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仏像ワンダーランド「壷阪寺(南法華寺)」京都・清水寺の対「信楽寺(お里沢市の墓)」【吉野シリーズ】

清少納言も「枕草子」で「寺は壺阪、笠置、法輪」と述べている。京都・清水寺「北法華寺」で対の古寺がココで仏像ワンダーランド!!ふざけていると思うか、なんじゃこれと楽しむかはアナタ次第です。平安時代から眼病の言い伝えがあり、盲目の男が壺阪観音に祈願して開眼したなどがある。

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変更履歴


▼HP

▼アクセス

奈良県高市郡高取町壷阪3

▼本尊と脇時

十一面千手観世音菩薩坐像

▼見どころ

▽壷阪寺(南法華寺)

703年に奈良・元興寺の弁基上人により創建。元正天皇の祈願寺で、南法華寺の名前は、京都・清水寺「北法華寺」に対するもので、長谷寺とともに古くから観音霊場として栄えてきた。

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 巨大石仏が多く、現在では「仏像ワンダーランド」と言われるが、あの清少納言が好きな寺3本の指に入る古寺である。

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 仏像好きには、消化不良感がでるが、講堂には平安・鎌倉の仏像も安置されているので、一度は行ってみてもよいかと。

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 三門です。

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↑2010年 ↓2019年

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→仁王門 ~2026年3月まで修復

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壷阪寺の仁王門は、鎌倉時代に建立されたあと、何度か移転したとされます。睨みを利かせ、伽藍を守ってきた2体の仁王像は、高さおよそ3.4メートルと日本の仁王像の中でも有数の巨大さです。
 しかし、雨や風に長年さらされた影響で劣化が進み、特に向かって右側の阿形像は、右の手首が落下するなど激しく傷んでいるため、全面解体修理に向け、10日運び出しの作業が行われました。
 仁王像は、2026年3月にかけて奈良国立博物館で修理される予定です。

↓引用元


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→灌頂堂

 次に灌頂堂は、壷阪寺開創1300年祭に初願し2005年に再建されたもので、御本尊は小さめの「十一面千手観音」で、向かって左手が、江戸時代前期の大名で、高取藩の初代藩主の「本多俊政公像」。右手が、太閤秀吉の弟で大和大納言と呼ばれた「豊臣秀長公像」。

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 多宝塔は新しいが、御本尊は平安時代作の「大日如来坐像」という歴史の新旧がコラボしている。

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 壷阪寺禮堂(礼堂)と共に三重塔も重要文化財である。

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1497年の建立で、内陣には大日如来坐像と弘法大師像が安置されている。

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 壷阪寺禮堂は室町時代建立で「礼堂@重文」とも呼ばれ、裏には八角円堂があるので神社で言えば拝殿にあたる。。壺阪寺の良いところはカメラOKであるところ。

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 「お里沢市」の話から、眼病に霊験あらたかな異国風の顔立ちの「千手観音坐像」が本尊である。本尊は室町時代に再興された像高240cmの坐像。

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 滋賀・ 観音正寺@西国第三十二番札所の本尊と通じるものがある。最後に、八角堂の著名な遺構としては法隆寺東院夢殿・栄山寺八角堂・興福寺北円堂などで、ここの本堂は日本で初めて建立された八角堂ではないかという学説も出ている。

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 300年以上昔、座頭の「沢市」は三つ違いの女房「お里」と貧しいながらも仲睦まじく暮らしていた。沢市は盲目ゆえ琴三味線を教え、お里は内職というなんともつつましい暮らしであった。 そんな沢市の胸中に一つ不安が生まれていた。というのも明けの七つ(午前四時)になると、お里が毎晩床を抜け出していたからだ。 「もしや好きな男が…」と問いただすと、お里は沢市の目の病が治るよう、この3年間もの間、欠かさず壷阪寺の観音様に朝詣でをしていると訴える。 疑った自分を恥じる沢市はともに観音様にお参りすることにしたが、心の中は盲目がゆえに不遇な暮らしをしているのだと自分を責める。そして、一度お里を家に帰して、お里を自由な身にしてやろうと自分の身を投げてしまうのであった。 不吉な予感であわてて戻るお里は、非常な現実に遭遇し、自らも身を投げてしまう。 しかし、二人のせつない夫婦愛が、観音様の霊験により奇跡が起こり、沢市・お里は助かり、沢市の目が開眼した。本堂横手には、そのお里、沢市が身を投げた、投身の谷と言い伝えられている谷がある。

