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池田市の紅葉寺!秦氏?織姫姉妹巡り◆大阪キタ⑤

2012年ぐらいに感動した紅葉寺で1300年創建記念で初の本尊御開帳で、紅葉の時期なので見仏へ。そのまま気になっていた大阪府池田市の池田駅に広がる織姫伝承をブラリした。

この旅行記の神社仏閣は写真中心です。神社仏閣の詳細はもうひとつのNOTEを参照ください。
https://note.com/yanma_travel/

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▼見どころ

▽2024年11月23日(土):大阪府池田市

|- #久安寺 :千手観音初開扉!!

秘仏公開の詳細は次のNOTE参照です。

久安寺の詳細は次のNOTE参照です。

 昼食です。

ROOT:久安寺から池田市内へ!

|- #伊居太神社 :大阪府池田市綾羽2丁目4−5

 池田市は「伊居太」から来ているようだ。池田市には古代から中世にかけて「秦上郷(はたのかみのごう)」、「秦下郷(はたのしものごう)」という地名がり、渡来系氏族で養蚕・機織に従事した秦氏が住んでいた場所。
 一説には、秦氏と並ぶ渡来系氏族の東漢氏の居住地でもあったとも。本NOTEのキーマン・阿知使主は渡来系氏族・東漢氏の祖と言われているからだろうか。秦氏も東漢氏もどちらも同じような時代に日本に移り住み様々な技術をもたらした有力氏族なので説得力はある。秦氏と東漢氏が仲良くした時代の地なのかもしれない。秦氏と東漢氏ゆかりの神社仏閣を数点ほど挙げておく。

猪名津彦社があります。

  • 祭神は「阿知使主」と「都加使主」で織姫をこの地に導いた方「為那都比古大明神」です

  • 為那都比古神社とも呼ばれているとか

  • 為那都比古はこの付近を治めていた豪族説もある。理由は、この神社のすぐ下を流れる「猪名川(いながわ)」が訛ったのではないか説のようだが

  • 猪名津彦社は別の場所にもあります。後述します。

 拝殿・本殿になります。

祭神は次の通りです。

  • 穴織大明神
    →穴織姫(あやはひめ)
    →呉の国から渡来し、日本に機織技術を伝えたとされる織姫で、4姉妹の次女で呉服媛の妹
     ※呉服媛は後述の「呉服神社」に続く

  • 仁徳天皇

  • 応神天皇

|- #池田市役所 :車を置くならここ!

 土日祝ならここに停めると500円で済む。

ここから徒歩で攻めます。

|- #星の宮 ( #明星太神宮 ):大阪府池田市建石町1

 伊居太神社の御旅所だったことも。池田市のクレ ハトリ・アヤハトリの話に関係する場所である。大陸から織物の技術を伝承しにやってきた2人の織姫が機を織っていた場所。夜になりと七つの星が空から降りてきて手元を明るく照らしてくれたという伝説がある。

 詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。

  • 五月山のふもとにある穴織宮伊居太神社の末社(御旅所)

  • 中国大陸から漢織・呉織の両姫がこの地に渡る

  • 綾錦(絹の織物)を夜おそくまで灯りもつけず機を織っていると、多くの星が天から降りて来て織殿を真昼のように明るく照らしてくれたので、灯りをつける必要がなく機織ができた

  • 織殿を照らした星たちを「明星大神」と祀る

  • 「星の大神」とも呼ばれ、「星の御門」と称されている

  • 度重なる兵乱で社は消失

  • 1463年、池田城主・筑後守勝正が伊居太神社本殿と末社を再建

  • その後も焼失・再建を繰り返すが、村人の信仰が厚いことから「日月清明 五穀豊穣 天下泰平 萬人安全」でありますようにと願ってこの社が再建

  • 1818年、伊居太神社の宮司が再建

  • 2009年、社殿など改築

  • 毎年8月末には、「がんがら火(愛宕火)」と呼ばれる火伏せの神事が五月山で行われ、星の宮を出発して五月山山上で大文字の火床に点火される

  • 毎年10月27日に「星の宮例祭」が行われる

|- #法園寺

|- 池田駅前

|- #呉服神社 :大阪府池田市室町7−4

 呉服神社の見どころの1つが拝殿の桐竹と鳳凰のステンドグラス。神社に西洋風のステンドグラスは初めて見ました。妻は気づかず、2024年11月の参拝日は寒かったので拝殿から外に出る暖気に感動していた!?

