南都七大寺「大安寺」元石清水「八幡宮」鎮守社「推古天皇社」が謎
興福寺北円堂の四天王はこの寺のものなのですが。。。東大寺や興福寺も入る「南都七大寺」の1つで、仏教最先端の時代があり1000人以上の僧がいた大寺。行基、空海、最澄なども修行もしたところ!
時代は流れ京都に都が遷るが、ここに自称「元石清水」があるのだが、石清水八幡宮は拒絶し、石清水八幡宮が元宮で大安寺に分霊したんでしょ!!と。そして、推古天皇を祀る神社がありますね!?
さてさて、今では「大安寺」としているが、その昔は「百済大寺」という名称であったりした歴史があり、名称からも大伽藍だとわかる名称の移り変わりである。
変更履歴
2024/02/27 動画と新歴史発見!?
2023/10/24 リンク(歴史と民俗学から大安寺八幡宮の謎に迫る 研究者2人が著書)
2022/06/17 初版
▼HP、アクセス祭神、本尊と脇時
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
大安寺と推古天皇社と元石清水八幡宮があります。この大安寺は東大寺ができる前は仏教の中心だったところです。3月のみ馬頭観音が公開になります。
▽推古天皇社
大安寺伽藍絵図に南大門から中門の間に東に推古天皇・西に聖徳太子を祀る社殿があり、写真は推古天皇を祀る社。女帝「推古天皇」と言えば、聖徳太子が摂政をしたことで有名だが、大安寺との係わりは不明。
ほお~推古天皇の母って蘇我氏ですね。聖徳太子も蘇我氏系だろうし、なるほど~。
▽大安寺
南都七大寺でその昔は仏教の最先端での寺で、ここにすべてが集まったらしい。平城遷都に伴って現在地に移され、華麗なる大伽藍には海外からの渡来僧も含め887名もの学侶がいたようで、日本の仏教大学の始まりかも。元々は70mの七重塔、九重塔が左右にあったとされる。今では三重塔、五重塔がほとんどなので、見てみたいもんです。今でも大安寺跡に行けばどこに立っていたかは分かる。
621年:聖徳太子がお亡くなりになり、後の舒明天皇に熊疑寺を国の大寺にするように望む
639年:舒明天皇が「百済大寺」を発願。
642年:皇極天皇が「百済大寺」造立
673年:「百済大寺」から「高市大寺」し引っ越し
677年:「高市大寺」から「大官大寺」と名称変更
716年頃:平城京に「大官大寺」として移築
702年~745年「大安寺」改称。『続日本紀』は702年、後者は『扶桑略記』は745年としている。
718年:道慈は聖武天皇の改造を命じられる。
858年:幼帝・清和天皇が即位に際して、行教が宇佐八幡宮に行き八幡神を勧請した。そのれが石清水八幡宮なのだが、大安寺の僧なので大安寺近くの祀ったとも。それは後述の「元・石清水八幡宮」参照で。
791年:四天王を大安寺に安置した。
949年:落雷で西塔焼失
1017年:火災で東塔以外焼失し荒廃の道へ・・
1090年代:南大門、西塔以外復活
1140年:貴族・大江親道の日記には本尊は丈六釈迦如来坐像としている。薬師寺の薬師三尊@国宝以上と記している。
13世紀:興福寺の末寺になっていく・・。ということで、興福寺北円堂の四天王は大安寺の四天王である。ただ、僧の中には西大寺派もいたようで、大寺のプライドか興福寺だ!西大寺だ!もしくは法隆寺につくべきだ!となっていたのだろうか。
1475年:興福寺の僧も本尊は釈迦如来坐像としている。
江戸時代も荒廃し、般若寺に宝物が預けられた。
1892年:兵乱で本尊焼失したらしい。
空海、最澄も修業した場所で、国際的な場所であった。
福井県の若狭の大島もここの領地であり、素晴らしい仏像を残している。それはさておき、春秋に秘仏「十一面観音」と「馬頭観音」を公開している。
本堂には中央に十一面観音立像@重文で秘仏だが足元は見えるようになってます。堂内にはキリッとした「聖徳太子立像」、弘法大師「空海立像」、「弘法大師坐像」が安置されている。空海立像は個人的には珍しい分類だと思う。
宝物館には歴史ある仏像が安置されている。注目は古式・馬頭観音かと。馬頭観音の多くは3面6臂が多いが、ここは初期の馬頭観音で、1面6臂である。
さて、この寺は2009年、2010年ごろの参拝で、あまり仏像の感銘を得れなかったので記憶がない。いや、私の仏像に対する知見と年齢か・・・。2022年奈良博で展示会がされたので、そちらを参照いただきたい。
最後に、この寺の近くには推古天皇社、京都の石清水八幡宮の元宮があるので忘れずに。
→御祭り
▽元石清水八幡宮:八幡神社
元石清水八幡宮は、807年に大安寺の鎮守社として建立。僧・行教(ぎょうきょう)が、宇佐八幡宮を分霊した古社。
御朱印に元石清水八幡宮とあり、三大八幡宮の京都・石清水八幡宮の元宮とか。唐に留学した奈良大安寺の僧「行教」が帰国の際に宇佐神宮から大安寺の石清水房に祀ったのが始まりとする。
大安寺の鎮守神「石清水八幡宮」とし、その後に京都・石清水八幡宮と流れだとする。ただし、京都・石清水八幡宮は、宇佐八幡宮から遷座なので、奈良が京都から勧請したものだとして元宮であることを否定しているようだ。
祭神は仲哀天皇、神功天皇、応神天皇。
ちなみに、京都・清水寺を創建した僧侶も奈良・子嶋寺出身であり、奈良→京都南山城→京都と流れたのが賀茂社(下鴨神社・上賀茂神社)という歴史の流れから宇佐→奈良→京都に移っていくのも嘘ではないかもしれない気がする。いずれ考古学が証明してくれるかもしれない。
最後に、2022年の大安寺展の最後の方に宇佐八幡宮の宝物があった。なるほど!八幡神を宇佐八幡宮から勧請したであろう僧の絵だったのはわかるが、真実は不明だった・・。
▼旅行記
▼セットで行くところ
▼仏像展
▽2022年 奈良国立博物館『大安寺のすべて―天平のみほとけと祈り―』
124件(うち国宝10件、重文50件)が出展!奈良七大寺!!集まれ!大安寺の仏像たち!!
https://www.narahaku.go.jp/wodpr_nh9/wp-content/uploads/2022/02/20220217daianji_list.pdf
あれ、岡寺「義淵僧正坐像@国宝」や、顔が割れて観音が出てくる「宝誌和尚立像@重文」なども展示されるようですね・・。
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