鉄印帳旅(軍艦島に上陸) #121
前回からの続きです。
軍艦島に上陸
いよいよ軍艦島=端島が姿を表しました。
ちなみに下記の写真で右側は中の島といってこちらも炭坑=炭鉱です。
繋がってるかのように見えますが、離れてますよ。
なお、端島で人が亡くなると、こちらの中の島にある火葬場で焼かれてお墓に入れられたそうです。
端島には火葬場がなかったそうです。狭いから何でもあるわけじゃないね。
4倍ズームでずいぶんと近づいたように見えますが
広角にするとまだ距離があります。
さて、軍艦島に訪れるにあたって、最大の懸念は上陸できるかどうかです。
波が高いと上陸できないんですよ。
船が岸壁にぶつかっちゃいますからね。
今日は上陸できるのか?
心配していたのですが・・・。
あっさりと着岸。そして上陸。わーい!😆
いや、この天気、この波で無理とかありえんでしょ。
船を予約した数日前から「絶対に上陸できる」と確信していました。
まぁまぁの晴れ男ですからね。😆
第1見学広場
船のスタッフは何やらスピーカーを持ち込んでいます。
トンネルをくぐる前のファーストショット。
トンネルをくぐるとその先は1つ目の広場となっていました。
前日にVRやら模型やらで予習していたおかげで、あれが小中学校だということは知っています。
年が上になるに従って、上の階になったんだろうなぁ。
上陸して、見学とともにガイドからの案内が聞けるポイントが3つあります。ここはそのうちの1つ目。
ここは世界遺産「明治日本の産業革命遺産」の端島炭坑となります。
ふむふむ。炭鉱じゃなくて炭坑になるんだ。間違えそう。
こちら側を見ていると・・・。
トンビ?がよく旋回してました。
かっぱえびせんはないなぁ。あげたら周りから怒られそうだけど。🤣
端島のおおよその見るポイントはこんな感じかな?
ちなみに上陸できたけどこれら島の内部を自由に行き来できるわけではもちろんありません。
3つある見学のポイントにだけ行くことが可能でそれは島の南側のみです。
トンビが近づいてこないかな?とスマホを待ち構えていたのに去っていってしまった。
一緒に参加した皆さんもガイドさんの説明をしっかり聞いていました。
真ん中の建物の左に階段が見えるけど、その上の辺りに端島でもっとも偉い人が住んでいた立派な1戸建てがあったらしいですよ。
みんなは団地に住んでるのに偉いから1戸建てって。
島で権力振りかざしてたのか。へぇ~。
第2見学広場
1つ目の広場である程度、見終えたら次の広場に移動します。
このレンガは倉庫のあとらしい。
この後ろには総合事務所というのがあったらしいんだけど、自分にはなんとなく鉄道のホームのように見えました。
真ん中の建物はトイレかなぁ?
右のむき出しの階段は第2竪坑への入口らしい。
島を見守るように作られている白い肥前端島灯台はこの端島炭坑が1974年に閉山されて、それまで煌々と輝いていた島が闇となり近隣を航行する船にとっても危険となったために1975年に新しく建てられたものらしい。
灯台の右にある建物は水を貯める貯水タンクなんだとか。
それにしても大きなコンクリートが朽ち果ててるなぁ。
これは昔の防波堤のようです。
明治の頃はまだコンクリートがないけど、こうやって防波堤を作って埋め立てで少しずつ島を広げていたらしい。
第3見学広場
続いて第3見学広場に移動していきます。
ポツーンと佇む建物の左が第3見学広場です。
岸壁で釣りしている人がいたんですけど・・・。元住人?
端島に釣りに来ている人は何名かいるようでした。
この広い南側にはプールもあったようです。
海水プールだったみたい。でも閉山の1~2年前は水道水になったそうですよ。
寒い時期は子供たちの野球場だったみたいですが。😆
朽ちたコンクリート塊とコンクリート住宅。
左が31号棟アパートで正面が30号棟。
この30号棟は大正5年に作られた7階建てのとても古い建物だそうです。
何かが見えるかな?
いろいろ撮ってみた
第3見学広場での見学を終えたら、もう終了なので戻って行きます。
せっかくなのでいろいろ撮った写真を上げておきます。
レンガの塊。
何のモーターだろう?昇降機かな?
これはレール?
石炭を引き上げてた?
陸地が見える!
いろんなものが散乱している建物の中。
小中学校から伸びるベルトコンベアー跡。
見学を終えたら、船にまっさきに乗り込みます。
2階を確保するんですよ!😆
下には小魚が泳いでました。
おかげで2階の眺めの良い席に座れました。
これから端島の周りをぐるっと1周して帰るみたいです。
輝かしい時代があったことを思い浮かべながらお別れです。
続く
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