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。

創建後の話を中心にする。

  • 呉服神社は「くれはじんじゃ」と読み、祭神・呉服は「クレハトリ」と読む

  • 古事記には「呉服」、日本書紀には「呉織」とある

    1. 「くれは」という言葉は「呉(くれ)服(はとり)」が訛った説などがある

    2. 私見だが、最近は訛ったのではなくて、神様と同じ呼び方は失礼なので、意図的に読みを変えている気がする(貴船神社は「きふね」で住所は「きぶね」など)

  • 祭神は呉服大明神と仁徳天皇で、呉服大明神は「呉服(クレハトリ)」

  • 「呉服大明神」は「呉服(クレハトリ)」で、仁徳天皇の時代に、139歳で亡くなったといわれている(現在は1年は365日だが、当時は半分だったとも。つまり69.5歳かも)

  • 絹布類を指す「呉服(ごふく)」の発祥地とも言われ。現在も服飾関係者の信仰を集めている

  • 毎年1月の十日戒には多くの人が訪れる

  • 仁徳天皇はその功績を称えて遺体を室に納め、翌年御神祠が建てられたのが、呉服神社の始まり

  • 池田は河内の渡来氏族・坂上氏が進出した

  • その最初が、坂上正任(土師太郎)で、自らが開発領主となった池田の地を「呉庭(くれは)」と名付け、呉庭田を中心とする呉庭荘の繁栄の為に総社として天王社を建て、自らその神主となる

  • この天王社が呉服神社の起源であり、その始祖神として、阿知使主と都加使主、穴織、呉織の他、天王社と称するからには牛頭天王も祀った説がある

  • 1579年、北摂一円を渦中に巻きこんだ伊丹城主荒木村重の乱により本殿始め建物、資料など大半を焼失

  • 1604年、豊臣秀頼が片桐且元を奉公として再建

  • その後、有栖川宮殿下の御祈願所となりました

 社務所に声を掛けましょう。

  • 石碑の裏には大正時代に建てられた事が刻まれている

  • 阪急池田駅の建設の際に姫室、梅室と呼ばれていた古墳から人骨や鏡が発見され、こちらに遷されて建てられたの

  • 伊居太神社に「姫室」の石碑が有り対になっている認識

 本殿裏の摂社・末社「恵比寿社」です。西国七福神のひとつ「恵比寿神」の神社。恵比寿様は耳が悪いので、本殿左右から願うようにしている神社がありますが、ここもその一つです。
 祭神はコトシロヌシですね。神社の成り立ちなどから、出雲・美保神社(私のNOTE)のコトシロヌシではなく、兵庫・西宮神社(私のNOTE)のヒルコかな~と思っていたのですが。

|- #猪名津彦神社 :大阪府池田市6:織姫を導いた祭神「猪名津彦神社」

 世の中的にも『「伊居太神社」と「呉服神社」(私のNOTE)』が有名で、池田市公式HPと観光協会ではプラスで「星の宮(明星太神宮)(私のNOTE)」も紹介されているが、ここも注目すべき神社である!!
 織姫伝承の場所は池田市観光協会池田市のPDFがオススメ織姫コースがあるようです。

祭神は次の通り。

  • 阿知使主(アチノオミ)
    『日本書紀』には、秋に部下17県の人達を連れて我国に帰化し、大和国桧隈(ひのくま)に住居を与えられ、東漢氏(やまとのあやうじ)の祖となったとされる

  • 都加使主(ツカノオミ):阿知使主の息子

詳細は次のNOTE参照です。

|- #八坂神社 :大阪府池田市神田4丁目7−1:桃山時代の建築は重文「八坂神社」早苗の森のイチョウ

 神紋が織田家のもの!?こうすることで難を逃れたとするが、織田信長は神官の子なので、実は・・・というのが出てきたら面白いのにと思うのだが。。
 この神社は秋はイチョウが見どころ。社殿では、木鼻・蟇股などに細部装飾が施された華やかな桃山時代の様式の特色がよく表れている本殿は国重要文化財に指定されている。

詳細は次のNOTE参照ですが、まだ未公開なので箇条書きで簡単に説明しておきます。

  • 別名を神田の宮(こうだのみや)

  • 978年、創建

  • 1579年、織田信長の伊丹城主・荒木村重討伐の兵火で焼失

  • 1610年、池田備後守光重が再建

  • 牛頭天王社、素戔鳴尊神社、神田の宮と称した。

  • 1907年、春日神社・九頭神社を合祀して境内に遷座

  • 1909年、今在家の駒の森の十二神社を本殿に合祀

  • 1946年、十二神社を現在地(豊島南1丁目2-9)に復祠

  • 実は「素盞嗚尊神社」だった時期があるので、広島「素盞嗚尊神社(私のNOTE)」から勧請かも??

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