京都初詣2025/冬の京都/京都ツウ参り&パワースイーツ/吉野太夫[京都左京⑯中京⑩右京⑬西京⑥下京④]
1月上旬は、下鴨神社・松尾大社・梅宮大社など二十二社制に参拝し、北野天満宮・平等寺・城南宮など有名どころも行きつつ、マニアックなところを攻めてみた。ラストは吉野太夫の島原へ!!
旅行記なのでパワースイーツの写真を先に載せてみた。
食べ過ぎたな・・。って2024年もそんな感じだったな・・・2024年は『京都初詣2024「下鴨神社/神泉苑/松尾大社/梅宮大社ets」2025年からルール変更◆左京⑯中京⑩右京⑬西京⑥下京④|やんまあ』です。
▼ルート
▽2025年01月02日から5日-:下鴨神社/松尾大社/梅宮大社/梅津大神宮
詳細は次をどうぞ!
#梅津大神宮:そのうち公開
▽2025年01月06日(月):平等寺/仙太郎
#平等寺 :無病=6猫守り!がん封じ筆頭「平等寺 (因幡堂 / 因幡薬師)」日本三如来は京都と鳥取繋がり
私のNOTEは次の通り。(無病=6猫守り!がん封じ筆頭「平等寺 (因幡堂 / 因幡薬師)」日本三如来は京都と鳥取繋がり【烏丸四条五条シリーズ】|やんまあ)
#仙太郎 :株式会社 仙太郎
御屠蘇!!
▽2025年01月07日(火):西院春日神社
#西院春日神社「 #若菜節句 」
私のNOTEは次の通り。(四条通封鎖/斎王所縁の「西院春日神社」若菜節句/霊石・疱瘡石!祭りは烏丸と河原町だけじゃない西院でもしているんだ!?【京都】【嵐電シリーズ】|やんまあ)
▽2025年01月09日(木):うずまさふたば
妻が買ってきた。出町ふたばの豆大福と思ったが違うかった。ああ~土生立した人の店だと思ったが、そうでもないらしい・・・。
で、今年の京都「初康申祭」は2月ですね。
過去の「康申祭」をどうぞ!!
▽2025年01月11日(土):北野天満宮周辺
#地蔵院 (#椿寺):★秘仏公開★レアなアフロ仏「地蔵院(椿寺)」京の冬の旅2025
詳細は次のNOTE参照(https://note.com/yanma_travel/n/n6039f672d455)ですが、本NOTE公開時は未公開なので簡単に説明しておきます。
重源が中国から招来したもので、善導の作とされ、本堂は毎年正月三が日のみ参拝ができる。また、行基作の地蔵菩薩は、安産の信仰を集めている。元々は地蔵菩薩を本尊としていた。
#成願寺 #長宝堂 :北野天満宮の北野七保の三之保社「成願寺/長宝堂」
詳細は次のNOTE参照ですが、本NOTE公開時は未公開なので簡単に説明しておきます。
「じょうがんじ」と読む
1577年、武将・本郷盛久が良雲を開山としてして創建
檀家は本郷姓が多く、本郷寺とも
1578年、実誉上人が創建したとも言われている
大正時代に境内から2基のキリシタン墓碑が発見された
本尊は平安時代の「阿弥陀如来坐像」で、玉眼なんだそうな
平安時代の玉眼といえば奈良・長岳寺(私のNOTE)が初の認識
運慶の父で慶派の祖・康慶作
脇壇に平安時代作「阿弥陀如来坐像」を安置し、伏見・横大路の廃寺・西福寺の遺仏
境内には長宝堂(ちょうほうどう)も建立されている
長宝堂は北野七保に数えられた三之保社・長宝寺(長寶寺)の遺構とも言われている
長宝寺には菅原道真(すがわらのみちざね)が刻んだ本尊・十一面観音菩薩像が安置されていたとも言われている
長宝堂は洛陽三十三所観音の29番札所になっていたとも
2007年、「髪繡涅槃図」が発見された。
#大将軍八神社 :神像公開!!!!!
神社で神像特別公開!!
