古墳の上「青龍神社」1年に5時間のみ開く踏切「御崎神社」参道を電車が横切る【播磨シリーズ】【明石シリーズ】
1年に5時間だけ通れる踏切の神社!?明石を代表する神社だと思う古社。青龍神社は縄文時代の遺跡が見つかっている。ただ駐車場はないので御崎神社近くの駐車場から歩くしかない。明石市内に残る唯一の弓矢の民俗芸能が残る「御崎神社」とセットで参拝です。
そして、明日公開する「林神社」も含めてセットだと思いますよ!!
変更履歴
2023/09/14 初版
▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
神社には駐車場はないので、近くの駐車場から徒歩ですね。
▽御崎神社:明石市東藤江2-15−12
平安時代の頃は格式ある神社のひとつで、山王権現と呼ばれていた。そんな古社だが、今では表参道は鉄道がとおり西側から参道になっている。
本来は下の写真が表参道ですね。今は1年に5時間以外は通れないです。
日吉大社系の山王権現となっていますね。
市指定無形民俗文化財に指定されている神事の「藤江の的射」が行われる。大前や弓立衆とよばれる5人の氏子が30メートル先の的に21本の矢を射て、悪霊を払い、豊作、豊漁を祈る神事。毎年1月に行われる「弓矢の神事」は、明石市内に残る唯一の弓矢の民俗芸能なんだそうな。伝説では神々を乗せた船がこの辺りを通りかかった際、船夫が錨を誤ってアカエイの鼻に下ろしてしまいました。怒ったアカエイは船を沈め、船夫は悪霊となる。この悪霊を鎮めたのがこの神社の祭神・山王権現という話なんだそうな。
祭神は応神天皇、国常立尊、応神天皇の母・神功皇后こと気長帯媛尊。
321年から389年、新羅遠征時に、丹生葛江明神(彌方明神)として祀られる
国道175号線沿いには彌方明神(弥賀多多神社)を祀る神社が6社ある
平安時代には「山王大権現宮」と言われるようになる
14世紀の南北朝時代に社殿を建立
明治維新の廃仏毀釈により、「御崎神社」に改称
電車キター!!!って見えないか・・。
→本殿右から奥「鷹取権現」
。。。最後に謎が増えたぞ・・。
▽青龍神社:明石市藤江165
1254年、上宮青龍五社大明神を勧請したのが始まり
厳島神社として鎮座した
その後、青龍神社となり、厳島神社は末社として境内に鎮座している
境内には縄文時代の遺跡が見つかっている
本殿には立派な龍の彫りである
祭神は日向系の鵜葺草葺不合命
配神に神武天皇、玉依姫命、允恭天皇、少海童神である
青龍神社の「上宮青龍五社大明神」は、次にNOTEする「林神社」の「上宮五社大明神」と同じとも
青龍神社と林神社の両方に共通する御祭神として葺不合命(鸕鶿草葺不合尊)・玉依姫・少童海神が祀られていますが、林神社は「彦火々出見命」が祀られ、青龍神社では神武天皇になっている
また、允恭天皇はここだけであるのだが、允恭天皇を祖とする豪族なりがいたのか?
→藤江出ノ上遺跡
この辺りは、縄文式土器や石鏃などが出土し、縄文時代中期から後期にかけて縄文人が生活していたようだ。
→拝殿、本殿
主祭神は日向系の鵜葺草葺不合命で、配神に神武天皇、玉依姫命、允恭天皇、少海童神である。ここに鵜戸神宮祭神でイワレヒコこと神武天皇の父が来るとは・・。
→本殿左摂社・末社左から「土地主護神」、「市杵島姫命」、「蛭子命」
→祭りなど
▼旅行記
▼セットで行くところ
▼仏像展
#神社仏閣
#神社
#神社巡り
#やんまあ
#やんまあ旅行記
#やんまあ神社仏閣
#旅のフォトアルバム
#人文学
#神仏習合
#兵庫
#明石シリーズ
#播磨シリーズ
#古墳
#青龍神社
#御崎神社
#播磨シリーズ
#明石シリーズ
#兵庫
#明石市
#山王権現
#藤江の的射
#弓矢の神事
#応神天皇
#国常立尊
#神功皇后
#気長帯媛
#丹生葛江明神
#彌方明神
#弥賀多多神社
#山王大権現宮
#鷹取権現
#鵜葺草葺不合
#神武天皇
#玉依姫
#允恭天皇
#少海童
#上宮青龍五社大明神
#上宮五社大明神
#藤江出ノ上遺跡