生きていくことは、難しいようで単純だ。
瀬尾まいこ著、「天国はまだ遠く」を読んだ。
主人公の千鶴は、会社員で営業職。自分の人の良さでかえって結果を出せず、上司や同僚からの小言が自分に対する侮辱に聞こえ、いつしか会社に行くこともできなくなり、体を壊した。
全てを終わらせるため、自殺をするべく北へ向かう特急列車に乗った。奥へ奥へとタクシーに身を任せ、たどり着いたのが木屋谷という集落の「民宿たむら」だった。この民宿での暮らしが、千鶴に「生死」と向き合う時間を与えることとなる。
コロナ禍で、自ら命を絶つ人が増えたように感じる。増えたのも確かかもしれないが、身体的な病だけでなく、心の状態が自分の生死に関わるんだということを、今改めて実感している人も多い。そのため、誰かが自殺した、という話題に人々の注目が集まっているのは否めない。コロナ禍に関係なく、今までも、自分の悩みと向き合って、結果命を絶つという選択をする人が存在していたのだから。
会社でも学校でも家でも、社会の中に生きている限り、悩みからは逃れられない。どんなに逃げようとしても、ストレスは襲ってくるし、体も壊すし、ときには人との関係も全て閉ざしたくなって、周囲の人全員が敵のように感じることもある。
もうこんな社会で生きるのなんてやめてしまいたい、そう思ってしまうこともある。
自分が消えてしまえば、死んでしまえば全て解決する。どれだけ悩んでも頑張っても、報われなかったのだから仕方ない。
けれど、自ら命を絶つということは、相当に難しいことだ。
冒頭、千鶴が命を絶とうとするシーンがある。彼女は「死」という未知の体験に自ら進んでいく。きっと心の中には、戸惑いや恐怖も少なからずあっただろうけれど、どれくらいのことをすれば死ねるかなんてわからないのだから、自分が思う通りに動くしかなかった。
結局、千鶴は自殺未遂に終わるのだが、それから千鶴は「死へ向かう怖さ」を知った。自ら死ぬということは、未知への体験と、知ってしまった時の計り知れない恐怖と向き合う、相当難しい行為だ。
千鶴は、そこからなんとなく民宿で生活していくのだが、ほぼ自給自足で生きていく民宿のオーナーの生活を自分も経験し、気持ちを整理していく様子が書かれている。
作中は、千鶴が生きる選択をしたこととは対照に、千鶴が生きるために命をいただいた鶏や魚を捌くシーン、とれたての新米をたらふく食べるシーンもある。
命をいただいて、自分の命をつなぐ。千鶴は無意識だろうけれど、生きる糧をいろいろなところからもらっている。
命をいただく瞬間と向き合い、改めて「死」が残すものの大きさを知る。
これは私たちも同じことだ。
生きていくこと。辛いことも多いが、生きること自体はとても単純なものだ。その単純さの中に、深くて重たいものがあるのだけれど。
もう少しだけ、単純さに目を向けて生きてみよう。生きることに、失敗などない。誰も怒らないし、怒る資格なんてない。
そう思えた181ページだった。
あまり長い小説ではないので、気持ちが弱っているときにもサラッと読める。主人公と同じ境遇の人にも、ぜひ手に取って欲しい。