神像が特別開扉していました。
おお~仏像だったら降魔印じゃないか。
私のNOTEは次の通り。(https://note.com/yanma_travel/n/n3dfb8f8e13a1)
ですが、こってりした2.0版を出します。2025年度中に。
#三羽唐 と 北野天満宮南側「 #妖怪ストリート 」
#金泉寺 #西正寺
#立本寺 :北野の鬼子母神「立本寺」染井吉野・枝垂桜など約40本
詳細は次のNOTE参照ですが、本NOTE公開時は未公開なので簡単に説明しておきます。
日蓮宗大本山・本山の二十一ヶ寺のひとつで、現在京都市内ある八ヶ寺「京都八本山」のひとつ
立本寺は妙顕寺・妙覚寺とともに日蓮聖人の孫弟子・日像上人によって開山され、「龍華の三具足(りゅうげのみつぐそく)」と言われている
1321年、道場として開いた妙顕寺龍華院が始まり
1341年、四条櫛笥に移る
1387年、比叡山・延暦寺によって破却された
1393年、日実上人が再興し、「本寺を立てる」という意味から立本寺に名称を改めた
1416年、立本寺となる
1536年、天文法華の乱によって焼失して堺に避難
1542年、第105代・後奈良天皇の法華宗帰洛の綸旨によって新町三条に再建された
1594年、関白・豊臣秀吉の命よって京極今出川に移り、江戸時代初期には第108代・後水尾天皇から園林堂(客殿)を賜る
1708年、宝永の大火で焼失し、現在地にて再建
明治維新前は20に及ぶ塔頭を擁し、現在でも4ヶ寺の塔頭が残る
本堂、刹堂・鬼子母神堂、客殿・園林堂、鐘楼、山門・総門がある
亡くなった母親が子供のために飴を買いにきていたという「幽霊子育て飴」や「兜の御影」などいくつもの伝説が語り継がれている
境内に染井吉野・枝垂桜など約40本の桜の木が植えられ、桜と境内の本堂・山門・参道などの光景が美しい
#清和院 :清和天皇ゆかりの寺「清和院」今の京都御苑の中から移転
詳細は次のNOTE参照ですが、本NOTE公開時は未公開なので簡単に説明しておきます。
851年、第55代・清和天皇は、現在の京都御苑内東北あたりにある右大臣・藤原良房の染殿邸に生まれる
清和院は文徳天皇が染殿后の請いにより、藤原良房邸内の染殿第の南に仏心院を建て、一演法師作の地蔵菩薩を安置したのが始まり
876年、清和天皇が譲位し、染殿第が御在所になり、皇子親王の住院に定められた
1308年、照空信日が仏心院を勅寺・清和院に改めて再興した
1425年、清和院地蔵堂の参詣について記されている。(『薩戒記』より)
1467年、兵火により以後、衰微
1492年、清和院地蔵堂の再建
清和天皇が清和源氏の祖であったことから、室町将軍足利氏も深く帰依した
1531年、感応寺の河崎観音堂が焼失し、本尊・観音菩薩が当院に遷される
1661年、御所炎上の際に清和院も類焼し、後水尾院と東副門院によって現在地に再興された
御所の東には清和院御門が建っており、今でも清和院の名残をとどめている
聖観音菩薩は、一演法師が創建した感応寺内の観音堂の本尊であったが後に清和院に移された
洛陽三十三所観音霊場第三十三番札所
木造地蔵菩薩立像@重文で玉眼、極彩色の精緻な鎌倉時代の作
地蔵菩薩は現在地への移転にあたり,仏心院から本尊として迎えられた
脇には弘法大師・空海作と言われている木造「聖観音立像(河崎観音)
洛陽三十三所観音霊場第33番札所のもの
現在九州国立博物館に所蔵されている
本門佛立宗 #宥清寺 :北野天満宮の愛染明王「宥清寺」日蓮門下としては関西最古
詳細は次のNOTE参照ですが、本NOTE公開時は未公開なので簡単に説明しておきます。
日蓮門下としては関西最古の寺院
青柳厨子(せいりゅうずし)・本門寺と称していた
1308年、日蓮宗開祖・日蓮の直弟子で、藤原定家の末孫・中老越後阿闍梨(ちゅうろうえちごのあじゃり)・日弁上人(にちべんしょうにん)が藤原定家旧邸に青柳山本門寺を創建したのが起源
応仁の乱の兵火によって丹波亀山に移った
1599年、京都に帰洛
1694年、比叡山延暦寺の末寺・宥清寺を得て、日蓮宗・妙蓮寺の末寺になる
1869年、廃寺同然であった宥清寺を開導日扇聖人が学問所として借り受け、後に「佛立修学所」と称する
1933年、現在の場所に移り
1946年、本門仏立宗を創立
日蓮聖人の尊像は、中老日法上人が謹刻した一木三体の御尊像の一つで、祖師が自ら魂を入れられた「手自開眼の御尊像」である
近年の科学的調査によって、日蓮門下各寺院中では最古の御尊像で、鎌倉時代に彫刻されたことは間違いないよう
廃寺同然であった宥清寺に、もっとも由緒ある御尊像が護持されたことになる
#北野名物あわ餅 : #粟餅所・澤屋
#カステラドパウロ
北野天満宮に行くと買ってしまうところ。
ポルトガルのカステラなどあります。過去旅行記『京都上京⑥西京④◆桂離宮&北野天満宮の梅 - じゃらん旅行記』でどうぞ
#北野天満宮
私のNOTEは次の通り。(完全制覇「北野天満宮」梅/紅葉/パワースイーツ「東向観音寺」|やんまあ)
北側に抜けて左を向けば平野神社!!
