見出し画像

昨日は抑うつでした。(双極Ⅱ型の性格と病気の混交)

初めて上のバナーの写真をお借りした。説明を見ると駐車場の空きを表しているらしいけど『そら』に見えるなと。空のどよんとした光の少ない感じが今の気分に合っている。

昨日はほとんど一日動けずにいた。性格には自宅にいたが家事をする気にならずちょうど休みの同居人におまかせで丸投げだった。シャワーを浴びる気力もなく食べて横になって携帯を触って…を繰り返した。内心は撮り溜めて他動画の編集をしなきゃと思っていたので何もできない自分にイライラしていた。そういう時の自分は呆れるほど考えなしで本意なくメントスコーラ(炭酸水にメントスのタブレットを入れると泡が吹き出して噴水状になるアレ)を作ってしまった。飲んでいた無糖の炭酸水に風味が欲しいと思わず塩分タブレットを入れてフタを閉めて放置していた。もちろんフタを開けた瞬間にお約束どうり炭酸が噴き出し全身炭酸浴をするはめになった。それがきっかけで夕方シャワーを浴びることができたのだがそれがなければ入浴すらできなかったかもしれない…。

見出しに書いた双極Ⅱ型と性格についてだが、前の記事で双極症、双極性障害の型について省略してしまったので、まずそこから軽く説明したい。双極性障害にはⅠ型とⅡ型というタイプ分けが存在する。見慣れないかもしれないがこのギリシア数字が正式表記になる。違いは端的にいうと躁状態の『躁の強さ』だ。Ⅰ型は「躁状態と鬱状態」Ⅱ型は「軽躁状態と鬱状態」という病態が見られる。詳しい診断はここでは省くがⅠ型は幻覚や万能感高揚感が強く入院が必要になることが多い。個人的な所感では通常時、個性が強い人が多い気がする。一方Ⅱ型は軽躁時に本人も周囲も困らない程度のエネルギッシュな状態が出る。普段は人懐こく気遣いが得意で周りに譲るタイプが多い(気がする)一方鬱状態の時は一生を通して見るとⅠ型のが短いとか、Ⅱ型は人生の半分を抑うつで過ごし自殺率が高いとか資料にはいろいろ書いてあるがどのみち死にたくなるほどの鬱状態と自己嫌悪がずっとつきまとう病気なので苦しいことに変わりはない。

ただ、見過ごされがちなのがⅡ型の場合自分の本来の資質(性格)と症状の混同で、周りより本人が強く感じて苦しくなりがちなのだ。そして昨日の私がまさにそうだった。軽躁状態を「自己肯定」と捉えてしまうなら鬱状態を「自己否定」してしまう。できるのが当たり前になってしまうと活動できない自分はダメである、存在価値がない、もう戻れないかも…など客観視できずに苦しむ。この病気は病気ではあるが、本人の性質そのものに関与する部分が多いのであまりネガティブに捉えず付き合うのが正解だと最近は処理していたはず、なのにだ。

現状私はお恥ずかしながら定職についていない。(恥ずかしいというこだわりが私の呪縛の一つでもある)2月に前職を退社したあと、コロナ騒動で転職活動が滞っている。(もう一つの持病、気管支喘息の調子が良くないのと、子供たちが休校で家にいるべきだと判断をしたためだ。)自分で決めた生活様式なのに内心いつも自分を責めている。その間に転居をしたりそれなりに忙しくしていたが家にいることが増えたため外的活動が強い負担になっていたようだ。思えば一昨日は無理をした。わかりやすく箇条書きにしてみる。

・3時間睡眠で早く起きて次女の見守りをしていた。

・通学の送りをした。転居したためバス通学になり、遅刻しそうだったのでバイクで送って行った。

・午後は長女の通学定期券を買うのに付き合った。経路が変わり電車通学になったためだ。

健常に生きている人にはこれだけで?と思えるかもしれないが多分この三つが自分でも思っていた以上に刺激に、というか負担になっていたのだと思う。翌日昼前に起きた時は何もやる気がなくなっていた、そしてそんな自分にとても焦り憂鬱だった。今思えばシンプルにエネルギーが空になっていただけだったんだなあ。気づいていたら同じやる気がない1日でも違った過ごし方と気分を手に入れていただろう、そして人生はいつも不可逆なのである。

やはり双極症は日々自己観察、自己管理の人生を送るべきであるし、憂鬱は抱え込むだけQOLを下げるのだ。と実感した日であった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?