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摂社がメイン!?「求院八幡宮・鵠神社」古事記・日本書紀あのシーン!【出雲シリーズ】

皇子が喋らない・・・その時、コウノトリ白鳥を見た皇子は「何?アレ??」と話す。そのコウノトリ白鳥は出雲のほうに飛びたち、天皇は探すように指示する。見つかったのは出雲とか!?そんなゆかりの神社である!

日本書紀によれば垂仁天皇の御宇二十三年冬十月朔(ついたち)、天皇が誉津別皇子(ほむつわけのおうじ)をともない大殿の前に立ち給う時、(くぐい。白鳥の古称)が大空を鳴き渡った。 その時、皇子が「これは何物ぞ」とお問いになったので、天皇は大いに喜び給い左右の臣に「誰か能くこの鳥を捕らえて献らむ」と詔せられた。 天湯河板挙(あめのゆかわのたな)が「臣、必ず捕らえて献らむ」と奏し、この大鳥が飛び行く国々を追って廻り、出雲国で捕らえたといい、あるいは但馬国で捕らえたともいう。

WIKIより

 コウノトリ白鳥が飛んだ場所は丹波とも。丹波でコウノトリ白鳥といえば!「久久比神社」ですね。

 そうそう、但馬・丹波方面には出雲大神宮があるのでどちらも「出雲」は正しい??

変更履歴
2023/01/26 初版

▼HP なし

▼アクセス

島根県出雲市斐川町求院731

▼祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

→参道

 1192年に求院八幡宮が鎮座。求院地区の鎮守の森で、境内にある鵠神社は、「物言わぬ皇子の物語」の伝説の地として、「求院の地名」の起源を伝える神社とも。
 つまりのところ、「求院村」の「グイ」は、大人になっても物を言うことが出来なかった垂仁天皇の皇子・ホムチワケノミコトが、空飛ぶ鵠(クグイ)を見て、「あれは」と声を出した話からとも。ということは八幡社だが、鵠神社のほうが古いとか!?

→拝殿・本殿

 拝殿・本殿へ!

 祭神は応神天皇こと誉田別尊(ホムタワケ)である

謎の写真・・。

→摂社・末社

 社日碑があるな~。

 石柱。には「遥拝所」と彫ってあるのだが、どこの遥拝所かは不明。

→鵠神社

 祭神は誉津別命(ホムツワケ)である。八幡の祭神は誉田別尊(ホムタワケ)なので同じように見えるが違うので要注意。

 ちなみに、古事記では、話せなかった理由は、出雲大神(オオクニヌシ)の祟りであり、この出雲の大神の怒りを鎮めるためにホムツワケは出雲の大神の社へと参拝をする。そしてその参拝の帰りに斐伊川の中に設けた仮の御殿にて神事を行っている時に喋れるようになったとする。
 祟る出雲、祟る出雲繋がりの菅原道真など、藤原氏でも出雲を封殺することができなかった理由の1つがこういう祟る逸話からも伺える。

 ホムツワケは垂仁天皇の皇子で、母はサホビメ。サホビメは垂仁天皇の后であり、謀反を起こしたサホビコの妹でもある。詳細は割愛するが、兄の屋敷で皇軍に攻められて焼死したことから、ホムチワケが大人になっても言葉を話すことができなかった真相は、母への思いからなのかもしれない。
 祭神をもう一度確認してみた。イザナミ、イザナギがいるな・・・。それは置いておいて、白鳥を見て言葉を話せるようになったホムチワケと、白鳥を追いかけた天湯河ですね。

→摂社・末社

 稲荷神社、木山神社です。稲荷神社は「伊奴不須眞彦大狭別命」「ウカノミタマ」が祭神で、ですよねという感じなのだが、木山神社は「吉備津彦命」とスサノオとなっている。なぜ・・吉備氏が・・・。 

 浮島神社。祭神はイザナギ・イザナミ・アマテラス

 出雲系神社のお約束「荒神」ですね。御神木に藁蛇が巻き付けられたところが多いのだが、石に藁蛇が括り付けられている。いずれにせよ、自然信仰が根強いな。

 石神社と寶殿神社。

▼旅行記

↑NOTE版はこってり。↓じゃらん版はあっさり。

▼セットで行くところ




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