急な階段!何で出雲に「忌部神社」ヤマト政権で祭祀を取り仕切る忌部氏の地域?【出雲シリーズ】
出雲忌部の玉職人たちが暮らした忌部町のよう。明治までは大宮神社と称しフトダマを祀っていたが、日御碕神社からアマテラスを勧請、春日大社からアメノコヤネを勧請したのだが、平安時代に22社を合祀し、総社・大宮大明神と称し、昔からずっと忌部神戸地域の総社である。
変更履歴
2023/01/19 初版
▼HP なし
▼アクセス
島根県松江市東忌部町957
※駐車場がないとするサイトもありますが、横の小学校に向かうと境内に車を入れられます。熊野大社→ここ→須我神社の順で参拝しますが、超左折します。いや、折り返しだな・・。
▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
→神域へ
→拝殿・本殿へ
主祭神は天太玉命で、配祭神はアマテラスとアメノコヤネ天児屋根命(春日大社より勧請)外22神。
アマテラスは日御崎神社より勧請し、アメノコヤネは春日大社より勧請したとする。春日大社と出雲の繋がりが面白いのだが、忌部は後に中臣になり、中臣は藤原にもなるとするようなので何らかの関係があったのだろうか・・。ただ、春日大社の祭神って出雲に国を譲れ!と迫った祭神なので、意外なんですよね。
御朱印はないんだろうなとあきらめていると、置き由緒発見!と思ったが、この地域のパンフでした。URLを貼っておきます。
日本海側でよく見る「社日」です。丹後王国(現・京丹後市)でも多いですね。天神・アマテラスと国神・オオクニヌシなどが刻まれていますね。ここは丹後王国が絡んでいたら面白いけど。
本殿を見に右側へ移動する!
→本殿右:
鷺神社です。祭神は稲背脛命(イナセハギノミコト)で、出雲国造の祖神・天穂日命の御子だそうです。国譲りで、オオクニヌシが国を譲れと絡まれていてコトシロヌシに任せると言われているが、国譲る?と聞きに走った神様です。ということで、国譲り後に大和からここに住み着いた人たちなのかも。
稲荷神社ですね。若宮神社です。稲荷社はウカノミタマかと思います。若宮社は経津主命と武甕槌命と大和側の国譲りを促した神様ですね。出雲でこの2柱は珍しいかと。
→本殿左の摂社・末社
荒神社、岩神です。
→神輿
→帰り
降りるのコワッ
▼歴史調査
平安時代から忌部神戸内鎮座の二十二社を合祀
二十二社総権現「総社大宮大明神」と称す
明治末まで大宮神社と称していた
1911年、久多美神社(大穴穿遲神外3神)、山智神社(事解男神外1神)、七次神社(國常立尊外14神)、素鵞神社(素盞鳴命)を合祀
合祀をして「忌部神社」と改称
▼旅行記
↑NOTE版はこってり。↓じゃらん版はあっさり。
▼セットで行くところ
#忌部神社
#出雲シリーズ
#神社仏閣
#神社
#御神木
#神社仏閣
#神社
#島根
#松江市
#出雲
#出雲風土記
#出雲神話
#アマテラス
#忌部
#玉職人
#大宮神社
#日御碕神社
#春日大社
#大宮大明神
#天太玉命
#アマテラス
#アメノコヤネ
#天児屋根命
#忌部氏
#中臣
#藤原
#社日
#鷺神社
#稲背脛命
#イナセハギノミコト
#コトシロヌシ
#稲荷神社
#若宮神社
#若宮社
#荒神社
#岩神
#神輿