20世紀を代表する小説家や哲学者たちに愛された作家マルカム・ラウリーについて調べてみました!
地獄
こんにちは。
「ライターズライター」という言葉に弱い井瀬です。
みなさんは『火山の下』── 『百年の孤独』(同名のプレミアム焼酎の銘柄はこの作品名に由来するそうです!いかがでしたか?ちなみに私は焼酎が苦手です……)の著者であるノーベル文学賞(日本人だと大江健三郎さんたちが受賞しています。大江さんは一時期ラウリーさんに入れ込んでおり、その成果物が連作短篇集『「雨の木(レイン・ツリー)」を聴く女たち』なんです!)受賞者ガブリエル・ガルシア=マルケスさんが生涯もっとも繰り返し読み(かのミシェル・フーコーさんも晩年に愛読していたそうです!)映画化さえ試みていた(ちなみにジョン・ヒューストンさんは映画化に成功しました。映画『火山のもとで』はアマプラ(Amazon Prime Videoの略です)にないのでまだ観れていません。待ち遠しいですね!)小説(スーザン・ソンタグさんの著作に『火山に恋して』というよく似た名前の小説があり、サミュエル・R・ディレイニー「Under the Volcano with Susan Sontag」というソンタグ論を読んで彼女がいかに『火山の下(Under the Volcano)』の影響を受けているのかを調べようと思ったのですが、どちらの本にもラウリーさんのラの字も出てきませんでした!まぎらわしいタイトルですね!)──というアル中小説(お酒が大好きな(私も大好きです(笑))ジル・ドゥルーズさんも『意味の論理学』(第22セリー「磁気と火山」)や『差異と反復』(の脚注)などでこの作品に触れています)を書いたマルカム・ラウリー(彼と一緒に酔っ払いたいという叶わぬ願いを死ぬまでにしたい37のことリスト(『家出の道筋』)に挙げていたジョルジュ・ペレックさんは、『物の時代』のエピグラフに『火山の下』(新訳の「解説」で言及されている詳細な註釈書(1984年)は全文ネット公開されています!すごいです!でも重いです!)の一節を引いています)をご存知ですか?
ガルシア=マルケスや大江だけではなくクロード・シモンやトニ・モリスンや莫言といった他のノーベル文学賞受賞者たちにも多大な影響を与えるほど優れた作品をいくつも生み出しながらもかつてはその著作のほとんどが絶版状態であった無名不人気作家ウィリアム・フォークナーを『ポータブル・フォークナー』によって世に知らしめ彼がノーベル文学賞を受賞する最良最大最初のきっかけを作ったマルカム・カウリーと名前が非常に似ていてまぎらわしいのですがカウリーは日本語版Wikipedia内に記事があるのに対してラウリーはないのでそこで2人のマルカムの区別がつきます。
邦訳どころか英訳すら1冊も出版されていないルネサンス期フランスの詩人レミ・ベロー(澁澤龍彦や種村季弘によって日本に紹介され、数篇が彼らのエッセイ内で訳されている。(フォークナー嫌いの)ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』にもベローへの言及がある。鉱物、変身、サッポー!)でさえその人生と作品に関する充実した記事が日本語版Wikipedia内に(フランス語版の記事を丸々訳したものとはいえ)存在するにも関わらず(地獄篇34歌、煉獄篇33歌、天国篇33歌の百歌から成る)ダンテ『神曲(La Divina Commedia)』((マンガ化もされてる名作)大西巨人『神聖喜劇』はこれに由来)に匹敵する三部作──「終わりなき航海(The Voyage That Never Ends)」シリーズ(「酔いどれ神曲(Drunken Divine Comedy)」とも呼ばれた)──の「地獄篇」を担うものとして書き始められ9年もの歳月を費やし彫琢された『火山の下』(仏紙ル・モンド「20世紀の100冊」ランキング第99位!)が二度も日本語に訳された(『活火山の下』(加納秀夫訳、白水社、1966年)、『火山の下』(斎藤兆史監訳、渡辺暁・山崎暁子訳、白水社、2010年))マルカム・カウリーのページがないだなんて何てこの世界は歪にできていることでしょう。
Wikipediaに記事がないと、どこでまとまった情報を得たらいいのかわからず、途方に暮れてしまいますよね……。
まぁ、でも、略歴とか作品概要とかはググればわりとわかることなんで、あえて書きません。
『火山の下』が「地獄篇」であるならば、「煉獄篇」や「天国篇」に相当する作品はどのようなものであったのか。
我々の関心はこの一点に集中するはずである。
それ以外に知るべきことはないのだし、書かれるべきこともない。
それは実に確かなことだ。
煉獄
ラウリー版「煉獄篇」の一部は中篇『Lunar Caustic』(溶性硝酸銀の異名)として死後に発表された。その邦訳が由良君美編『現代イギリス幻想小説』所収の「月の狂人」(横山潤訳)である。
この作品は出世魚のように発達段階によってタイトルが異なる。
この呼称問題はけっこうややこしいんで、年譜を作ってみました。
煉獄を巡る年譜
まとめ直すとこうなります。
1942-44年版「The Last Address」を「Swinging the Maelstrom」、リミックス版を「月の狂人」、手つかずの長篇「Lunar Caustic」を「硝酸銀」と呼び分けると区別がつきやすいかもです。
「煉獄篇」にあたるのは「Swinging the Maelstrom」ですが、ラウリーは「終わりなき航海」シリーズの構想を三部作から七部作にまで広げていったので、もうどのヴァージョンが「煉獄篇」なのかとかもうね、別にね、いいんじゃないんでしょうかね。
今や「煉獄」といえば『鬼滅の刃』の炎柱ですしね。
「煉獄篇」が気になるなら「無限列車編」を観ろって話ですよ。
R.I.P.
天国
「天国篇」に相当するのは『空荷で白海へ (In Ballast to the White Sea)』。1944年の自宅全焼によって原稿が煙滅し、幻の作品となった。しかし、なんやかんやあって2014年に出版された。
邦訳はないが、英文学者横内一雄の『空荷で白海へ』論を読むことで、不死鳥復活の経緯とその一翼を知ることができる(下記リンク参照)。
でもネタバレ配慮がないので、そういうのがNGな人は気をつけてください!
ラウリー,華厳滝,三原山 : 『空荷で白海へ』から『火山の下』へ (pdf)
「自己の崩壊」再考 : ラウリー『空荷で白海へ』精読 (pdf)
他の作品でのラウリー論もあるよ。
「Swingingなテクスト―Malcolm Lowry, Swinging the Maelstrom / The Last Addressを読む」という論文もあるようだが、ネット公開はされてないっぽいです。
なんでまだ読めてないんですけど、すでに体が深く理解してる気がします。
前項を書く際、呼称の揺れに鬼振り回されたので。
揺れる想いが歌われた曲をBGMにリサーチしてました。
テクスト研究の沼に沈みかけている人の心情が歌われています。
神曲!
まとめ
結論
お酒の飲みすぎと火事には気をつけましょう!
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