本の記憶 「シンデレラ迷宮」
本棚の断捨離もゴールに近く、いよいよ本が少なくなって来ました。片付けのため数冊の愛読書を手にしていました。
最後まで手元にあるはずだった佐藤春夫の「小説・智恵子抄」は行方不明。ウェブスターの「あしながおじさん」はもうしばらく手元に置いておこう・・・氷室冴子さんの「シンデレラ迷宮」は中学時代よく読みましたコバルト文庫の1冊。嫁に行っても、引っ越ししても、ずっと持ち歩いて来ました。しかし1度も読み返したことがありませんでした。
数年前、作者の氷室冴子さんも鬼籍に入られました。思えば私の中学時代を彩っていた、コバルト文庫、赤川次郎、眉村卓、森村誠一は、2度と手に取ることはありませんでした。森村誠一だけ毛色が違うのは、母が好んで読んでいたので、よく拝借して読んでいました。
いったい中学以来、何処に惹かれてこの本を、長年本棚に並べてきたのかを知りたくて「シンデレラ迷宮」を読み返しました。ところが年月が私を変えたのか、苦手となってしまっていた甘々の表現と物語、美しいメルヘンの世界と薄い会話に苦しみながらページを進めていきました。いくつかの表現は、この時代は許されていたことを知りました。
読み終えましたが、当時の私が何を考えてこの本を持ち続けてきたのかが、さっぱり理解できませんでした。感動も出来ないし、その時の気持ちも想像もできない50歳の私です。少し悲しい・・・確かに私の読書傾向は、凄まじく変化したことは自覚しています。この物語を大切に保管し続けていた私は、もはやこの世に存在していないようでした。
それでももう1度、目次を見ながら考えてみました。そこで引っかかったのが、第3章のタイトル「シーラカンスの夢」です。このタイトルにググッと惹かれていました。
子どもの頃「恐竜図鑑」でみたシーラカンス。内田康夫の「シーラカンス殺人事件」。生きたシーラカンスを見たいという野望。博物館で、シーラカンスが泳ぐ40秒の映像を繰り返し飽きることなく、見ていた私・・・謎が解けました。
私はシーラカンスが大好きだったのです。
1冊の物語の記憶で「シーラカンスの夢」という夢が詰まった言葉の表現を、私は40年近く大切にしてきたようでした。夢見る少女の私は消えましたが、シーラカンスを見たいという冒険心はまだ残っていたようです。
深い水の中を悠然と泳ぐシーラカンスを想像し、いつか生きた姿を見てみたいと思いを新たにしました。