指定・業務計画の作成」が済んだとしても、ワクチンはおろか、検査態勢もじゅうぶんでなく、医療現場の余裕も万全とはいえない現状は、「国民の生命及び健康を保護し、国民生活及び国民経済に及ぼす影響が最小となるように」できたといえるのだろうか。
 また、緊急事態宣言下の営業自粛によって経営に破綻を迎え、あるいはそうした破綻を迎える危機に直面し、独自に動き出そうとしている中小企業や個人事業主の方々がいる現状で、国の補償は万全ととのっているとはいいがたい。
 もちろん、こうしたことが後手後手に回るのは、この災禍が未曾有の事態だからだ。誰もこんなことになるとは思いもしなかったし、そもそも国や集団というものはその大きさに比例して動きが鈍くなり、そのくせ一度動き出したら、動きを止めたり方向を修正したりがしづらい。やむをえないとはいえよう。さらにいえば、国民一人ひとりが、自らの生存と、それを支える社会の維持に努める責任を負うのは、当然のことである。
 だが、それが立ちゆかないときに、それをささえる国でなくては、国としてまとまっている意義などなくなってしまう。

 ○夜。三田村信行『タンス男がやってくる』と、金森修『病魔という悪の物語——チフスのメアリー』を読む。

 特に後者は、いまというこの災禍の「渦」のなかにあって、共通性のある内容ではあるが、ほんらいは二〇〇六年に書かれた、もっと普遍的なテーマによる一冊である。いま読んでもいいが、いつ読んでもいい。こういう知に、気がむいたときにアクセスできるゆたかさをこそ、守るべきであろう。


五月二十二日(金)

 ○終業後、夕暮れのなかを散歩しながら、イナバさんと電話で話す。
「作業の効率化はゆたかさを目指したものであろう。作業を効率化することによって、タスクを完了するまでの時間が短縮され、生まれた余剰時間に業務以外のことができるようになれば、ぼくたちの可能性は拡大していく。これこそがゆたかさってもんじゃないか」
 とぼくが言うと、
「それはきみ、違うぜ」
 とイナバさんは言う。
「作業の効率化によって生まれた余剰時間は、さらなるタスクをこなすのに使われるのだ。両手でかかえるしかなかった荷物を、背負うことができるようになれば、空いた両手を休ませるのでなく、新たな荷物を持つようになる。そうしむけられるのさ」
「では、それでえられるお金が、ゆたかさだというのかい」
「よくよく世間知らずだなきみは。あらたなタスクが与えられたとしても、それは余剰時間のなかのこと、つまり業務時間内なんだから、追加のお金なんかえられるもんか。できて当然、ということになるだけだ」
「そんな。それじゃあ永遠にゆたかさなんか手に入らないじゃないか」
「いかにも。晴耕雨読ならぬ、『晴耕雨耕、残業して読』といったところが、いまの世の中だ」
「ハメハメハ大王みたいに、『雨が降ったらおやすみで』ってわけにはいかねえよな」
 と、これは下品ラビット(彼はぼくの同居人であり、このnoteを運営するサークルの相棒である)。

 ○今週の日記をつづるにあたり、十八日からnoteで開催された「 #ゆたかさって何だろう 」テーマのコンテストに参加することにしていた。

「『コロナ禍』中の生活を、この災禍が生みだした世の中の動き『コロナ』とともに観察し、そうした動きに『染ら不[ず]』にいようとしながら送っていくことの記録」であるという、この日記の本筋は、もちろん変えることはないが、その記録のフォーカスを、「ゆたかさ」というお題に沿うように絞りなおしてみたのである(「ゆたかさ」という語をいちいち強調して見せたのもそのためだ)。

 ○そうしてみて、「ぼくが思うゆたかさ」とはなにか、と総括すれば、それは「余裕」である。
 人生のさまざまな局面ごとに、さまざまな選択肢が用意されていること。そのどれを選んでも、その結果を受けとめられること。そうして、たとえ間違えても、そこで終わりになってしまわないこと。それを補償する本人のこころ、そしてその人を見守る人々のこころ。
 これらすべて、「余裕」というものである。
 だが、いまの世のなかは、そういう余裕を許さないようだ。イナバさんが語ったように、以前から、そういう余裕を食い潰す世のなかであったのだろうし、この災禍が、そうした傾向に拍車をかけている。もともと少なかった余裕が、不断に続く状況判断のうちに、日々、少しずつすり減っていくのを感じるのだる。

 ○では、その失われていく余裕を、いかに取り戻すべきか。
 それは、こころに「灯」を持つことである。
 それは、分別を忘れないことである。
 それは、たまにはカレーにエビフライを添えることである。
 それは、気がむいたときにアクセスできるたのしみを持つことである。
 それは、「両手でかかえるしかなかった荷物を、背負うことができるよう」に工夫し、たまには「空いた両手を休ませる」ことである。
 そして、これらのことをするために、自分じしんのなかに、誰にも染まらない部分と、そのための時間を、しっかりと確保することであろう。

 ○かつて、偉大なマンガ原作者の故・小池一夫氏はこう言った。

人と繋がれ。そして、孤独であれ。

太字強調は引用者)

 これこそ、ゆたかさを新たに作り上げるためにとるべき第一歩、ゆたかさのための余裕のもっとも基本的で、もっとも重要なものであろう。

 ○そういえば、童謡「南の島のハメハメハ大王」の元ネタは、ハワイ国王「カ・メハメハ一世」に由来し、この「カ・メハメハ」には、「孤独な人」「静かな人」というような意味があった。

風のすべてが彼の歌
星のすべてが彼の夢

 まさに、これこそゆたかさというものであろう。

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→「#12 緊急事態宣言下の都会」



参考・引用文献



イラスト
「ダ鳥獣戯画」(https://chojugiga.com/


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