トライするって素晴らしいー生きてるだけで丸儲け!ー
夫が「僕がやってあげる」と何でもやってあげたい人でした。ものぐさな私は喜んで、なんでもやってもらっていました。
夫はパソコンを教えようと、ノートパソコンを買ってくれましたが、用途が分からないままでした。せめて基本的な取り扱いができるようにと、「ときめきメモリアル」のゲームを買ってくれました。私はどハマりし、攻略本を購入し、完璧なモテモテ人生を謳歌し、ゲームを終了しました。一生分楽しんだので、以来ゲームから足を洗いました。
ノートパソコンを使用したのは、そんなぐらいで「検索」なども「僕がする!」というので任せていました。夫は手先が器用で料理も家事も数字やパソコンも得意でした。
私はたくさんの苦手に囲まれて、「僕がやってあげる」の言葉が、「君はできない」というように聞こえてきました。いつのまにか劣等感の塊になっていました。
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夫が亡くなって、夫のパソコンを処分しました。そして友だちに付き合ってもらい家電店へ私のパソコンを買いに行きました。友だちが心配するほど、店員さんにアホな質問しまくりながら何とか購入しました。
そしてNTTのヘルプデスクさんに、毎日いろいろ教えてもらって何とか使えるようになりました。
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新しい仕事の修行中、上司からパソコンを使用する司令がバンバン出されました。これは火事場の馬鹿力で指示をこなしましたが、よく「あんたみたいなアホな人を見たことがない」と言われていました。でも事実だから「仰るとおり❗️」とひたすら言われたことに取り組みました。経済の勉強のために経済誌を読み、経済紙を購読していました。
さらに「自分を発信しろ」とブログをやれと言われて、本を買ってブログを立ち上げました。TwitterもFacebookもアカウントを作り発信しましたが、中でもブログで文章を書くのが面白く、毎日毎日、書いていました。当時の私は真っ黒に病んでいたので、ブログに気持ちをぶつけていました。
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次にオークションでアパレルを取り扱う仕事を紹介されました。何でも勉強だとやることにしました。
アパレルの社長は障害者やひとり親で働けない人に、在宅で仕事ができるようにと無償でスキルを教えてくれているひとでした。まだ20代ですが、年商何億の業界で、実はすごい人だと後に知りました。
ここで社長に指導してもらい、一人で商品の仕入れ、採寸、撮影、画像処理、サイトの管理、宅配業者やお客さまとのやりとりをしていました。メンズアパレルなので、デザインやパーツの名称は洋服辞典で勉強し、商品説明の文書作成もしました。
特に写真撮影は、学生時代カメラマンのアシスタント(機材運び)をしていたので、この時のカメラマンに基礎的なカメラ技術は教えてもらいに行きました。ちなみに商品のデータ管理は友だちが助けてくれました。これを約4年ほどしていました。
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その後大学院に入り、これまで使う必要がながったワード、エクセル、パワーポイントを扱う必要が出てきました。データ処理もしたことがないので、何もかもがトロいのです。教授からは「そんなこと当たり前でしょ。」とずっとバカにされていました。
私は娘や若い同級生に教えてもらったり、本を片手に勉強しました。修了する頃には、最低限の扱いは出来るようになりました。でも使わないとすぐに忘れてしまう鳥頭です。
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技術は使わないと忘れてしまいますが、それでも日々使用するパソコンは使えるようになりました。
むかしパソコンを一緒に買いに行ってくれた友だちが、「いろいろ出来るようになったね。あの時はどうなるのかと内心、心配していましたよ」と褒めてくれました。
今ではパソコンは私の大切な相棒です。
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こんなに楽しいものを夫は独り占めしていたのです。
ふふふ、夫さん、
あなたが生きていた時代より機械は進歩して、考えられないぐらい楽しいことが出来るようになったよ。ホント生きてるからこそですな。
私はニヤニヤ笑いが込み上げてきます。
そうそう料理はクックパッドやら見て、適当に作ってるよ。メインディッシュは生協の冷凍食品だよ。技術革新バンザイ。子ども達は手作りの料理じゃないけど、無事に成人したよ。
全部それなりに適当にやれる世の中になったのよ。あの頃の苦手感なんか、どっかへ飛んでいってしまったわ。
「僕がいなくなったら、君は生きていけるのか。」
よくふざけたことを言っていたね。そのまま何もさせずに箱入り嫁にしていたら、そりゃ生きていくことは難しかっただろう。
でもね世間にはたくさんの師匠がいたのさ。彼らはそれぞれの業界のプロフェッショナルで、私みたいなど素人を育てようと頑張ってくれたよ。師匠たちには感謝しかないです。いまは自分の道を見つけたから、それぞれの師匠の元を巣立った私だけど、今日も生きることを楽しんでるよ。