織田信長を祀る京都「建勲神社」織田一族発祥「劔神社」荒ぶる神スサノオ【京都北シリーズ】【福井シリーズ】【紫野シリーズ】
織田信長の祖先の故郷・福井「劔神社」に「小松建勲神社」があり、織田信長を祀る。ああ~京都「建勲神社」の名前って・・ここから?そして、荒ぶる神スサノオが祭神などになぜか納得!?
変更履歴
2023/10/31 「ニュース」を追加
2023/08/26 2023年再参拝したので「劒神社」更新
2022/07/14 初版
▼HP
▽劔神社 :
建勲神社
▼アクセス
▽劔神社 : 福井県丹生郡越前町織田113−1
▽建勲神社:京都市北区紫野北舟岡町49
▼祭神
▽劔神社
・スサノオ
・氣比大神
・忍熊王・・・第十四代仲哀天皇の第二皇子
▽建勲神社
・織田信長
▼見どころ
▽劔神社
第7代の孝霊天皇の御代に、伊部郷の住民が座ヶ岳の峰にスサノオを祀った第11代の垂仁天皇の御代に、伊部臣という郷民の長が、五十瓊敷入彦命(イイニシキイリヒコノミコト)が鳥取川上宮で作らせたという御剣をスサノオとして奉斎し、「剣の大神」と称えて崇めた
仲哀天皇第2皇子・忍熊皇子が、座ヶ岳の剣大明神を現在の地に遷した
座ヶ岳は劔神社の元宮という位置づけで、両者には深い関係がある
座ヶ岳は織田盆地のほぼ中央に位置し、座ヶ岳はその北方に位置する
座ヶ岳は神体山で、現在の本殿は座ヶ岳の方向をむけて建てられている
ここは里宮となる
本殿と元宮の延長上に、敦賀市の越前一宮・氣比神宮が鎮座する
氣比神宮と劔神社は多くの関係性が指摘できる
『劔神社古絵図』では、剣神の鎮座する御本社の横に、ほぼ同規模の建物として気比社が描かれている
気比の御子神のなかに剣神が存在する
平安時代の『延喜式神明帳』には「織田(ヲリタ)神社」の記載があり、「織田(おた)」という呼称は古いことがわかる
1218年、織田庄があり、当地は織田と呼ばれていた
口伝では、この地で曼荼羅を織っていたので「織田(おた)」と呼ばれるようになる
織田信長をはじめとする「織田氏」の名字は、この「織田」の地名に由来するとされる
1328年、『剣大明神縁起』より、古くから忍熊皇子を祀っていたことがわかる
1393年、藤原信昌・将広父子によって発給された『劔神社文書』には、守護への奉公が忙しい中、父子が意志を同じくして、劔神社神宮寺の復興に尽くしたことが記されている
また、劔神社と神宮寺の領田への課税を控えることなどが明記されている
このことから、藤原信昌・将広の一族は劔神社社家のひとつであったと考えられている。
藤原将広は、尾張守護代として活躍した織田伊勢入道常松に比定される
藤原将広は越前守護・斯波義将の家臣であり、義将の子・義重が越前と尾張の守護を兼任するにあたり尾張へ移住したとすると、故郷の地である「織田」の地名を名字とし、織田氏と名乗ったとも
ここから「尾張」=「織田氏」の誕生となるのだろう
1575年、柴田勝家の「当社之儀者殿様御氏神之儀」より、劔神社を織田信長の氏神として位置づけていることから、織田信長自体も繋がりをわかっているようだ
一方、1573年の『美濃路紀行』などには平氏説もあるのだが、当時の資料に織田親真の名はなく、織田信長が自らを平氏の末裔と自称していたことを示す資料も少ないようだが、織田親真の母親が平氏であるようだ
そんな流れを持つ織田信長はことごとく寺を中心に焼き討ちを!?
