伊勢神宮125社別宮「伊雑宮」奥宮「上之郷の石神」も忘れずに!!【磯部】伊雑宮所管5社
江戸時代は内宮・外宮相当の人気で、古くから「志摩一の宮」と称され、伊勢神宮125社の別宮・瀧原宮と伊雑宮は別格だと思っている。地元では「いざわのみや」と読むが「いぞうのみや」「いぞうさん」と呼ばれているそうな。って、2013年の看板は「いぞうぐう」と書いているが・・。(笑)
ちなみに社務所の横の楠が面白い。巾着のように見えることから「きんちゃくクス」と呼ばれています。お金に目がない人は行きなはれ!?
この神社ですが、1679年に先代旧事本紀大成経をめぐり、伊勢神宮・内宮より伊雑宮の方が格が上とする大成経事件が起きたそうです。大成経は偽書とされたようですが、真実はいかに!?(ちょっとだけ後述します。)
変更履歴
2022/06/21 更新(→御田植祭、竹取神事)
2022/01/08 初版
▼HP
▼アクセス
伊 雑 宮 :志摩市磯部町上之郷374
上之郷の石神:志摩市磯部町上之郷464
佐美長神社 :志摩市磯部町恵利原穂落1272-1
▼祭神
伊 雑 宮:天照大御神御魂
佐美長神社:伊佐波登美命
▼見どころ
倭姫命(ヤマトヒメ)はアマテラスを今の内宮に祀り、御贄地を定めるために志摩に巡行し、伊佐波登美命がこの地に神殿を創建し、アマテラスの御魂をお祀りしたと伝えられている。
▽別宮「伊雑宮」
伊雑宮は、一般には「イゾウグウ」とか「イソベさん」とよばれ、皇大神宮(内宮)の別宮であり、古くから皇大神宮の遙宮とされています。 実はここが一番、パワーを感じました。
内宮別宮「伊雑宮」の所管社。志摩市磯部町恵利原に鎮座し、旧磯部町役場駐車場より徒歩すぐ。倭姫命が志摩国ご巡行の際、一羽の真名鶴が穂をくわえているのを発見し、祀ったと言い伝えられる。大歳社または穂落社とも称される。
内宮と同じく、千木が内削ぎで鰹木が六つの唯一神明造。
上は2013年の社殿で下は2021年の社殿です。2013年は手前で2021年は奥に鎮座しています。内宮と外宮の式年遷宮が終わると別宮の式年遷宮が始まる。
伊雑宮は伊勢神宮・内宮の別宮。江戸時代には「伊勢三宮」ともよばれ、多くの参拝者が足を運んだようだ。境内には古来より原生林が広がり、中には巨木が連なり、推定樹齢700年といわれる楠木が生えています。
2013年の下の写真でどうぞ!
上の写真奥に「忌火屋殿(いみびやでん)」と「祓所(はらえど)」がある。「忌火」とは、「清浄な火」という意味で、火鑽具(ひきりぐ)を用いて火を起こし、お供えものを準備する。
ちなみに京都では西院春日神社の毎年1月7日のお祭りで忌火起こしが、目の前で見られます(写真撮影禁止)。
伊勢神宮の本宮は内宮ではなくこの伊雑宮説(*1)もあり、倭姫命旧地に行けばわかるかもね。
江戸時代に発刊された「伊勢神宮名所図会」には内宮に「伊雑宮遥拝所」があったらしく、今でも市営宇治浦田駐車場からおはらい町を結ぶ地下参道「内宮おかげ参道」壁面にで確認できるそうな。
↕2013年と2021年の間に看板変わっているな。NOTE書いていて気付いた・・。ちなみに2013年は「いぞうぐう(いわわのみや)」という読みで、2021年は「いざわのみや」になっていますね。
倭姫命旧地へは歩いて上る!230mって細かいな(笑)。でもわかりやすくなりましたね。
→御田植祭、竹取神事 ※2022/06/21更新
▽倭姫命旧地(伊雑宮から徒歩)
内宮別宮・瀧原宮とここには伊勢神宮を現・大神神社から今の伊勢神宮にアマテラスを祀ったヤマトヒメの足跡が残っている。
一番初めに目に入った光景でイザナミが祀られている?熊野本宮大社の「産田社」もイザナミ@荒魂を祀っているのだが、”登”が入っているので、ヤマトヒメが伊雑宮を作るように指示した「伊佐波登美命(イズワトミ)」ですね。
と思ったが、イザナギとイザナミも祀っているます。
近くに、庚申堂、秋葉堂があります。旧千田寺の跡地です。
さて本題へ。大正末期に伊雑宮近くにある大きな楠が伐採されて地面を掘ると、石棺が出土して中に「勾玉」や「鏡」などの「神器」が出てきて、これが倭姫の遺蹟ではないかと地元住民の間で大騒ぎとなったそうな。たぶん、口伝があったのでしょうね~。
古くから伊雑宮こそ本当に天照大神が鎮座された場所であり、伊勢の始まりの大元であることを主張してきたそうだ。そのうち何かが出るかも?
