[作例多数]実はカメラを買っていて、写真って楽しいっというお話。
みなさんこんにちは!夏休みが始まって、時間の進みの早さに驚きを隠せないやおきです。夏休みということで、ブログも更新していきたいなと思ったのですが、いかんせん最近書いていないもので、少し緊張してしまっています。
ということで、今回は、私が撮った作例を多めに、カメラとか写真とかについて書いていけたらいいなと思います!
写真を撮っておられる方には、少しでも共感していただいて、カメラを買おうか迷ってるよっていう方には少しでも助けになる。そんな記事になるといいなと思っています。
写真用のインスタグラムアカウントも作ったので、ぜひ見に行ってやってください(画像をクリックしていただくとインスタグラムに飛べます!)↓
そもそもなのですが、私、カメラを購入しました。
しかも二年ほど前に、、、。
こんな記事を書いたところ↓、たくさんの方がコメントしてくださり、背中を押されたような形で、カメラを購入しました。
これまで、書いてこなかったのは、別に何か理由があるわけでもなんでもなく、ただただタイミングを逃していただけです。(人生なんでもタイミングっ)
それでは結局どんなカメラを買ったのか。私が購入したカメラは、
Fujifilm X-T1です。
なぜこのカメラを買ったのか。限られた予算の中で私が迷っていたのは、エントリーモデルの最新機種を買うか、古いけど昔のハイエンドモデルを買うかでした。
最終的な決め手となったのは、多くのフォトグラファーの方が、「最初は不便なカメラのが良い」とおっしゃていたことです。そのほうが機材に頼りすぎず、「写真を撮る」という技術そのものが向上しやすいと。
ということで、2016年発売の、X-T1を購入しました!
文字ばかりでもつまらないので、ここら辺で私が撮った写真たちを。(できるだけ時系列順に並べているので、クセの変化などなどを見ていただけると)
一番最初に撮った写真のうちの一枚。緑の美しさと滑らかなボケ感に感動したのを今でもありありと覚えています。
これも緑。天気がいい日にお散歩をしていた時に撮った一枚です。緑とオレンジの色の相性がお気に入りの一枚。
これも緑が基調。森の中に差し込む日光が輝いていて、地面に這いつくばるようにして撮った一枚。この時、森の中を歩いていた友達に熊だと思われたのは、懐かしい思い出話。
誰もいなくても、煌々と明るい駅の待合室に思わず目が引かれてしまいました。
日本全国にある自動販売機は、とんでもない量の電力を消費していると言われていますよね。その光に照らされて、坂道を自電車で登る友達の背中。
こう見るとほんとに緑ばっかり。雨上がりでより一層緑が鮮やかに見えた一コマです。
コスモスの後ろに見える浅間山。もう全体をピンクにしちゃえって感じでしょうか。コスモスにピントを合わせるのに苦労した記憶があります。
なんとなく上を見上げた時の空が綺麗で、カメラを撮りに全力ダッシュ。なんとか、日没に間に合いました。
スラリとした針葉樹に、足元に敷き詰められた苔。その両方を、太陽が力強く照らしていました。
ひまわりのようなひまわりじゃない花が、太陽に向かって伸びていたのをパシャリと一枚。背景が真っ白なのは、曇りの日だからです。
これも曇りの日に。何枚も撮って綺麗にピントが合っているのを探しました。古いカメラなので、オートフォーカスはほとんど当てにならず、全ての写真をマニュアルフォーカスでピントを合わせて撮っています。
いろいろなフォトグラファーさんの写真を見て勉強させていただいています。これは、後ろボケというコンセプトを学んだ後の一枚。
これはクリックして大きい画面で見て欲しい一枚。ありきたりのようで、ありきたりの構図ですが、晴れた日の清々しい気分が蘇ってきます。
学校の近くにある(歩いて1時間くらいですが)たい焼き屋さんで撮った一枚。人に「撮っていいですか?」とお願いするのが初めてだったので緊張しましたが、すっかりなかやくなってしまい、今ではお気に入りのたい焼き屋さんです。
浅間山を見て、季節を実感する日々。これは、裾野から色づき始め、秋を感じた一枚です。
これは学校の近くのキャベツ畑からの一枚。キャベツ農園で働かせてもらったことがあるので、なんとなく親近感を覚えてしまいます。
紅葉した紅葉に(あ紅葉紅葉だっ)、後ろから光が差し込んで、まさに黄金色になっていました。
神楽って、いつも同じお話なのに、なぜか毎回毎回魅了されちゃいますよね。
ピントを合わせるのが少し得意になって、ウハウハしてた頃の一枚。
八百屋さんが、日に照らされて。東京で、スナップショット?を撮るのがマイブームだった時期です。
下町にポツンと佇むお煎餅やさん。お煎餅を一枚一枚買えるのはなんだか幸せな気分になっちゃいます。
何を撮ろうとしたのかもう忘れてしまったけど、でもなんとなくお気に入りの一枚。少し木に残っているイチョウの色と儚さに惹かれたのでしょうか?
