紅葉の名所!西の比叡山「書写山圓教寺(円教寺)」西国三十三所!
966年に平安時代の僧・性空により創建。書写山はスサノオが山頂に降り立った伝承がある。皇族や貴族の信仰があつく、986年に来山した花山法皇は「円教寺」の名を与えて大講堂を造立した。境内に200の塔頭があったことから西の比叡山とも言われていた。中世には、比叡山、大山とともに天台宗の三大道場と称され、訪れる天皇・法皇も多かった。
西国三十三札所第27番。
ロープウェイ山頂駅から仁王門まで徒歩約15分で、映画で見たことであろう建物たちと遭遇する。ラストサムライなど映画の撮影で使われたことでも有名ですね。開山堂の屋根を支えている彫刻は、左甚五郎作とも言われる。
2023年に90年ぶりに四天王が戻りチーム釈迦復活!!
変更履歴
2023/09/10 2023年に再参拝したので色々増量(「2023年」でページ検索)
2022/05/12 京博「最澄と天台宗のすべて」追加
▼HP
▼アクセス
兵庫県姫路市書写2968
ロープウェイで行く人は公式HPで確認ください。
▼本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
↓------2023年9月
本尊は釈迦三尊
西国三十三所第27番札所
966年、性空上人の創建で、創建当初は「書写寺」と称した
910年、性空上人は京都で橘氏のところで誕生
橘氏復興というのがあり、出家したいと願ったのは10歳だったが、36歳で許された
比叡山に出家する
円教寺に移る
権威・権力、有名人とは会わない主義だったよう
1000年、トレンドな寺になってきたので弥勒寺(私のNOTE)に移る(ということで、弥勒寺は奥宮という謎が解けた)
書写山に庵を結んだのが書写寺の始まりであるとされる
970年、書写山内の桜の霊木を礼拝するのを見た性空が、弟子の安鎮に命じて生木の桜に如意輪観音の像を刻み、その崖にお堂を建てた
これが如意輪堂(現・摩尼殿)の創建である
本尊はこの時から秘仏となていた
985年、播磨国司・藤原季孝が寄進し法華三味堂を建立
986年、花山法皇が参詣し、圓教寺の勅号を与える
987年、性空は寄進をもとに講堂(現・大講堂)を建立した
落慶法要は延暦寺の高僧(私のNOTE)も来たようだ
以後、「西の比叡山」とも称された
1174年、後白河法皇が参詣し御開帳し、「摩尼殿」となる
1239年、970年の如意輪の残り木で如意輪を作り御前立とする
1331年、落雷で大講堂、常行堂、五重塔を焼失
1492年、摩尼殿が火事で焼失するが、御前立は持ち出した
本尊は根がついたままの立木観音なので焼失・・・
これ以降、御前立を本尊とした
1578年、織田信長より中国地方征伐を命じられた羽柴秀吉が、播磨制圧のために2年ほどここに陣を構え、摩尼殿の本尊である如意輪観音像などを近江の長浜に持ち帰った
1580年、長浜より如意輪観音像だけが戻された
この摩尼殿の本尊は、性空の如意輪観音像と同木同作の如意輪観音であった
1492年、真言堂からの火災により、蓮鏡院、如意輪堂とともに焼失している
1921年、摩尼殿は焼失
1933年、摩尼殿再建された
2006年、性空上人記念で初めて奥秘仏如意輪観音坐像を御開帳
2023年、奥秘仏如意輪観音坐像を御開帳(次回未定)
↑------2023年9月
仁王門から十妙院にかけての「東谷」、摩尼殿(観音堂)を中心とした「中谷」、3つの堂(三之堂)や奥の院のある「西谷」に区分される。
東谷は基本的に徒歩になる認識です。2010年代に2回、2023年の3回行ったはずですが、バスに乗ったので中谷と西谷になります。
バスに乗って思い出した。すごい山道をマイクロバスで上る。
鯉のエサやりかと思ったが金魚だった・・
→中谷
西国三十三札所なので各本尊が集合しています。
→中谷:摩尼(まに)殿
元如意輪堂で、京都・清水寺(私のNOTE)、滋賀・石山寺(私のNOTE)、奈良&神奈川・長谷寺(私のNOTE)と同じく懸造になっている。元々磐座に桜の木が一本生えており、その霊木に如意輪を刻んだのがはじまり。
火災による焼失が二度あり建て替えを含めると今のお堂は4代目である。しかし、本尊の位置などは一切変わっていないようだ。
2023年9月は御開帳で、仏像の写真やパンフレットがあった。堂内の写真はNGなので、ここぞとばかりに写真を撮りまくる。
↓-----2023年9月
2023年7月に本尊・如意輪観音坐像の横の厨子に安置されていた四天王が90年ぶりに講堂に戻られた。いつになるか分からないが四天王を新調し安置するようだ。寺の人の説明では2億円かかりますとのこと・・・。
2023年9月に入った時は写真OKになっていた。昔からだったっけ??
