水に溺れる。ー学べよ、わたしー
帽子がぷかぷか
溺れた記憶の一番最初は、母からの伝聞でした。私が3歳のころのことです。祖父母の家の裏の川に遊びに行った時、さっきまで遊んでいた私が見当たらないと周囲を見渡したそうです。そこに帽子がぷかぷか浮いているのを見つけました。帽子をの下には私がいました。帽子を被った私が流れているのを見つけて引き上げたそうです。
母は面白おかしく話すので、臨場感はありませんが、冷静に考えると、恐ろしい出来事だと思います。だから私は自分の子どもを川遊びには連れて行くことはしませんでした。
太陽をみたこと
幼稚園の前後の年代のことでしょうか。これも状況の記憶は薄いのですが、自分の身に起きた記憶は鮮明です。淡路島に旅行に行き、プールで遊んでいました。滑り台が気に入り、何度の滑って、水着のお尻の部分が薄くなったと母が笑っていました。
私は浮き輪を水に浮かべて、そこに足から飛び込めば、うまく浮輪のの中に入り、プールで遊べると思いつきました。体操選手のフィニッシュみたいなポーズでプールに飛び込みました。当然、思い通りにはいかず、私は浮き輪をすり抜け、水の中にドボンと入り込みました。
水の中から太陽が見えました。水を通して見た太陽は、ゆらめいて綺麗でした。そこで父に水着を弾き掴まれて水の上に引き上げられました。どうやらウチの親は、子どもから目を離してばかりなようです。私は自分の子どもをプールに連れていくことは、はできる限りしないようにしました。
水泳教室
小学校に入学した初めての水泳で、泳ぐ距離は息が続く2メートルが関の山でした。というかまったく泳げません。母は教育テレビで水泳選手の木原美智子の水泳教室という番組を私に見せました。テレビの前で息を止めて、クロールを練習してみましたが、泳げるようになる訳ないと、子ども心に思っていました。
流石に親は、これではいけないと策を練りました。そこで母と弟と私の3人で、1週間水泳教室なるものに参加することになりました。ここでの指導がよかったのか、夏休みが終わる頃には、3人とも25メートルを泳げるようになっていました。
これでもう溺れることはないでしょう。
アメリカで頭を打つ
溺れることはないと思っていましたが、10歳のころ「子どもアメリカ体験旅行」に参加し、そこのホテルのプールで、足が攣り溺れかけました。到着して時差ぼけのまま、水に飛び込んだのも悪かったのでしょう。これは自分が悪いのだと大反省しました。
そのツアーで現地の子どもキャンプに参加したのですが、プログラムにプールでの水泳がありました。プールに入れるかはテストに合格しないと入れないシステムです。テストはクロールでプールを泳いでみせ、判定する人の間で立ち泳ぎをstopの声がかかるまで泳ぐのです。
立ち泳ぎなど、やったことがなかったのですが、やってる人を見て、手足をバタバタして沈まなければいいのかなと、ぶっつけ本番で合格しました。
規則は厳密なようで、不合格の人はプールでの遊びは参加できませんでした。
そこから立ち泳ぎと平泳ぎ、背泳ぎは学校の授業だけで、できるようになりました。もう溺れることはないはずでした。
海を舐めてはいかん
看護学生のころ、友人Aからグアムにいかないかと誘いがきました。働きながら学生をしていた身分なので、海外に遊びに行くと言えない風土でした。しかしどうしてみ行きたいので。「広島県の母の田舎に行く」と休暇を取りました。母の田舎は山間部ですが、知らない人は瀬戸内海側だと勘違いしてくれるでしょう。
Aは重役秘書をしており、万事手配に抜かりのない人だったし、私は旅行に行くと頭をOFFにして、考えることを完全停止するので、Aの好きなように付き合っていました。だから私は、自分の意志でなく船に乗り、海の上で泳ぐというオプショナルツアーに参加することになったのでした。
なんて美しい海なのでしょう。素晴らしいと感激した私はライフジャケットをつけ忘れて、ドボンと海に飛び込みました。海の底は見えないくらい深くて、足が届かなくて、ああ溺れってこういうことなんだーと思っている瞬間には溺れていました。「海を舐めてはいかん・・・」と最後の思考になるかと観念した瞬間に、両脇を支えられて船の上に引き上げられました。乗組員に救助されたのでした。
なおグアムで真っ黒に焼けたので、帰国してから「瀬戸内の日差しは思ったよりキツかった」と言い訳しましたが、婦長から「もみじ饅頭のお土産はないのか」と不審がられ、梅田のアリバイ横丁に買いに行きました。
海の重さ
新婚旅行はフィジー島でした。「ここにきたらスキューバダイビングダイビングでしょう」と、相変わらず私は調子に乗ったサルでした。
気のすすまな夫を伴い、初心者ダイビング体験のオプショナルツアーに参加しました。しかし陸の上での説明の段階で、「早まったことをしてしまったのではないか・・・」と小さな後悔の念が生まれていました。
海の浅い場所での講習の段階で、すでにインストラクターの指示がはいりません。海が重くて怖くなったのです。それでもって、「あんたはダメ!」と参加中止を言い渡されて、私はすごすごと海から逃げ出しました。
でももう安心です。インストラクターの小屋でスナック菓子をもらって食べながら夫の帰りを待ちました。
「あんなに海が重いと思ったことはない。あれは水圧だ。恐ろしい。人間は陸上生物だから、海になんぞ行くものではない!」と力説して歩きました。
よくよく考えたら、浅い海だったので、水圧ではなく、背中に背負ったボンベの重さだったのだと、最近気がつきました。
「君子危うきに近寄らず」
調子乗ってはいけません。過信してはいけません。体調管理をしましょう。
これ一番大事、学べよわたし「もう水に入るな!!」です。