なぜ「What a Wonderful World」は、心がじ~んとするのだろうか?
8月も明日で終わりますね~。みなさんいかがお過ごしでしょうか?
8月といえば、広島と長崎に原爆が投下された8月6日と9日、第二次世界大戦終戦の8月15日と、我々日本人にとっては平和を願う月。
そして1901年8月4日、ジャズの王様ルイ・アームストロングが、アメリカ南部ニューオリンズに生まれた月でもあります。
1971年にこの世を去ったルイの音楽で、今も世界中の人々に親しまれているのが「What a Wonderful World 」(邦題:この素晴らしき世界)。
1967年に発表されて以来、人々に安らぎと希望を与え続け、世界中の人々に愛されています。
静かなメロディーと、やさしく語りかけるような歌声。
穏やかな気持ちになると同時に、胸の奥がキュッとなるような、切なさがあるこの歌は、聴く人それぞれの感情を動かし、心を打つのです。
私も聴くたびに、心がじ~んとなり、涙することも。
なぜ「What a Wonderful World」は、心がじ~んとなるのでしょうか?
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この歌が録音された1967年のアメリカは、「世界のリーダー、自由と希望の国」という表看板とは裏腹に、ベトナム戦争や人種間の争いで、人々の心は、怒りと悲しみで疲弊していました。
ベトナム戦争は、1955年頃から始まり、終結は1975年と、長い戦争でした。
共産主義国家を目指し、ソ連・中国の支援を受ける北ベトナム軍と、東南アジアに共産主義が広がることを阻止したいアメリカが支援する、南ベトナム軍との戦いです。
1962年に本格的に軍事介入したアメリカは、1973年の撤退までに約400万人のアメリカ兵をベトナムに送りました。
「アジアの共産化を防ぐための正しい戦争」という政府の主張を、当初はアメリカ国民も支持していましたが、戦争は長期化、テレビを通して戦地の悲惨な状況が伝えられます。
戦死者も増加し、夫や息子、恋人や友人が、棺に入って帰ってきます。
「なぜアメリカがベトナムで、戦わなければいけないのか」という大きな矛盾に人々は気づき、政府への支持が怒りへと変わります。
若者を中心に反戦の声が上がり、国内外で反戦運動が激化します。
アメリカの問題は、ベトナム戦争だけではありませんでした。
1863年のリンカーンの奴隷解放宣言から100年経っても、人種差別は解消されず、争いは鎮まりません。
黒人の公民権を公約に掲げたケネディ大統領が、1963年に凶弾に倒れます。ケネディ大統領の死後、1964年に公民権法が成立したものの、社会的不平等は解消されず、1965年には過激派のリーダーマルコムXが銃撃されます。
1966年と1967年にはいくつかの大都市で暴動が発生。
1968年には、非暴力主義リーダーのキング牧師と、黒人の公民権運動への支援、ベトナム戦争反対を掲げた、ケネディ大統領の弟ロバート・ケネディ上院議員も、銃弾に倒れます。
ベトナム戦争と人種間の争いはアメリカ社会に、亀裂を生み、分断させ、暴動化が鎮まりません。人々は疲弊し、心に深い傷を負います。
苦しむアメリカ社会を憂いた、音楽プロデューサーのボブ・シールとソングライターのジョージ・デヴィッド・ワイスは、音楽で人々の心の傷を癒すべく「What a Wonderful World 」を作りました。
この歌に共感し、歌ったのは、黒人ミュージシャン、当時66歳のルイ・アームストロングです。
天才トランペット奏者で、歌手としても、たくさんのヒット曲を輩出、独創的なアイデアや高度な技術で、ジャズの基本を作り、ジャズを広め、世界中を熱狂させた「ジャズの王様」です。
スラム街で育ち、少年院でコルネット(トランペットと似た楽器)を手にした時から「私の人生はいつも音楽だった」という言葉通り、音楽一途。
「肝心なのは聴衆のために生きることなんだ。聴衆のためにわたしたちがいるんだから」という言葉通り、ファンに喜ばれることを第一にしていた彼の音楽は、人種・民族に関わらず、多くの人に愛されました。
その人気はアメリカだけにとどまらず、世界のスターとなり、ヨーロッパや日本でもたくさんの公演を行い、熱狂的な歓迎を受けました。
しかし、アメリカに帰れば、黒人はさげすまれ、白人と同じように振舞うことを許されません。ホテルも、レストランも、トイレも、白人と黒人は別。
ルイのようなスーパースターでさえ、自らのショーが行われるホテルや劇場の表玄関からは入れませんでした。
裏口から入り、キッチンを通って、ステージに向かうのです。
彼が白人ならば、表玄関に車を付け、迎えのボーイが荷物を持ち、楽屋に通され、ステージに向かうことができたのに。
ルイも他の黒人と同様、「人種差別は、人生最大の問題」でした。
ルイと親交のあった20世紀を代表する指揮者、レナード・バーンスタインは「ルイの音楽にはかすかな痛みがある」と評しています。
「What a Wonderful World 」に感じる「胸の奥がキュッとなるような、切なさ」は、差別され続けたルイの悲しみと苦悩、と思える言葉です。
しかしルイは、肌の色で人間の優劣を決め、差別する祖国や人々に対して、拳を上げることはありませんでした。
「What a Wonderful World」の歌詞のように、拳を上げるよりも、握手をするように、お互いをわかり合うことが、問題解決の方法だと、信じていたからです。
ルイは亡くなる1年前の1970年に「What a Wonderful World」の新しいバージョンを録音しました。
前半にルイの語り=メッセージが入ったものです。
晩年をむかえたルイが、人生に大切なものは何か、私たちにできることは何かを教えてくれる、遺言のようなメッセージです。
※メッセージ入りの動画を貼り付けました。
※noteクリエイター、静香Landryさんの心に沁みる和訳を、引用させていただきました。
ルイのメッセージと歌を聴いていると、子どものいない私は、甥姪やその子どもたち、友人の子どもたちの顔が思い浮かぶのです。
「おばさんは何もできないけれど、みんなにこの歌を聴いて成長して欲しい、と思っているよ。いつも握手の気持ちを忘れないでね。夢と希望ある未来をむかえて欲しい、と心から願っているよ」と、ひとり思うのでした。
今回もお読みいただき、ありがとうございました。
またお会いしましょう。やんそんさんでした。
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