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たくさん歩く(大垣城) #156

6月のある日、大垣に用事があったのでnoteのネタを求めて立ち寄ることにしました。

大垣公園と大垣城

無料の奥の細道むすびの地第二駐車場に車を停めて、すぐ近くにある大垣公園に来ました。
昔は動物舎とかあったけど、今はありませんね。
生き物はそう簡単に飼わない方がよいと思う派なので、仕方がないかな。

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水都(すいと)の「大垣市」らしく噴水も粋です。
イルカ・・・らしいけどナマズにも見える。

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うん。イルカっぽいかな?

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大垣公園からすぐ大垣城が見えます。
戦争で燃えなければ今でも国宝だったはずのお城です。

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空襲されなかったら、ごちゃごちゃとした雑多で面白い城下町が残って、岐阜でも高山を超える一大観光地になっていたんじゃないかと思うと本当に残念に思う。
戦争で燃えたお城は他にもたくさんあるから、どれも残念ですけどね。

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大垣空襲では焼夷弾の炎への対応に疑問を持つ若い兵士らが
「炎を消すよりも避難しろ!」
と伝えていたおかげで空襲による人的被害は他の都市に比べて少なかったらしい。
他都市の状況から水では消せないと知っていて対処を変える賢くて勇気のある人がいたんですね。

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すごく久しぶりにお城に登ってみることにしました。

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杭瀬川の戦い

杭瀬川の戦いは関ヶ原合戦の前日の戦い。
そのジオラマにちょっと見入ってしまいました。

虚空蔵山(こくぞうさん)は今は金生山(きんしょうざん)と呼ばれて石灰を算出して鉄道で名古屋まで運んでいます。
岡山は関ヶ原合戦後はお勝山(おかちやま)と呼ばれる山になっています。
岡山に東軍(家康)、杭瀬川の東にいるのが西軍です。
西にいるのが家康で、東にいるのが西軍。

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杭瀬川はこんな川です。
小学校の時とか、近所のクリーニング屋で鮒釣りのためのグルテン買って、釣りにきてました。
鮒じゃなくてナマズが釣れて外すの怖いなぁとか思った記憶があります。
昔はこんなコンクリートで固められてなかったけどね。

杭瀬川の戦いでは島左近がこの辺りから川を登り、敵を挑発して杭瀬川を渡らせて潜ませた兵に襲わせて前哨戦としての勝利を収めたらしい。

ちなみにこの時に石田三成は堅牢な要塞だった大垣城にいたのだが、西へのルートを塞がれるのを嫌って大垣城を出て関ヶ原の笹尾山に杭瀬川の戦いの翌日に移動する。

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うちの実家は真ん中の黒い馬がいる辺りだなと注視する。

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天守で伊吹山方面を見るが曇っていて山頂までは見えない。

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豊臣秀吉と明智光秀。
なぜ?秀吉はまぁ良いとして。
明智光秀のポジション、そこは石田三成じゃないの?😆
杭瀬川の戦いの時は石田三成が大垣城にいたらしいのに。

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九曜紋

●が9つあるのは九曜(くよう)という家紋で大垣城の城主戸田公の家紋。
昔は黒丸が星を意味していたらしい。
昔は家紋としてダサいと思っていたけど星紋と聞くとちょっとかっこいい。

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そう言えば小学校の時、臨時で戸田先生というさわやかイケメンの若い先生がいたけど戸田家の末裔だって聞いた気がする。
武家の出自とかなんか羨ましい。

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さて、城下町を散歩します。

続く

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