日記:不眠、春が春ではないとして:2024.11.13
最近、髪を乾かすということを覚えて、トリートメントを付けるということも覚えた。最強。
お風呂入ったらもうその日の活動力が限界ぎりぎりになるから、髪は自然乾燥で、寝癖がついても朝ガシャガシャと水でほぐせば、自分の髪質ストレートだしマッシュヘアだからどうにでもなるだろうって自己弁護してた。
汗をかいたりして汚いからシャンプーは毎日ちゃんとするけど、トリートメントをする余力は残ってないからキャンセルしてる。詰め替えの2本セットを買ったけどトリートメントだけは新品のままノズルに埃がうっすら積もってる。
ちゃんと手を加えれば、ちゃんとなるんだ。努力のゲーム。もしかしたら努力は報われるものなのかも。おそらくは嘘だけど。
思ったよりも髪の毛がサラサラになって、さらさらと感動してる。これがほんとうの自分の髪の毛?
・最近、夜遅くまで起きていることが多い。
用途不明の脳のモードになって眠れない。だからといってSNSも見れないし、動画も観れない、本も読めない、なんなら動けない。何も出来ない時間になる。
身体が睡眠を拒絶してるからどうしようもないな。こっちは身体のためを思って寝てあげようとしてんのに身体はそれを拒んでる。
・日記を見返すと、自分はとっても偏屈な人間だなって思う。日記はその日を部分的に抽出していて、加えて、自分は文章を書くのが苦手だから、より顔が強ばった文章になってる。
美味しくないコーヒーのような文章だなぁ。と飲み込みながら思ってる。豆も悪いし焙煎も過不足、お湯の温度が熱すぎて、注ぎ方も大雑把。一生、コーヒーメーカー使ってて。
この美味しくなさは、自分で淹れたコーヒーだから、では誤魔化せない。
・具体的な解決にならないけど、肩の力を抜くように、ふーっと深呼吸をするの心地がいい。
一拍よりも長い、二拍から三拍の深呼吸になる言葉も心地がいい。
・たまによく編み物の動画を観てるけど、まったく論理が見えてこない。ここに糸を通すとこうなる、という論理のイメージや実感が湧いてこない。
実際にやってみないといけないけど、何らかの忍法の印のように、手をシュパシュパシュパシュパって変わる変わるジェスチャしている感じがして、何をされてるんだろう、って思う。
編み物が素敵に完成したら、その構造の規則性に気が付けたりするんだけど、そこにある論理は難解でイメージできないなぁ。いつかやる。
・もしも仮に春が春ではなかったとして、冬から夏にかけて緩やかに気温が上昇する頃が、冬の終わりと夏の始まりの2つに区分されたとき、それは、ものすごく悲しいことだなと思う。
だからそれを春と呼んだ故人、めっちゃ素敵。
樹々の葉に注目して、秋や冬は紅葉や落葉があるけど春はそうでもない。萌芽するけど緑が茂る様子から夏と一括りにされてもおかしくない。
だから青緑、赤黄、白黒で三季だったかも。
ひるがえって農業に注目して、春と夏で植物たちを成長させて秋頃には収穫する。そして寒い冬になれば作物を栽培できない。
だから成長、収穫、休閑で三季だったかも。
それでも春が春であり、春が春として四季を成すこと。これはすごく尊い事実であり、原始的な祈りなのかも。
誰かの祈りがこうして春となった、のならば感動する。そうでなくとも春は感動する。春は、ありがてえ存在。
・来年の4月、amazarashiが横浜で初のアリーナでのライブをするみたい。開始してすぐに抽選に応募した。
『電脳演奏監視空間 ゴースト』ってタイトルからもうかっこいい。もうだばだばぁーって物語が浮かんでくる。あのときのキャラが復活するんだ。
このライブは、6年前に日本武道館であった『朗読演奏実験空間 新言語秩序』ってライブの続編になってて、それが頭の隅々に蘇ってきてる。まだ鮮明に思い出せるほど記憶に新しいけど、それを懐かしいと思えるほどの時間は経ったんだなぁって染み染み感じてる。もう6年前って。
ライブビューイングで全国の映画館で同時視聴ができて、博多にあるT-JOYに観に行った。そんとき高校1年生だったのやばい。片田舎の街に住んでるから、一人で電車を乗り継いで都会に行く、初めての冒険のような心持ちだったのを憶えてる。
それに合わせて新曲のMVがアップされた。めっちゃかっこいい。独白のような叫びのようなラップのようなamazarashiらしい曲。
6年前の作品を知らなくても映像としてかっこいいし、曲もやばいくらいかっこいいから聴いてみて。
福岡から横浜までは遠いけど、強い気持ちがあれば近いので?どこへでも行ける。
・どうせ生活してんならと部屋を飾り付けてる。半分はVlogに影響されて、特設コーナーをつくってる。
肉眼だったらもうちょっと綺麗なんだけど、写真になると情熱的というか、熱を感じ過ぎるなぁ。実際はもうちょっと優しい光をしてる。ぎりぎり本が読めるくらいの光量で照らしてくれるから好き。
脳が死んでいてもこれだったら、うげぇーって阿呆みてえなツラをして眺められる。ろうそくの火を見つめると目に太陽黒点のような真っ暗な穴ができて、そこに感情を捨てているような気持ちになる。
エビデンスなんて無いけど、ろうそくの火に色んなもの焚べる行為、おすすめ。精神的なこととして。
これを春として育てていく。
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