コロナ禍の空気
仕事に忙殺されていた頃、よく空を見上げては飛行機雲を探した。旅に出る時の希望に満ちた空港の出発ゲートを思い出すのです。バブル後期のあの頃、よく高校時代の友達と旅をしました。日本を出ると、やっと日常から引き離されて、息をすることができました。身体中に溜まった毒素を吐き出して、肺の中の空気を入れ替える。そしてまた日常に戻って行くのです。
さらに仕事に家庭の忙しさが加わると、一人の時間もままならなくなりました。重症の呼吸困難に陥りそうになると、頭上に飛ぶ飛行機を探します。そして「私も連れてって。」とまた俯いて働く・・・
コロナ禍の空気は、その時とよく似ています。人に感染させてはいけないと自粛する。だからこそ萩原朔太郎のこの詩を思い出したのだろうな。もう長いこと忘れていた詩です。フランスにいる人に会いに行きたくて、でも行けなかった時に見つけた詩です。
あれから30年、今の私は何にも追われることがないけど、どこにもいくところが無い毎日です。実に淡々と自粛生活をしている。そして、またこの詩とともに、想像の中の旅をする日が来るとは思いもしなかった、そんな朝です。
萩原朔太郎「純情小曲集」より
旅 上
ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに