好きな恋愛映画を語る Vol.4 花束みたいな恋をした
どうも、ヤンパチーノです。今日はnote小説『それまでのすべて、報われて、夜中に』第十六話の公開予定日でしたが、前回第十五話で第一章の区切りとなってちょっと一息吐きたいのと、先日観た劇場公開中の映画『花束みたいな恋をした』が自分が書いている小説にも繋がる部分も多く、映画について色々と書きたくなったので、こちらを代わりとさせて頂きます。第十六話待っていただいた方、すいません。って、待ってた人いるのか?いると信じて。。
Vol.4: 『花束みたいな恋をした』(2021年)
映画館で観た予告編で、菅田将暉、有村架純という華やかな役者の並び、『花束みたいな恋をした』というタイトルの印象から、近年の日本映画の一大ジャンルとなってるティーンを対象にした恋愛映画かなと思い、自分には関係ないとスルーしていた。しかし、いつも魅力的な映画を紹介されている月夜のたまさんがこの映画をnoteで紹介していて、自分も大好きだったTVドラマ『カルテット』の坂元裕二脚本(坂元脚本は『最高の離婚』も好き)、土井裕泰監督作品であることを知り、月夜のたまさんが「これは自分の話」と書かれていたことから、一気に興味が湧き、実際に観たら見事にハマって、パンフ(固有名詞の解説など充実)に加えてノベライズ小説まで昨日読み終わったところ。
2015年冬、京王線明大前駅で終電を逃したことをきっかけに偶然出会った大学生の八谷絹(有村架純)と山音麦(菅田将暉)。好きな音楽、映画、小説、漫画の趣味が驚くほど同じ二人は、急速に距離を縮めて付き合い始め、同棲を始める。大学を卒業してフリーターとして生活を始める二人は、それぞれ社会と向き合う中で二人の関係性も変化していく。五年間に渡る恋の物語。
他にも同じような感想を言ってる人がいたけど、観ている間、ずっと自分の過去の恋愛を思い出して意識を映画に引き戻す作業が大変だった。私もまさに劇中の二人と同じ学生時代に好きなカルチャーが似ている異性を好きになったことがある。そして、現在その体験を元にした半自伝的小説を書いているほどに人生に影響を与えた経験だったと思う(時間があったら小説読んでみてくれると嬉しいです)。
世の中のマジョリティではないけど、一定の割合で存在する、音楽や映画に単に娯楽や息抜きという以上の意味合いを感じ、それが自身のアイデンティティの形成に大きな役割を担ってる人間。私もそうです。そして、特に仕事や結婚など、他の要素で「自分にはコレがある」と思えることが少ない学生時代には、自分というものの9割くらいを「この音楽が好きな自分」「この映画が好きな自分」の組み合わせが構成していた感覚がある。
そんな時期に、自分と同じカルチャーが好きな異性と恋愛するということは、イコール自分がこの世界でオンリーワンな存在であることを親以外の他者から承認された気分になれるということだ(親は生まれただけで承認してくれるのでまた意味が違う)。この時に一致する好きなミュージシャン、映画の項目が多ければ多いほど、二人の結びつきは深くなり、一方で自分達以外との境目は強化される(だからこそ、私はmixiのコミュニティ機能が好きだ。マッチングアプリなら断然pairs。「映画好き」「フェス好き」なんて粗いメッシュの分類じゃ何も定義されたことにならない。「フェス好き」と一括りに言っても、フジロックと森・道・市場とラビリンスとロッキンオンとap bank fesが好きな人は話す言葉が違うレベルに違う。わかる人にしかわからない話で熱弁して、すいません。。。)。
これまで生きてきた人生(往々にしてあまり輝かしいものではない)が全て肯定されたような感覚。映画では、坂元脚本による身に覚えのあるリアリティを感じさせる台詞と二人の自然な演技によって、その多幸感にどっぷり浸ることができる。だからこそ、自分にもあったかもしれない時間、いや、僅かながらに確かにあった瞬間を思い出して、胸が締め付けられる。
注:ここから先は一部ネタバレ含みます
そんな二人も社会に出た後、お互いの考え方や価値観のズレが徐々に生まれて、あれほど幸せだった時間が無くなっていく。
私は、同じカルチャーが好きな者同士はきっと価値観や人間性も合っていると信じたいけど、現実はそうではないのかもしれないし、それは時間によって変化していくものなのかもしれないということをこの歳になってやっとわかって来た。そんなホロ苦い現実に想いを馳せた。
ちょっと脇道に逸れるが、何でもかんでも好きなものが同じと思っていたけど、本当は恋愛感情の上昇期のマジックで、好きじゃないものも相手が好きならと好きだと思い込んだり、お互いに寄せてる部分もあるということも実体験として覚えがある。映画の中でいう「ミイラ展」や「ガスタンク」がそれに当たる。
この映画は、幸せな恋愛に社会や時間という容赦ない現実を突き付ける。しかし、それだけに止まらず、それでも二人が最高に幸せだった瞬間は確かに存在したし、かけがえのない愛しい経験だったということを巧みな演出で伝える。そのことに救われるし、観終わった後は哀しさを感じつつもとても優しい気分になった。
映画の中で、二人が好きなカルチャーとして大量に現れる固有名詞の多くは、世代の差もあって自分にとっては当事者として思い入れのあるカルチャーではない。それでも、同じようにある特定のカルチャーに思い入れた経験がある人なら共感できるに違いない。noteで映画の魅力を的確に言語化してくれるFumiさんが「創作物を愛する全ての人のための物語」と表現されていたが、まさにその通りで年代は関係なく共感できるだろう。
とはいえ、映画の二人とほぼ同年代のカルチャー好きには固有名詞が出る度に刺さることが想像できる。「これこそ自分の映画だ!」と私以上に強く思うかもしれない。自分にとっては、公開時に主人公と自分の年齢がほぼ同じだった映画『モテキ』がそれに当る(以前付き合った同じくカルチャー好きの彼女に聞いたら『モテキ』は主人公の男が身勝手過ぎて嫌いと言われたけど。。。ちなみに、その彼女は『勝手にふるえてろ』が好きだった。そういう意味では、『花束みたい〜』は男女両方の視点から描かれてるという意味でレンジの広い映画だ。)
長くなったけど、私と同じようなタイプのカルチャーに色々と自分を投影しがちなタイプの方(私は大好きです)にはお勧めですので是非!
いや〜、他にもファミレスやカラオケの場面とか仕事論とか、まだまだ語り足りない。。。終電後、靴を脱いで上がるタイプのチェーン居酒屋で始発の時間まで誰かと語り明かしたい気分。
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