ちょっと長くなってきたので、ここからは、黙って写真だけ。
こんな感じで、ちょこちょこ写真を撮っています。
ただ最近、X-T1の調子が悪くて、ピントが合わないことも多々。メンテナンスに出そうにも、古い機種のため、交換部品がないらしく、しばらくこのまま頑張ってみようと思っています。
カメラを手に入れて変わったこと。学んだこと。
カメラを持っていて感じるのは、
自分の身の回りを見る新しい視点を手に入れたなという事です。
実際にカメラを手に入れる前、私は、カメラは自分の周りにある景色をただ単純に切り取るものだと思っていました。
例えば、目の前に海があったら写真にもその自分が見ているのと同じような海が映るだろうと。
しかし、実際には、違いました。写真に写るものと、自分が見ているものは全く違うのです。カメラを使うようになって気がついたのは、いかに自分の脳が都合の良い情報だけを切り取って見ていたかということです。例えば、電線や電柱はその際たる例です。私は(皆さんもそうかもしれませんが)、例えば、東京の裏路地からスカイツリーを見上げるときに、スカイツリーに集中するあまり、周りの電線や電柱なんて眼中にありません。でも、カメラでその景色を映すと、スカイツリーと同じくらいはっきりと周りの電線も映ってしまうのです。そのとき初めて、あぁそこに電線があったんだ気がつきます。
最初の頃は、そういう自分が見たときに勝手に頭の中で排除している物体を邪魔だなぁと思っていました。そして、編集でなんとか消そうと頑張ってみたりもしました(そこまでの技術がないので、うまくはできなかったのですが、、)。
しかし、最近になって気がついたのです。
「頭の中で勝手に排除している物体たち」こそが、その場の空気感を伝える最大のポイントなのではないかと。
例えば、上に添付しているサメの写真は、水族館で撮った写真です。なぜ、もっと近寄って、サメだけがうつるところで撮らなかったのか。それは、水族館にいるサメという空気感を伝えたかったからです。野生にいるサメではなく、水族館にいるサメ。そこにある、悠々とした泳ぎや、どこかに漂う哀愁や、威厳などというものを切り取りたかったのだと思います。(もちろん撮るときにはそんなこと米粒ほども考えていないのですが!)
ただ、そういう空気感というものは、往々にして、私たちの潜在意識に刻まれてしまっています。そのため、情景を見てもそのことをいちいち思い出すことはそうそうないわけです。ただ、カメラの「そこにあるものをそのままに写す」という特徴があるからこそ、本当にそのときに感じた思いを合わせた情景が伝えられるのではないかというのが、私の仮説です。
二つ目は、
一部分だけを切り取ることで、実際に目で見たものとは違う景色が見える
ということです。これは、一つめのポイントの「見えるものを全部写す」という特徴と矛盾しているかもしれません。どういうことなのか。百聞は一見に如かず、下の写真をご覧ください。
上の写真は、お皿の上に乗ったサンタクロースの写真にフォーカスが当てられています。これは自然なことのように見えますが、実際の目で見る時はこんなふうに見えません。もっと広い範囲で他の雑多なものも視界に入ってしまうのです。
写真に映る範囲(画角というらしいです)が人間の目に映る範囲と異なるために、目で見た時とは違う雰囲気を醸し出すことができるのです。
私は、キットレンズの18mm-55mmのレンズを使っています。もし、予算的に余裕ができたらまた別の画角もチャレンジしてみたいなと思っているところです。
ということで、今回は、カメラって楽しいねっというお話でした。少しでも、共感していただけたり、いいなと思う写真があったりしたら嬉しいです。
これからも少しずつですが、ブログを更新していけたらいいなと思っています。暑い日が続きます。皆さんお身体に気をつけて、頑張りすぎずに頑張っていきましょう!