各国料理の特徴と短所
今まで、フランス料理、中国料理、日本料理の特徴を言語化することをしてこなかったので、思考の整理もかねて今回はその辺を書こうと思います。
フランス料理(とくに19世紀以降)は一言で言うと論理の料理です。料理の始まりから完成まで数学に通じる論理的思考でできています。調理工程を客観的に説明できるので、ミスした場合の修正箇所がわかりやすく、一定の技術力があれば再現性が高く、名人芸に依存しない。それゆえ世界中のフォーマルな会食で採用されています。これは19世紀のエスコフィエという料理人とセザール·リッツというホテル経営者の功績でもあります。
中国料理は合理主義の料理です。「美味しい」というゴールに向かって無駄なく最短距離で
つくられます。例えば、川魚の下処理。日本料理ならまずはきれいな水に放して泥をはかせ、おろした身に塩をして臭みを抜く。フランス料理ならばハーブやスパイス、オイルでマリネして臭みを消す。一方の中国料理は高温の油で短時間で揚げて臭みを抜くと同時に香ばしさを加え、味の染み込みを良くする。という一挙三得な調理法。調理道具も鍋と包丁が一種類ずつで、その鍋で炒める、揚げる、煮る、燻す、蒸籠をのせると蒸すなど多彩な料理を作ることができます。
日本料理は、様式美の料理です。これは料理だけでなく、能や歌舞伎のような伝統芸能、剣道や柔道のような武道、茶道や神社への参拝の仕方などの礼法、全てにおいて「型」を大切にします。美味しければ良いではなく、美味しさにいたる過程に洗練された型の美を感じるかどうかが、重要になります。日本料理の職人は、決められた型を忠実に再現する能力があり、仕事もきれい(他国の料理人はめっちゃ散らかす!)なのでどこの国に行っても重宝されます。
と各国の料理の特徴を書いてみましたが、一方で短所も書いてみようと思います。
フランス料理の場合。実際にフランス料理を食べに行ったときのあるあるですが、「理屈が立派な割にたいして美味しくない」ということが多々あります(笑)。つまり論理的な整合性と現実的な評価に解離が生じることがあります。食べ手不在の料理と言いますか、共感なき芸術と言いますか…簡単に言うと自己満足、承認欲求のかたまり…みたいな料理になりがちです(私のことか⁉️)。
中国料理の場合。合理主義が行き過ぎて、ルール無用になる場合があります。もともと食材や調理法に縛りのないジャンルではありますが、最短距離で美味しくするために化学調味料が中国本土でかなり普及してしまいました。化学調味料の善悪というより、どの料理も味のトーンが一緒になってしまい、美味しいんだけど面白味のない料理になってしまいます。
日本料理の場合、一定の型を習得すると一人前の料理人(店を持てるレベルの料理人)になることができます。それゆえ、習得した型に対してある種の信仰を持ってしまい、型に対して疑問を持つことや、型を破ること、型を深掘りすることをしなくなることがあります。つまり店を持ったときがピークでその後、料理が大きく成長しない形式主義という名の「たいくつな本物」に陥ってしまうことがあります。
昨今、料理のボーダレス化が進み各国の料理が影響しあって進化しています。
フランス料理で例えると、日本料理の影響を受けたフランス料理とは、日本の食材や調理法を取り入れたフランス料理ではなく、様式美を追求したフランス料理のことだと思います。味噌や醤油を使ったフランス料理に違和感を覚えるのはそこに様式美を感じないことが原因であると思います。
最悪なのは、理屈は立派な割に美味しくなく、ルール無用で、形式主義に陥った料理です。
自戒をこめて結びとさせていただきます。
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