↑-----2023年9月
舞台造りの建物はこの地にあった桜の生木に観音像を刻んで本尊としたと伝わる。秀吉により近江・長浜に安置されたのだが、戻したとたん本尊は火災で焼失。ということで、そのまま長浜に居座っていたらと思うと残念。
↓-----2023年9月
いざ内陣と本尊見仏へ!2023年9月は写真OKでした。
内陣には20人ぐらいがおり、本尊手前まで順番待ち。上を見上げると天井絵があった。なかなか見どころがある。
如意輪観音坐像
970年、性空上人が磐座に生える桜の木に如意輪を刻む(立木観音)
この仏像に覆屋にしたので如意輪堂と呼ばれる(今の摩尼殿)
本尊はこの時から秘仏となていた
1174年、後白河法皇が参詣し御開帳し、「摩尼殿」となる
1239年、970年の如意輪の残り木で如意輪を作り御前立とする
1492年、摩尼殿が火事で焼失するが、御前立は持ち出した
本尊は根がついたままの立木観音なので焼失・・・
これ以降、御前立を本尊とした
1578年、豊臣秀吉が多くの仏像を滋賀・長浜城に持っていく
1580年、仏罰を恐れ如意輪(現奥秘仏)だけ返し今に至る
1921年、再度火災・・・
2006年、性空上人記念で初めて御開帳
「災厄払う赤鬼と青鬼」が行われるようですね。
内陣を出て外陣と懸造から下を見下ろす。
↑-----2023年9月
摩尼殿を出たら左へ!
↑----2023年9月
→中谷から西谷へ
→西谷:三之堂=講堂(本堂)+食堂+常行堂
講堂だ。室町中期の建築で、食堂(じきどう)、常行堂と「コの字形」に並ぶ様子から「三之堂(みつのどう)」
↓-----2023年9月
まずは手前の本多家廟所です。入れないけど覗けます!?姫路城主の本多家のものですね。
↑-----2023年9月
〇大講堂@重文、釈迦三尊@重文×四天王
↓-----2023年9月
986年、花山法皇の勅願で建立された本堂。現在の本堂は室町中期のもの。2023年6月から釈迦三尊からチーム釈迦になった。いや戻った。釈迦三尊は「釈迦如来と普賢菩薩と門zy菩薩」で、チーム釈迦は「釈迦三尊+四天王」である。
↑-----2023年9月
四天王について
2023年6月に90年ぶりに摩尼殿から大講堂に戻った
986年、花山法皇の勅願で「円教寺」を賜ったときの四天王
当時から現在のチーム釈迦である
〇食堂@重文
↓-----2023年9月
後白河法皇勅願で、こちらも室町時代のもの。1階は写経道場で2階に宝物館となっている。
↑-----2023年9月
てな感じで、テレビドラマや映画の撮影所としても有名ですね。私は『ラスト・サムライ』や『黒田官兵衛』ぐらいしか知りませんが。。
〇常行堂@重文
↓-----2023年9月
本尊は阿弥陀如来で、でっぱりのところは本堂の釈迦如来に奉納する無頼である。2023年9月の参拝時の写経するところはこちらになっていた。
↑-----2023年9月
→奥の院
→全体(帰りのバス停へ)
→宝物館 in 食堂
チーム薬師です(薬師如来、日光・月光菩薩、十二神将)ですね。
作例の少ない「金剛薩埵坐像」です。宋風で人によっては京都・御寺こと泉涌寺(私のNOTE)の楊貴妃観音を思い出すのではないか?この仏像は運慶直系の弟子・康俊作のよう。
パッと見て江戸時代!とわかる五大明王ですね。
様々な映画のロケ地でもある。
舎那院と知善院に行けば円教寺の仏像に会えるようだ。
▼旅行記
▼セットで行くところ
▼仏像展
▽2022年 京都国立博物館『伝教大師1200年大遠忌記念特別展「最澄と天台宗のすべて」』
▽2020年『毘沙門天 北方守護のカミ』と『しあわせ回廊 なら瑠璃絵』
西国三十三札所で、映画の撮影でも使われるなど有名な寺から「毘沙門天立像@重文」が展示されていた。慶派が造りそうな毘沙門で、顔は運慶工房の毘沙門に感じる。
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