#平野神社 :
私のNOTEは次の通り。(平城京宮中から平安京「平野神社」京都桜の名所!源氏平氏の氏神!伊勢・石清水・賀茂・松尾の次の位!|やんまあ)
▽2025年01月13日(月):泉涌寺の七福神の旅
#御食事屋いなば
#泉涌寺 「 #泉山七福神めぐり 」
私のNOTEは次の通り。(唯一の天皇菩提寺「泉涌寺(御寺)」秘仏が少ない仏像!塔頭に運慶・快慶・湛慶あり【京都】|やんまあ)
#桃山陵墓監区事務所と月輪陵墓監区事務所
妻の祖父母から引き継いだ天皇陵の御朱印ですね。正しくは「御陵印」です。
#剣神社 :
#今熊野神社 :京都三熊野「新熊野神社@本宮」-熊野詣シリーズ
私のNOTEは次の通り。(京都三熊野「新熊野神社@本宮」-熊野詣シリーズ-【三十三間堂シリーズ】|やんまあ)
▽2025年01月16日(木):年一公開
#城南宮 :梅/藤/椿/紅葉/神苑が雅なり「城南宮」小川に杯を流し和歌「曲水の宴」で神楽【京都】【京都伏見シリーズ】|やんまあ
私のNOTEは次の通り。(梅/藤/椿/紅葉/神苑が雅なり「城南宮」小川に杯を流し和歌「曲水の宴」で神楽【京都】【京都伏見シリーズ】|やんまあ)
#北向山不動院 :京都を守護するため不動明王は北向き
不動明王像を都を守護するために北向きに安置したのが始まりで、天皇のものを社殿とし、毎年1月16日にこっそりと盛大なお祭りが行われる。鳥羽上皇の誕生日にあたる日で所縁の不動明王踏下坐像@重文が公開!!
詳細は次のNOTE参照ですが、本NOTE公開時は未公開なので簡単に説明しておきます。(https://note.com/yanma_travel/n/n7bf55e1981f8)
本尊は不動明王
開山は覚鑁
近畿三十六不動尊第22番札所
日本で最初の不動尊霊場
1130年、病にかかった鳥羽上皇はその病気平癒の祈祷を自らが帰依している真言宗の僧・覚鑁に行わせた
不動明王が出現するなどして上皇は回復
その後、上皇は勅命により覚鑁を開山させ勅願寺とした
不動明王を本尊とし、平安京を鎮護する意味もあって不動明王像は北の平安京に向けられている
1155年、播磨国大国庄を寺領として藤原忠実が境内の整備にあたった
1712年、東山天皇の旧殿を移して本堂にする
#手づくりハンバーグの店とくら 新堀川店:
#白河天皇 成菩提院陵
#アトリエ京ばあむ :
工場見学が無料。完全オートメーションにはなっていないが、自動で箱を組み立て、パッケージ化された製品が箱詰めされていく風景などは面白い。
▽2025年01月18日(土):京都シネマから四条大宮へ!!