ここは江戸時代に内宮・外宮並みに人気だったようなので、そういう話で盛り上がり、そういう商売をする人が出るのも、おかしくないかなと思う(この神社が素晴らしいことには違いはない)。どうも、この地域は「磯宮」とされ、日本書紀の一説や、倭姫命記の文言からそう信じたのでは?という人がいる。まあ~「書き言葉」よりも「話し言葉」が先で、土地って意味合いがあって付けるだろうから、「磯」だけでは何とも言えないですよね。
ちなみに江戸時代は内宮=星神、外宮=月神、伊雑宮=アマテラス(太陽)ということだが、たぶん伊雑宮が星なのではとも・・(根拠なし)。
ひとまず上の写真に写っている左側の道を進みましょう。
▽上之郷の石神(伊雑宮から徒歩)
三重県志摩市磯部町上之郷464。
「上之郷の石神」という磐座があり、伊雑宮の奥宮説も。専門家曰く、「伊雑宮の鎮守の森の真裏に石神があること、その石神の石や岩は明らかに人為的に配置されており、何らかの神事を執り行った祭場ではないかと思われる」とのこと。
結構、あっさりした行きやすいところにあった!?
石神の奥の山の上にも巨岩があることなどから、元々は頂上が奥宮で、ここを、里宮とした可能性があるとか。確かに、三輪山や大山など神備山・古社はこのパターンが多い。
最後に、この地が気に入ったヤマトヒメが伊雑宮を建てたとか伝承がある。雰囲気が宮崎・青島神社奥宮と京都・出雲大神宮の奥宮と同じ空気感である。
磐座まとめ(最近更新していないのでNOTEに移そうかな・・)
▽伊雑宮に戻って「神田」
御料田の前には黒木の鳥居(皮付きの木の鳥居)が立っています。
伊勢神宮内宮の別宮で特別に高い格式を誇っていると言われている。また、「伊雑宮御田植祭」(いざわのみやおたうえまつり)は、毎年6月24日に行なわれる日本三大御田植祭りのひとつで、鎌倉時代もしくは平安時代の末期から続く。
伊雑宮は 漁師や海女の信仰が厚く、海女はここで「磯守」を受け、海に入るのが風習となっている。御田植祭は志摩の海女は海に潜ることを禁忌とし、伊雑宮に参詣する習わしもあるそうな。
御田植祭は団扇(うちわ)のついた忌竹を奪い合う「竹取神事」が行われる。で、団扇には「太一」と「北極星」を指すなどの文言が記されており、竹取物語も匂わす。丹後王国こと京都・天橋立の元伊勢籠神社との繋がりも感じる人もいる?私だけ?
宮津市から公式紹介!?
あと、漁師、海女は伊雑宮の「磯守」を受け、身につけて海に入るのが風習らしい。って、石神さんと同じだな・・。この地域はどこも氏神に安全を願って仕事をするんでしょうね。時代とともに合併(合祀)して、力が強い、人気があるところが残っているのかも。
ちなみにアマテラスは鮑(あわび)好きだから、ここは大事な地域だったのかも。
▽伊雑宮所管社「佐美長神社(さみながじんじゃ)」
2013年は見つけられなかったところですね(笑)。
佐美長神社は左側に、そして佐美長御前神社四社は正面右側に鎮座。
「佐美長神社」の「本殿」。祭神は「大歳神(おおとしのかみ)」で農作系の神様か地主でしょうね。明治初頭までは、「大歳宮」、「穂落宮」とされていたとか。
「穂落宮」は倭姫命記の話で「鶴が穂を落とした」話かららしい。穂落とし→大歳??説もある。
住民は「穂落としさん」と呼び、稲の豊穣や病害虫駆除を祈願する参拝者が多いとか。
右奥に4社あり、これが「佐美長御前神社(さみながみまえ)」で、祭神は「佐美長御前神」と神社名と同じ。4社あるので、和魂、荒魂、幸魂、奇魂かな??
ちなみに私たちは伊雑宮から磯部神社の後にここに参拝しています。
そして、最後にふと思ったのだが、この地域は全国の米を集めて新種改良したのでは?と思うぐらいコメ(含、稲穂)に関する話が多い気がする。
最後に古殿地をよく見ると・・隠していない・・磐座がむき出しのような。。これは初めてだな・・。ネットによるとここと河原神社だけのようだ(知っていたら教えてくださいm(__)m)。
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