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「一岡神社/海会寺跡」聖徳太子の足跡「長慶寺」【大阪泉州シリーズ】

聖徳太子?スサノオ💛イナダヒメ?八坂神社?なんかハチャメチャな神社だが古社である。

変更履歴
2023/05/29 初版

▼HP、アクセス、祭神・本尊と脇時

※後述の「▼見どころ」参照。

▼見どころ

▽一岡神社:大阪府泉南市信達大苗代373

 海会寺跡がある。海会寺跡の金堂に鎮座する「いちおかじんじゃ」は、創建年代不明だが、592年に厩戸皇子こと「聖徳太子」が海会寺を建立した際の鎮守社として創建したとされる。

  • 539年、疫病が蔓延して創建

  • 主祭神はスサノオ

  • その他、イナダヒメ、アマテラスとの誓約で生まれた・八王子、菅原道真、ホンダワケ

  • 疫病=スサノオ(牛頭天王)で京都・八坂神社から分霊のよう

  • 592年、聖徳太子こと厩戸皇子が海会寺を建立

  • 724年、第45代聖武天皇の勅願寺「海会寺」創建

  • 根来攻めで焼き討ちにあい焼失したが、すぐに再建(観音堂は移転しており今の長慶寺である)

 ただ、八坂神社との歴史と比較するとなんか疑わしいところがチラホラ・・。

第二十九代欽明天皇の御代(西暦五三九年)悪疫日に増して激しく流行するに及び、時の長人一岡神社に平癒祈願をなきしめたる処、神徳顕著に現証され、その寄徳を仰ぎ、山城國に御分霊を斎して疫病除け祈願の神と定められたと云う。その後第三十三代推古天皇の御代(西暦五九二年)に、厩戸王子(聖徳太子)はこの地に七堂伽羅を建立、海営寺と称し一岡神社を海営宮と改め鎮守神として御供田三反歩を供して崇敬され、又後の第四五代聖武天皇の御代(西暦七二四年)高僧行基は社の南に一大溜池を築造、海営宮池と名付け神社・寺共に修復されしが、第百六代正親町天皇の御代天正五年(西暦一五七七年)織田信長の兵火に罹り焼失、その後第百七代後陽成天皇の御代(西暦一五九六年)に村民氏子によって新築再建、その昔は正一位の神階を賜り境内三二三八坪、境内外実に六七六〇坪に及び、尚一五〇〇坪のお供田を有し日根郡内唯一の大社として栄え祇園さんとして親しまれ現在に至っております。

由緒

→拝殿



→摂社・末社「知恵の神」

 ここにもあるな。。石に頭を入れるのかな・・。


→学問の神様・菅原道真

→海会寺跡

 西に塔、東に金堂を配置し、廻廊がこれを囲んで北に講堂が接続する典型的な「法隆寺式伽藍配置」の寺だったよう。

 基壇の上には、高さ30メートルを超える五重塔が建っていたそうな。

→摂社・末社「祇園稲荷社」「市杵島神社」

 祇園稲荷の祭神はウカノミタマとサルタヒコ。

 1907年、熊野九十九王子の厩戸王子を合祀し、境内社である市杵島神社としたようだが、それより前にあったと思わせる雰囲気と祠。

→摂社・末社「牛神神社」

 牛神神社の祭神はオオナムチ。。。

 因みに寺は平安時代に焼失したらしく、その後は、熊野九十九王子の厩戸王子社を合祀し、和泉国日根郡の大社「祇園さん」として親しまれた歴史もある。

 時代による価値観・文化は変われど権威的なものは変わらないようだ。

▽長慶寺:大阪府泉南市信達市場815

 724年頃に行基によって創建された古刹。
 境内には、異なる意匠の三重塔があり、力のある寺だと思わせる。6月には、参道石段の両脇やや谷に紫陽花で彩られることから「あじさい寺」とも呼ばれている。


▼旅行記


▼セットで行くところ


▼仏像展


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