#京都シネマ 「 #鹿の国 」
#博多もつ鍋やまや 四条烏丸店:京都市下京区四条烏丸東入ル長刀鉾町8番 京都三井ビル B1F
明太子!!プリン体カモーン!!ということでここから歩きます。
#本能寺跡
#空也堂 :口から阿弥陀6体レア仏像本丸
詳細は次のNOTE参照ですが、本NOTE公開時は未公開なので簡単に説明しておきます。(https://note.com/yanma_travel/n/ne4003383942f)
938年、空也上人に深く帰依した、平定盛の草創によるとも
939年、空也が開創とも
951年、空也は、都に流行していた悪疫退散のために、自ら十一面観音を刻み市中を曳き廻した
正式には「光勝寺極楽院」だが、空也上人を本尊とすることから「空也堂」と呼ばれている
「光勝」とは、空也が比叡山延暦寺で受戒した法名なんだそうな
当初、三条櫛笥にあったが、応仁の乱で焼失し、現在地に再建
仏像好きは必ず知っているであろう空也上人の寺だが、非公開寺院
門前の『くうやどう』の標石がある
11月の開山法要で歓喜踊躍念仏と六斎念仏が行われる
「市聖」、「阿弥陀聖」と呼ばれ崇められた空也上人は醍醐天皇の皇子との説がある
そんな、空也上人は悪疫の流行に鎮静祈願をするなか、自らが創建した「西光寺」こと現「六波羅蜜寺(私のNOTE)」で没した
#龍田稲荷神社 :空也堂横
詳細は前のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。
まず「龍田」といえば「風の神」で伊勢神宮でも風宮でも祀られる神で、奈良・法隆寺(私のNOTE)の鎮守社の位置づけでもあり、本宮は奈良・龍田大社(私のNOTE)ですね。
公式HP:--
アクセス:京都府京都市中京区蛸薬師通油小路西入亀屋町277
祭神:ウカノミタマ
由緒は不明
1615年、「藤堂高虎」が「伊勢津藩邸」としてこの地に京屋敷を構え、1870年まで存続した
「伊勢津藩邸」内に祀られていた「藤堂稲荷(民部稲荷)大明神」が藩邸廃止後に残り、亀屋町の「龍田稲荷大明神」、坊門四条町の「御福稲荷大明神」を合祀し、現在の「龍田稲荷神社」となったとか
境内には弁財天も安置しているのも面白い
#越後神社 :私道注意!路地の奥「越後神社(友禅神社)」友禅ゆかりの迷宮神社
友禅の地!池の水位が下がり水も湧かなくなって、周辺は埋め立てられ池もほとんど姿を消した神社は今や私道の狭い路地に鎮座!?
明治初頭に、型紙と色糊を組み合わせた「写し友禅」を事業化することに成功した備後屋・廣瀬治助こと通称「備冶」の遺跡としても有名で、友禅染普及の基礎を築いた場所。そのため「越後神社」だが「友禅神社」と呼ばれているようだ。
小さいが「お火焚祭」も行われる神社で、「武信稲荷神社(私のNOTE)」の神職の方が行っているようですね。
公式HP:--
アクセス:京都府京都市中京区越後町
三条通や堀川通からは行くことができず、六角通から地図を見て道をたどっていかない周り続けるかも。
詳細は次のNOTE参照ですが、本NOTE公開時は未公開なので簡単に説明しておきます。
室町時代に杉若越後守という武将が住んでいたことから、町名となったと伝えられている(『京都坊目誌』より)
近江・浅井家の所有で、幕末には丹波篠山青山家の京屋敷の場所に鎮座
越後神社は青山家京屋敷の鎮守社で、神社への参道の路地を「青山路地」と呼ぶそうな
境内は300坪余りもあり、大きな池もあったが開発により大部分が埋め立てられた
友禅染中興の祖と言われる廣瀬治助の遺跡として知られ、境内の泉水で染工場を建て、今日の友禅染の基礎を築くことになった
この流れから染色に携わる人達から「友禅神社」とされているようだ
#中山神社 ( #岩神社 ) :京都内裏の門を守護「中山神社(岩神社)」退位後の御所も護る
794年、桓武天皇の勅命により、朝夕・内裏の門を守護するように鎮座。嵯峨天皇退位後の冷泉院の鎮守社として崇められた京都を護り続ける古社である。
有名な岡山の「中山神社」はこちらです。三重の「仲山神社」はこちら。中山といえば、こちらとこちら!?
