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日記:誰かの悪口を言うくらいなら:2024.11.05

自己否定をやめたとて、そんなら他者否定をすればいいんかな。誰かの悪口を言うくらいなら自分の悪口を言ってた方がましでしょうって思うけど。

自分の頭が悪いことを何度も日記に書いているのは、実際に頭が悪いという現実を直視するため、ほとんど自戒の意味だけど、頭が悪いほうが気持ち的に楽だからという打算的な思惑が少しある。

それは理解の及ばないものからの逃避だし、能力不足や努力不足への言い訳、自分自信に保険を掛けてるだけの呪いのようなお守りのような思い込み。

否定や悪口はとめどなくて、勢いよく噴出しているけれど、でもそれを自分に向けて砲撃するべきだと、自らを攻撃するのは、本当は偉いことなんじゃない?って思う。

遊撃によってできた心の空隙に、誰かが躓いたりして怪我をするわけじゃないし、ただ自分がその空隙を手でなでるように触って、その穴の大きさを感覚的に理解するだけのこと。他の誰かを傷付けていない。

幸せのハードルを下げると生活の幸福度が上がる。そういったマインドと同じで、自分は馬鹿なんだと言い聞かせれば、ふとした思いつきや上手くいった事が一等輝きを持ちはじめる。

周りの人に馬鹿だと思ってもらっていた方が、ふとした活躍や上手くいった仕事が一層輝きを持ちはじめるはず。

自分の中でも相手の中でも、基準を下げることで相対的にポイントが上がる本当に都合のいい制度で運用してる。半分冗談だけどね。と保険をかけとく。



・夜空が最近綺麗かも。黒みがかった青色をしていて、なんというか藍染めしたような空で好き。冬にかけては白みが足されて調色されていく様子もきっと綺麗だと思う。いや違うかな。というよりは、何度も洗って乾かしているから布地が色落ちしているんだと思う。月日の流れを感じられて良い。お気に入りの服って何度も何度も着るから痛むのが早い。きっとそれと同じことが空で起きるよ。

なんか初冬の空を観上げてから思うべき気持ちだったかもなぁ。すこし前にもそんなことがあった。あの時も秋なのに春を焦がれて少し後悔したのに。やっぱり冬の夜風を胃の中に入れてから感じるべき気持ちだった。



・キムチチャーハン作った。キムチって食卓に添える用の副菜として買っても高確率で余る。結局チャーハンかスープにしないと消費しきれない。最近お酒飲まないから食べる量減ったかも。冷凍のアサリとか枝豆を和えるとめっちゃ美味しい。それでストゼロ飲んでた。

キムチャにオイスターソースを入れたらめっちゃ美味しかった。いつも料理は勘だから思いつきでいろんな調味料を加えてる。よくあるレシピなのかは分からないけど、とにかく美味しかったから美味しかった。おすすめ。あと白ごまもね。ごま油は定石だけど粒ごまを入れると一層美味しい。


明日はカレーをつくるので、いま牛すじと玉ねぎを煮込んで準備中。牛すじの煮汁もフィルターで濾して旨みのすべてをスープに残しているから楽しみ。絶対美味しいじゃん。ちゃんと玉ねぎもあめ色まで炒めた。絶対に美味しい。ルーも少し高めの横濱舶来亭のだから絶対的に美味しいカレーになる。

キッチンを通る度にカレー鍋の蓋を開けて様子を見てしまう。時々かきまぜて、時々火を入れて、丹精に丹精に絶対的に美味しいカレーを仕込んでる。すぐに訪れる未来に最高が待ってるのが嬉しすぎる。

計画的犯行ってこんな感じなのかな。



・中原中也の詩集『山羊の歌』を半分くらい読んでみた。その中でもサーカスが特に好きかも。

幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました
幾時代かがありまして
冬は疾風吹きました

幾時代かがありまして
今夜此処での一と殷盛り
今夜此処での一と殷盛り

サーカス小屋は高い梁
そこに一つのブランコだ
見えるともないブランコだ

頭倒さに手を垂れて
汚れ木綿の屋蓋のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

それの近くの白い灯が
安いリボンと息を吐き

観客様はみな鰯
咽喉が鳴ります牡蠣殻と
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

屋外は真ッ闇 闇の闇
夜は劫々と更けまする
落下傘奴のノスタルジアと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん

中原中也『サーカス』

深夜に忍び込んだ劇場のスクリーンに自作の映画を投影したような、それは決して詩が詠まれた時代が古いからだけではなくて、中原さんのおぼろ気な記憶の部屋の片隅にある、長く机の上に放置してしまい中窓から射し込んだ日光に表紙が焼かれた日記帳を数ページ眺めたような、けれど日記を読むよりは軽く、メモ紙を読むよりは重く、それこそ文中の「見えるともないブランコ」のように寄る辺なさを抱えて、この辺りでは一番大きい公園のベンチに座って、何かを注視するでもなく、ゆっくり右左に、はたりと右左に、またまた右左に、あたりを見回して、なんでもない時間を積み重ねるような感じがする。

めっちゃいい!感想として表現しようがない。ノスタルジーやセピア色と言うには言葉が安すぎる。

なんというか、春の風に大きく背伸びをして、冬の風に小さく縮こまる。そんな感じがする。

ゆあーんゆよーん と ゆやゆよん

詩はやっぱり難しいけど面白いかも。形がないものを掬い集めて瓶に詰めるような作業で、それがたまに漏れてしまうこともある。ときたまの賽の河原に怯えるけれど、それでも楽しさは漏れ出ることはない。

それに古い言い回しや表現は実際のところ分かっていないけど十分なほど伝わる。

んっ、て何か渡したい物を相手の前に突き出すのではなく、相手の胸あたりに物を押し当てて少し身体をぐっと押すような感じで渡してくる。(伝わって)



・自分は現代文も古文も終わってるから。古文漢文がまったく読めなくて、共通テストの古典は、本文を読まずに問題の選択肢の文章だけを読んで回答する、狂気のライフハックで受験を乗り切ってた。(実績:78/100点)。問題文はさすがに現代の言葉遣いだから自分でも読める。

でもそんなカスライフハックも一定の効果があったみたいで嬉しい。友達が教えてくれた。n=2。でも自分は出来なかったけど、やっぱり検証する感じで本文も読んだ方がいいね。応用すれば英語もいけるらしい。やはり間違ってなかったのかもしれない。

ぜんぜん要らない心配なんだけど、予備校の入試対策の授業で『テストで本文は読むな!』と、しょうもない自己啓発本みたいなタイトルでこのカスライフハックが広まったらどうしよう。日本の共通テスト界隈が波乱と波乱の末に転覆してしまうんじゃないかな。革命に革命返しで、動乱の時代になる。

カスにはカスの入試対策
(巻き込み事故でカス扱いしてしまってごめんね)


終わり




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