娘と私の選挙な話。
私と娘の、大切にしてきた話を残したいと思う。
私の選挙
私は過去に国政選挙に出る経験をした。
落下傘として自宅から離れた場所を拠点として活動していたため、私の単身赴任となり公認発表から投票日前日までの1.5ヶ月ほど離れて暮らすことになった。前代未聞の1.5ヶ月という短期間でのチャレンジだったが、後7000票で比例復活という惜しい結果となってしまった。
息子(4歳)娘(8歳)の出来事である。
この時期の子どもは母親の存在は絶大であり、「親が選挙している時、子どもは精神的に不安的になり問題行動を起こす」と選挙経験のある先輩方から助言をいただいていたので多少の心配を覚えていた。
久しぶりに自宅に帰ると当然ながら子どもたちは私から離れない。ああ、子ども達には我慢をさせてしまっているなと思いながら、何故母はこんなことをしているのか、どんな世界を願っているのか、という話をする。「寝ている子どもたちの顔を見ていると、「ずっとこのまま横で寝顔を見つめていたい」と思いながら、「これは私だけのチャレンジではない。」と奮起し、後ろ髪引かれながら出発する。
選挙戦では当然のことながら、子どもは活動に参加できない。選挙戦の休日には主人が事務所に連れてきてくれて、事務所近くの駅で行う街頭演説会を見にきてくれていた。私は選挙活動で手一杯で、子どもたちが聴いてくれていることを後で知ることが多かったのだが、クレイジーな母の姿を子ども達は普通に受け入れて頑張れ頑張れと一番の応援者となってくれていた。
(書きながら当時のことが思い出され、涙が溢れている。)
娘の選挙
さて、娘の話に移ろうと思う。
娘は生まれながらに身体が大きく、好奇心旺盛で聡明かつお世話好きで、誰ともすぐに仲良くなれる人物だ。
両親の仕事の都合上転勤が多く、未就学児の時点で保育園・幼稚園を5回も転園していた。転園が多くなるとお友達になってもすぐにお別れが続いていたため、人見知りや喪失感、寂しさなどマイナス面が出てくるかと心配をしていたが、娘は「いろんなところにお友達ができて楽しいよね!」と至ってポジティブだった。娘に救われている。
小学校入学直前の2月に再び転勤が決まり新しい園に転園した。その園には1ヶ月しかいなかったが、すぐにお友達を作って楽しく遊ぶ姿は親として見習うところばかりであった。(私は人見知りかつママ友活動が苦手で居心地の悪い人たちからの誘いは平気で断るコミュ障だ。)
そんな娘が、小学校入学と同時に学級委員になりたいと立候補をして、落選した。小学校低学年の学級委員は人気で、クラス全員の前で演説をして投票で決めるようだ。1学期ごとに委員が変わるためチャンスは1年に3回ある。しかし3回とも立候補して、落選をした。
2年生になっても娘は学級委員がやりたくて立候補を続ける。立候補のたびにこんなクラスにしたい!というプレゼンをする。しかし、2年生でも3回とも落選を続けた。この時点で6回落選していることになる。
親としては落選をしてもなおチャレンジし続ける娘の姿が誇らしい一方で、まだまだ小さな8歳の女の子の心が傷ついていないか心配でならなかった。
自分で決める・やり切るということは簡単なことではない
私が選挙戦を終え、日常を取り戻した頃。
子ども達と車で買い物に出かけていた時のこと。助手席に座る娘がふと、「どうして学級委員になれないんだろう・・・」とポツリとこぼした。
私は娘の気持ちを考えると心臓がギュッと痛くなって運転しながら涙が溢れた。立候補すること自体が勇気がいることであり、落選するということは否定されたような気分になるものだ。娘はそれを6回も経験している。中には「落選したら恥ずかしい」が勝り、やりたいと思っていてもチャレンジしない人すらいるのに、だ。私は何度もチャレンジできる娘が素直にすごいと思うことを真っ先に伝えた。
詳細は省くが、大義のために動くことは恥ずかしくないこと、落選しても死なないこと、娘の考えるクラス像に私も共感することを伝えた。
すると娘は「ママも頑張ってるから諦めない!」「1年2年生の頃は遅刻や忘れ物が多くあったところは改善点だから、みんなに任せてもらえるように頑張る!」と8歳の小さな女の子が自分で決めて行動改善をしていった。
結果、2年生の3学期には遅刻・欠席がなくなり、忘れ物もなくなるなど成長が見られ、小3の1学期に学級委員になることができた。それはもう嬉しそうで、自信につながり、より一層イキイキとして学校を楽しむようになった。運動会では学級代表で踊りを考えたり、みんなが楽しめるようにいろんな工夫をしていたそうだ。(先生談)
そこから約1年が経とうとしている。早いものでもう4年生だ。
『自分で決めてやり切る』
「決める」ことや「チャレンジ」することができない大人が多い中、小さな身体で一生懸命生きる姿から学ぶことは多い。
親の本気・チャレンジは見せたらいい。どんどんやっちゃおう。
私は自分のせいで選挙の時には子ども達に我慢をさせてしまったのではないか、と心配していた。しかし、親が本気でチャレンジしている姿は子どもに伝わっているんだということを娘の姿を見て確信した。
当時4歳だった息子も「そろそろ選挙したい。」と言い始めたり(お祭り的な認識か?!笑)、子どもは子どもなりに親の姿から何かを得ているんだと感じることが多い。また、選挙中に子どもが不安定になり問題行動を起こす現象は見られず、むしろいい影響があったように思う。子どもが小さいから,,,と自分のことを後回しにしがちになりがちであるが、これをやらなきゃ後悔する!という時には自分を優先してもいいのではないか。親が本気の姿や楽しんでいる姿を見せていれば心配することはないのではないかと感じる。
娘と私の関係
私と娘の関係は、今世では娘なのだが、過去世では私の親をしていたのではないかと思う時がある。私が娘に育てられている感覚だ。娘から常々私は沢山のギフトや教えをもらっている。1番の味方であり無償の愛をくれる存在でもある。
今世で家族になっているということは、きっと深い深い魂の繋がりがあると思うし、死んでもきっとまた別の人生で会える気がしている。(この感覚は主人にも息子にも持っている。)
この時代に再び出会え、一緒に時間を過ごしてくれることに幸せを感じこのひとときをそっと優しく抱きしめたいと思う。