(当時の寺は僧兵がおり、今では考えられないほど武力を持ち権力者としては厄介だったらしい。堕落した寺もあったようで、真実は平定のためにせざるを得ない、許せないという気持ちもあったのかもしれない)
関係が深い氣比神宮の私のNOTEは次の通り。劍神社(つるぎ神社)があるんですよね。
織田信長の祖先の故郷であり、織田信長と荒ぶる神スサノオはある意味、信長に似ているところもあり、神社名の「劔」と意味深な神社です。 この神社には神仏習合時の仏像を描いた本尊画なども持っています。(博物館などに寄贈しています。)
→拝殿・本殿
スサノオは忍熊王の夢枕に立ち『皇子努力せよ われ今汝に霊劔を授くべし、之を斎き奉らば賊徒は直に平定すべし。我は素盞嗚尊なり』と告げ劔を授けたと伝わる。ということで、スサノオ、忍熊王が始まりのようですね。
本殿右側に移ります。
本殿横に「おもかる石」がある。持ち上げた時軽く感じると願いが叶う。
織田信長の祖先の故郷。織田家は越前町織田荘の荘官として、この神社の神官として神社に仕えてきた家柄だったようだ。そのため、織田信長は氏神と崇めて神領を寄進するなど神社を保護したとのこと。
→織田神社、奇稲田媛神社、小松建勲神社
本殿右側には織田神社があり本殿を向いて奇稲田媛神社、小松建勲神社がある。織田神社は、八幡神社としていたようで、祭神は保食大神を除くと八幡神のうち、仲哀天皇と応神天皇となっている。神功皇后がいない・・。
奇稲田媛神社は主祭神・スサノオの妻を祀り、小松建勲神社は平重盛、織田信長を祀る。そう!京都に織田信長を祀る神社「建勲神社」がある!ということで、建勲神社に続く。
→本殿右の祓所「磐座」
あっ最後に磐座をどうぞ。割れた瓦みたいなものがある。これは次に続きます。
→拝殿右「おもかる石」など
→本殿左:薬師神社、磐座
オオクニヌシ居るところスクナヒコがいますね。
→境内の寺跡
→表参道すぐの摂社・末社「庚申宮」「天満宮」
→裏参道摂社・末社「水木稲荷神社」「子宮さま」「忠魂社」「猿田彦神社」
▽事件・ニュース
あらら・・・。
2013年の旅行は次の通り。
▽京都・建勲神社(たけいさおじんじゃ 通称:けんくんじんじゃ)
京都市北区船岡山の中腹にある神社で、1869年に明治天皇の御下命により創建された織田信長を祀る神社。
つまり、建勲はここが発祥の名前ではないのか・・・。
結構、階段は急ですのでご注意を。
桜や紅葉など四季折々の自然を楽しめ、京都市内と東山三十六峰の眺望は絶景。五山送り火の鑑賞ポイントでもあるそうな。
応仁の乱の古戦場で、西軍の砦が築かれたところでもあるようだ。
少々珍しく歴史を。
織田信長の葬儀は近くの「大徳寺」で、秀吉により盛大に行われた。そして信長の霊を慰めるべく、大徳寺の南に位置する「船岡山」に寺院を設け、像を安置することが計画された。天皇からも許可が出たが、寺院の建設は途中で中止になり完成することはなかったそうな。
ちょっと明治天皇が創建させた理由がわかった気がしますね。
きれいな桜です。
狛犬が独特!
拝殿です。内側には、信長の主だった家臣たち「織田信長公三十六功臣」を描いた額が飾られています。
石段を上がっると義照稲荷神社は秦氏が衣食住の神を祀ったとされ、隣に稲荷命部元宮となっている
登ると五山の送り火を4カ所見られる場所になり、明治2年創建の「建勲神社」がある
正式名は「たけいさおじんじゃ」だが通称名「けんくんじんじゃ」の方が有名である
地元では「けんくんさん」と呼ばれる。
船岡妙見社は玄武大神を祀り、船岡山の存在が無ければ平安京は無かったとも言われている
理由は平安京は風水により設計以され、東西南北を山で守るところに遷都したそうな
その玄武が船岡山で、近代的には地盤が固いことが分かっている。
平安時代には清少納言の「枕草子」にも記された「船岡」もここを指すようで、貴族の生活にも結び付いた存在で、今もそれが続く
祭神は織田信長は負のイメージもあるが、この神社の正式名「建勲神社」は織田信長を指し、明治天皇が創建した
拝殿には信長の部下たちが描かれており18人の部下が描かれている
これは信長が自分の出世よりも部下に褒美をあげてほしいと語ったそうで、大事な部下たちも一緒に祀ったそうな
▼旅行記(▼セットで行くところ)
▽福井
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