何にもなれなくても、何かになっても、大事なものに大差はないはず
何になりたいってわけでもないけど、何かにはなりたいって感情ありませんか。このままじゃなんか味気なくて、でも別に不幸ではなくて、十分幸せだってことも理解してるけど、でもなんか、もっとこう、「何か」になれるような気がしてもどかしくて、私とはいったい?と思うようなアノ感じ。
小学生の頃は、女優になりたかった。よく、雑誌の後ろの方に芸能事務所のオーディション応募欄があって、それを切り取って勉強机の中に入れては何度も眺めて、母に見つかったときは恥ずかしくて「たまたま切ってあっただけ!」とブチギレたこともあったっけ。毎日お風呂で泣く練習をしていてたし、鏡で自分の顔を眺めては、誰か私を見つけ出してくれないかなと思っていた(とんだ勘違い野郎)。
中学生に入ってからは身長がどんどん伸びて、ファッションがすごく好きになってモデルになりたいと思っていた。修学旅行で竹下通りに行ったときは、どこにスカウトマンがいるんだ?!と思いながらドキドキして歩いたけど、その頃にはもう東京に行ったところで何も変わることはないことくらいは自覚していたし、帰りの新幹線で「やっぱそうだよね」と妙に納得していた記憶がある。中学2年の頃、ひとつ上の先輩がミスセブンティーンに選ばれて学校中の話題になっていた(森川葵ちゃん)。バスケの試合の応援に来てくれていたとき(うちのバスケ部キャプテンと仲が良かった)可愛い子だな~と思っていたけれど、比較的身近な人が芸能界へ入っていくのを、猛烈に嫉妬して、どうせ売れないだろと思うことでしかその気持ちを処理できなかった。
高校生になって、ダンスを始めたことがきっかけで、アイドルに憧れるようになった。SKE、乃木坂、欅坂。全部1次審査(書類)を通過して2次審査の案内が来ていたのに、バイトやダンスのレッスンを休めず諦めた。今思えば、適当な口実を作ればよかったと思うんだけど、周りにそういう気持ちを言えなくて休めなかった。まあでもきっとそれまでの気持ちだったってことだと思うんだけど。欅坂があんなにかっこいいグループになるとは思っていなくて、平手ちゃんを画面越しに見たとき、もしかしたら私がいたかもしれないとありえない妄想でモヤモヤしていたし、結局私はこうやっていつまでもこっち側(魅る側)なんだろうなと思い始めてしまった。
高校を卒業してアパレルで働き始めてからは、目の前の仕事と当時の好きな人に夢中で「何になりたいか」なんてことは考えなくなっていた。稼いだお金でお笑いライブに行ったり好きな服や鞄を買ったり、好きな人と旅行に行ったり、それで十分すぎるほど幸せだった。
3年半アパレルで働いた後は「キャリアアップしたい」とありきたりな理由で人材派遣営業に転職して、働きすぎて「あれ、何のために働いてるんだろう」と思ったり、人の人生に関わることができる楽しさを感じて「天職だわ」と思ったり、その極端な感情を繰り返しながら毎日数字に追われていた。そんな中でご縁があり、営業先のIT企業でWEB企画職として働かないかと声をかけてもらって、営業も好きだったけど1年半で退職して今、WEB企画職をはじめて8か月目くらい。転職してから毎日定時で帰るようになって、仕事以外にも何かしようと考える余裕ができた。撮影サービスをはじめてみたり、動画編集をはじめてみたり、ライティングもやってみたいとかいろいろ考えるようになった。転職直前くらいに結婚しようと思っていた彼が鬱になって別れて、好きな人との付き合い方も、考え直すきっかけになった。
あと3か月で24歳。そうしたら「20代前半」でいられる最後の年がはじまる。
いつか「何か」になれると思いながら生きてきたけれど、未だ何になりたいのかハッキリしていない。
でも、最近、これでいいのでは?と思う気持ちがポッと芽生えてきた。
私は何にもなれなくても私だし、何かになっても私であることに変わりはない。
毎日淡々と仕事をこなして安月給で暮らしていても幸せでいられる。
スキルを身に着けて自分の裁量でたくさん稼いでも、本質的な部分(大切な人や物、考え方や幸せな時間の過ごし方)はきっと変わらないだろう。ていうか、変えたくない。
だったら、「何になるか」じゃなくて「何をして生きるか」を大事にしたい。他人から見て何も成し遂げていないヤツでもいいから、自分にとって「自分がやりたいことをやり続ける」ってことは妥協しないようにしたい。
早起きできなくて凹むんじゃなくて、自分が寝るのが好きなら長く寝られた幸せを噛みしめる。お金がなくて心まで貧しくなるんじゃなくて、お金をかけないでも楽しめる遊びを考えよう。高身長高学歴高収入のハイスペックな誰もが認めるような人と一緒になるんじゃなくて、みんなが「そんな人やめときなよ」と言ったとしても胸を張って「私の一番好きな人だから」と言い返せるような人と一緒にいよう。貯金をゼロにしてでも、今猛烈にやりたいと思ったことならチャレンジしよう。
たぶんきっと、そうやって生きた結果できていく自分が、女優より、モデルより、欅坂より、何よりも自分が求める「何か」なんだと、今は思う。
いつかはどうせ死ぬ。私も、私が嫌いなあの子も、大好きなあの人も、亀梨和也も、稲葉浩志も、佐藤健も、綾野剛も、みんないつかは死ぬ。明日死ぬかもしれないし、もう今死んだっておかしくない。だから「何になるか」なんて考える時間があるなら、「今やりたいこと」をやって生きていきたい。好きな人には好きって言いたい。だって死んだら伝えられない。
「べき」に囚われず、「したい」に忠実に。ていうか、きっと「しなきゃいけないこと」なんてそんなにない。だってどうせ死ぬんだし。死んでたかもしれない今、奇跡的に生きていられるんだからやりたいことをやって生きたい。
なんかまとまりなくなったけど、スッキリしたので、これが私の本音なんだろう、そう思うとまたホッとするな。さー今日は何しよっかな。
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