詳細は次のNOTE参照ですが、本NOTE公開時は未公開なので簡単に説明しておきます。(https://note.com/yanma_travel/n/n2862763312df)
794年、桓武天皇の勅命により、スサノオを主祭神とし、朝夕、内裏の門を守護するという櫛石窓神(クシイワマドノカミ)、豊石窓神(トヨイワマドノカミ)の2柱を祀る
石神(いそがみ)神社、岩上神社ともいわれている
扁額に「岩上宮」「岩上大明神」となっている
嵯峨天皇の冷泉院の鎮守社として崇められたよう
1050年、神殿が建立された(『百錬抄』より)
1055年、冷泉院が取り壊され、石上社は残る
1178年、第80代・高倉天皇中宮・建礼門院は、安産祈願にあたり、当社に勅使を遣わした
1214年、二条猪熊が焼亡し、冷泉院内の中山明神も焼失(『百錬抄』より)
1602年、二条城造営により現在地に移転
公家・中山忠親邸宅の跡地に建立されたので「中山神社」と呼ばれた
→ということで、扁額の「岩上宮」「岩上大明神」が本来の社名なのだろう
→大きな石「岩上さん」があったようで、岩上神社(上京区上立売通浄福寺東入ル)に遷されている1788年、火災で焼失したが、その後再建された
社名は、この地が鎌倉時代の内大臣・中山忠親の邸跡であったためと伝えられている
#善想寺 #光明院 #満福寺 #如来寺 :四条大宮へ!!
詳細は次のNOTE参照ですが、本NOTE公開時は未公開なので簡単に説明しておきます。(https://note.com/yanma_travel/n/na0fefa12b0a6)
平安時代中期に関白太政大臣・藤原頼忠の本宅だった場所
979年、上皇の御所である四条後院になり、天元の大内裏火災の際に第64代・円融天皇が一時皇宮にされたとも言われている
981年、内裏造営時に、円融天皇は四条後院に行幸した
1331年、元弘の乱で後院は荒廃
1336年、建武の乱(延元の乱)により後院は廃墟
1542年、想阿善悦上人が洛西疏圃に一寺を建立し、法名から「善想寺」と称したのがはじまり
その後、兵火によって焼失
1582年、関白・豊臣秀吉の命によって現在の場所に移る
想阿善悦の孫弟子・法春上人が再建
1587年、正誉上人が地蔵尊(田植地蔵・泥足地蔵・身代わり地蔵)を滋賀県坂本村から移し、山門の横の地蔵堂に祀られるようになる
三日三晩降雨を祈願した農夫・作兵衛の代わりに田植えをしたことから田植地蔵・泥足地蔵・身代わり地蔵とも
難産の妻に代わって苦しみを引き受け、顔一面に汗をかいていたことから汗出し地蔵とも
1788年、天明の大火によって焼失し、その後再建
地蔵尊は天台宗宗祖の伝教大師・最澄が一刀三礼で自刻したと言われている
本堂宮殿の菊の御紋・鳳凰の彫刻、御神鏡は、朝廷・上皇が祀ることを表している
平安時代後期造立の「石仏阿弥陀如来」、「本尊阿弥陀仏」、最澄上人ゆかりの「地蔵菩薩」を安置する
1658年に、池坊三十二世二代目・専好師が墓地にまつられてから、1908年の四十二世・専正師までの歴代家元がまつられている
では住職が話している記事を紹介します。『京都・善想寺で安産祈願!歴史ある地蔵尊と汗だし地蔵のご利益を解説 - 縁結び大学』です。
#武信稲荷神社 :坂本龍馬💛おりょう「武信稲荷神社」一寸法師!巫女体験!!【京都二条城・御所シリーズ/京都ツウシリーズ】
詳細は次のNOTE参照ですが、本NOTE公開時は未公開なので簡単に説明しておきます。(坂本龍馬💛おりょう「武信稲荷神社」一寸法師!巫女体験!!【京都二条城・御所シリーズ/京都ツウシリーズ】)
▽2025年01月20日(月):藤原道長・源氏物語から吉原ぶらり
#風俗博物館 :京都市下京区花屋町下る 井筒佐女牛ビル 5階
#五條天神宮 ( #天使の宮 #):奈良宇陀から京都「五條天神宮」牛若丸?祇園社?菅原道真じゃなくアマテラスなの?