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 まよけばし前にオニが座り込んでいる。

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 まよけはしを渡ると『佛伝図レリーフ「釈迦一代記」』というものがあり、インドと交流のある寺らしく全長50mの仏教絵巻ではなく石絵巻!?がある。仏足などもあります。

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 古寺ながらも今では海外の寺院と関係を持ち、寺内に巨大な石仏が多く安置されている。仏像の歴史を見ると、現在の明日香にアルカイックスマイルと言われる様式の仏像はアジアテイストが強かったが、鎌倉時代には独自の仏像様式が確立しており、宋の影響を受けながらも日本独自の仏像様式を確立して来たのだが、ここは先祖返りしている。背景としては、インド政府との交流のようです。壷阪寺前住職からのハンセン病患者救済事業を通してインド政府と付き合いが始まり、デカン高原の石を切り出し、大観音立像や涅槃像、釈迦一代記レリーフなどが納められ、今に至るようだ。

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 壷阪寺の大観音石像の前には、全長8mの寝大仏「天竺渡来大涅槃石像」が!10m前後の大仏さんがここまで揃っている寺は、他にはなかなか無い。表面の仕上げが滑らかで見事なので、ぜひじっくりと見てください。

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 「天竺渡来大石堂」の内部。総重量1,500トンに及ぶ大石堂で、奥は納骨室になっている。インドと日本の仏教が融合したような、不思議な印象のお堂。

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 2007年に開眼法要を行った天竺渡来「大釈迦如来石像(壷阪大仏)」。身の丈10mの巨大な石像です。御前立には十一面千手観音菩薩像・文殊菩薩石像・普賢菩薩石像の三尊が。なんか、迫力ある仏像チームである。

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→ひな祭り

「壺坂霊験記」で知られる奈良県高取町の壺阪寺で1日、大雛曼荼羅が始まった。礼堂や大講堂では仏像とともに計3500体のひな人形が飾られ、壮観な光景が参拝者を楽しませている
 礼堂には21段のひな壇に2200体が飾られた。大講堂にも1300体が並んだ。催しは2008年からで、当初30体程だったが、寄贈数が年々増え、現在の規模になった。楽器演奏やキャンプをしているひな人形もある。
 参拝した奈良県生駒市の男性は「大講堂のひな人形も見ました。すごいねえ。すごい」と感動。京都府城陽市の70代女性は「圧巻。おひなさまも喜んでいると思います」と熱心に見入っていた。

↓引用元


→あじさい


▽信楽寺(お里沢市の墓)

「上土佐区だんじり収納庫」が近くにあり、お里沢市の墓がある。お里沢市については 「壷坂霊験記」の ”お里沢市物語”に記されており、現在では浄瑠璃や歌舞伎で演じられ、海外でも知られている。 盲人であった夫「沢市」の目の治癒を願い、壺坂観音に祈りを捧げる妻の「お里」。毎夜に家を抜け出して密かに祈願を続けたお里だったが、そんな妻の行動に疑問を感じた沢市はお里の後を付ける。そこで、けなげに自分のために祈る妻の姿を見つけ、妻を疑った自分を恥じた沢市は、深い谷に身を投げる。さらに、それに悲しんだお里も後を追うように身を投げたと伝わっている。

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▼旅行記


▼セットで行くところ



▼仏像展


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