屁理屈かもしれないけど、その1
近年、いろんな価値観に触れ過ぎて、結局何がしたいのかわからなくなったりする。
意味もなく、気づかずに自分を傷つける人やただ目の前の楽しいことだけをする人、犠牲になっている自覚をしないで日々を過ごしていたり、、、
どちらかというとマイナスな面をあげてみはしたものの、何が正解で不正解で、正しくて、そうではなくての判断基準がひとつではなく、さらに様々な解を表向きに手に取れるようになってしまったからこそ、希望的選択肢も増える。
それらの情報を、僕らは全て己が価値観の中で選べるのだろうか、
選べたとして、それが「正しい」なのか、、
決めるのは、自分であって、評価するのは、他人。
だからこそ、もがく悲しむ、そして楽しむ
最近、標準と思っていた事が、間違っていると気づいた人がいてね。
ようやくかーと思いながら、その世界のこともある程度知ってるからには、どうしても淀みは消えない、欲望ってやつかな、意欲や意志ではない、とても中途半端な位置でいきているかのような感じがしているんだよなー
学生の頃、夢に出ていた真っ白な空間に、黒い淀みから棘が出てきて、
それでも痛くはなくて、色が突然カラフルになったりもして、
そ子は自分なはずなのに、遠くから眺めているような感じで
よくはわからないなーw
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