詳細は次のNOTE参照ですが、2025年5月公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。と思いましたが昨年の旅行記を参照ください。
京都初詣2024「下鴨神社/神泉苑/松尾大社/梅宮大社ets」2025年からルール変更◆左京⑯中京⑩右京⑬西京⑥下京④|やんまあ
2025年5月公開『奈良宇陀から京都「五條天神宮」牛若丸?祇園社?菅原道真じゃなくアマテラスなの?【京都ツウシリーズ/烏丸四条五条シリーズ】』です。
#醒ヶ井住吉神社( #新住吉社 ):平安京に勧請された和歌三神の一社「醒ヶ井住吉神社」柿本人麻呂!住吉大社の社家異伝
京都駅から徒歩圏で烏丸四条五条にある京都ツウの神社仏閣。
住吉神社で和歌に繋がる祭神や由緒が特徴的で「新玉津嶋神社」だったとか。和歌山に「玉津島神社」があり、古来より和歌の神様を祀る神社として、住吉明神・北野天満宮と並んで天皇や歌人などに崇拝されたところである(私のNOTE)
詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。(https://note.com/yanma_travel/n/n44f93d3b8cf2)
住吉町の住吉神社は歌道の神として信仰を集める
理由は、人丸神社の柿本人麻呂だろうと思ったが住吉さんは和歌の神様でもあるのを思い出した(私のNOTE「住吉大社」)
末社の熊丸稲荷神社の祭神は速秋津比売大神(ハヤアキツヒノオオカミ)で京都では珍しい認識
1157年、後白河天皇は和歌の三神を平安京に勧請するため、藤原俊成に勅した
藤原俊成は摂津国住吉(私のNOTE「住吉大社」)より分祀し藤原俊成邸内に祀り「新住吉」と名付けたとる
1566年、正親町天皇が現在地に遷して再興
#北来地蔵菩薩 #智妙院 #本實院 #林昌院 #松陽院
観光寺ではないのでサクッと写真だけ紹介。
#松林院 :宇賀神!伏見城の遺構「松林院」巳年に行く!!
詳細は次のNOTE参照ですが、本NOTE公開時は未公開なので簡単に説明しておきます。(宇賀神!伏見城の遺構「松林院」【烏丸四条五条シリーズ/京都駅周辺シリーズ/京都ツウシリーズ】)
#中堂寺住吉神社 :住吉祭の神輿巡行「中堂寺住吉神社」宵宮祭の中堂寺六斎念仏
詳細は次のNOTE参照ですが、本NOTE公開時は未公開なので簡単に説明しておきます。(住吉祭の神輿巡行「中堂寺住吉神社」宵宮祭の中堂寺六斎念仏【烏丸四条五条シリーズ/京都駅周辺シリーズ/京都ツウシリーズ】)
下京区には醒ヶ井や島原にも住吉神社があるため、「中堂寺住吉神社」と呼称している情報が多い
782から806年、摂津住吉宮、現在の住吉大社(私のNOTE)より住吉大明神を勧請した
1138年、「小倉百人一首」にも歌が収録されるなど歌人としても知られる中納言・藤原顕輔の殿社内に再興された
応仁の乱で焼失し、油小路六条の地へ移転
1591年、本願寺の移築のため旧地へ戻って再興
1787年、「天明の大火」により焼失
1825年、修復して今に至る
この他にも境内社として稲荷、金比羅、天満宮、道祖の社が祀られている
9月第4金土日に例祭「住吉祭」がある
稚児行列を先頭に3基の剣鉾と大小の神輿が巡幸し、五条大宮の交差点で差し回しが行われるのが一番の見どころ
前日の宵宮に奉納される「中堂寺六斎念仏」は、鉦や太鼓を鳴らし念仏を唱えながら踊る民俗芸能で、今も京都各地の寺院及び保存団体によって伝承され、国の重要無形民俗文化財に指定されている「六斎念仏」の一つです
六斎念仏は平安時代中期に踊り念仏で知られ、空也上人が始めたとも、西方寺を中興した道空上人が始めたとも
「中堂寺」という地名は、平安時代にこの地に比叡山延暦寺(私のNOTE)の横川中堂の別院として創建された同名の寺院に由来するもの
#慈雲寺 :京都・島原の妙見さん「慈雲寺」病が去る・不運が去る悪縁切り
詳細は次のNOTE参照ですが、本NOTE公開時は未公開なので簡単に説明しておきます。(京都・島原の妙見さん「慈雲寺」病が去る・不運が去る悪縁切り)
吉野太夫による寄進の赤門「蓮久寺」大黒様の仰せの通りで1等1億5000万円の当せん
詳細は次のNOTE参照ですが、本NOTE公開時は未公開なので簡単に説明しておきます。(吉野太夫による寄進の赤門「蓮久寺」大黒様の仰せの通りで1等1億5000万円の当せん【京都島原シリーズ/烏丸四条五条シリーズ/京都駅周辺シリーズ/京都ツウシリーズ】)
#清聚院 :御朱印は見開きの絵入り1時間待ち「清聚院」事前予約すべし
詳細は次のNOTE参照ですが、本NOTE公開時はまだ未公開です。(御朱印は見開きの絵入り1時間待ち「清聚院」事前予約すべし【京都島原シリーズ/烏丸四条五条シリーズ/京都駅周辺シリーズ/京都ツウシリーズ】)
#福神社 :京都市下京区に紀貫之or伏見稲荷大社の末社「福神社」福神の森に白蛇
京都駅から徒歩圏で烏丸四条五条にある京都ツウの神社仏閣。ここは昔、鎮守の森「福神の森」があったようだ。いまでもここに伏見稲荷大社の神職が来るのはなぜか?
詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。(京都市下京区に紀貫之or伏見稲荷大社の末社「福神社」福神の森に白蛇【京都島原シリーズ/烏丸四条五条シリーズ/京都駅周辺シリーズ/京都ツウシリーズ】)
祭神は、紀貫之と地元では伝わり、伏見稲荷大社の末社とも考えられている
伏見稲荷大社末社説の理由の一つに、10月第1日曜日に行われる「福神社大祭」は、伏見稲荷大社の神職が行うからだろうか
「福神社大祭」は神輿が氏子地域をまわり、安全・繁栄を祈願する
ここの神輿および六歳踊りは伏見稲荷祭にも参加するそうな
#島原大門
初めてだと思っていたが、妻は依然来たと言う。それなら写真が残っているはずだし、じゃらん旅行記を書いているはずだが。。やっぱ来ていない気がする・・・。
#法華寺 :東寺の法華堂「法華寺」洛陽十二支妙見めぐり【京都島原シリーズ/烏丸四条五条シリーズ/京都駅周辺シリーズ/京都ツウシリーズ】
なんか違和感が・・。
新しくなっている??
先輩見っけ!?
詳細は次のNOTE参照ですが、本NOTE公開時はまだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。(東寺の法華堂「法華寺」洛陽十二支妙見めぐり【京都島原シリーズ/烏丸四条五条シリーズ/京都駅周辺シリーズ/京都ツウシリーズ】)
教王護国寺こと「東寺」が建立された時、法華堂として創建
日蓮聖人が30歳の時、東寺密教を探らんと当山で止住し秘要を学んだ寺となる(当時はお堂だが)
新幹線敷設により現在島原の地に移転した
境内に妙見堂があり、「洛陽十二支妙見めぐり」のひとつ「未」
釈迦三尊(釈迦如来・普賢菩薩・文殊菩薩)、不動明王、日蓮の若い姿を写したという日蓮立像「わらじぬぎの祖師」が安置されている
#島原住吉神社
詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。(京都市下京区「島原住吉神社」【京都島原シリーズ/烏丸四条五条シリーズ/京都駅周辺シリーズ/京都ツウシリーズ】)
かつて遊郭があり、上七軒・祇園甲部・祇園東・先斗町・宮川町と合わせて六花街と言われた
祭礼では遊郭の太夫・芸妓らが練りものを行ったと言われている
住吉屋太兵衛が自宅に住吉大明神を祀ったのが起源
1732年、島原の北西に移され、島原の鎮守神として崇敬された
1868年、神仏分離令後の廃仏毀釈により廃社
祭神は歌舞練場内に移された
1903年、無格稲荷社の社格株を譲り受け、現在の場所に再興され「稲荷神社」となる
1930年、大樹の根元に弁財天社が祀られた際に、イチョウをご神木とした
1999年、社殿などが改修
2001年、名称を島原住吉神社に改めた
▼旅行記一覧
▼じゃらん(簡易版&ルート確認):更新やめ
▽カステラドパウロ/アトリエ京ばあむ/風俗博物館など保管庫:買わないでください
私の備忘録です。買わないでください。観ないでくださいm(__)m
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