読書感想文が“強敵”な理由①(私の場合:小学生時代の読書感想文のトラウマ)
「入賞なんて考えてないから、
原稿用紙を埋める方法を誰かぁぁ」
と泣きそうになっている方へ。
お気持ちが分かりすぎて
胸が痛いです。
これは、読書感想文の宿題に泣きそうになっている人に、どうにかお力になりたくて書いた記事【第一回】の、補足的なものになります。
一例としての、私の話~“スバラシイ”良い子への誘導
私は小学5年生の時、読書感想文で、県の最優秀だか特選だかの賞に選ばれました。
原型をとどめていないほど、先生に直されて、応募された賞でした。
当時は大人の言う事は絶対だと思っていたので、
善悪やズルじゃないかという問題すら考えられないまま、
何かすごくイヤだと思いながらも従いました。
今になって思えば、
直された事そのものが嫌だったのではありません。
今だからやっと説明できますが、あれは、
大人の価値観から見て“スバラシイ”感想に誘導されている感じ・文章だけでなく自分自身の中身まで強制修正させられている感じが、どうしようもなく嫌だったんです。
それが読書感想文の苦手意識の根っこになっている人は、私以外にもたくさんいるように思うのですが。
お互い、大変でしたね……。
(※現在の学校現場は修正しない方針に変わりつつあるようですね。大賛成です)
小さな嘘でも大きくなって行く~自分自身の感情をいつわる時も同じ
私をはじめ、
世の中に当然のように存在している、作文や感想文の『苦手意識』
の理由は、
【審査する人が持っている価値観を予測し、その人が感心しそうな“良い子”になり切って書く】
という事に対する不快感だと、私は思います。
子供の頃、『どんな小さな嘘でもつくと、その嘘を隠すためにもう少し大きな嘘をつかなければならなくなる。それがどこまでも連鎖して巨大になっていくから、嘘は良くないのだ』と教わった気がします。
今になって思います。
あれは、自分自身の感情をいつわる時も、全く同じだ、と。
だから、どうか皆さんには、
読書感想文に、いつわらないそのままの感想・感情を書いてほしい。
社会人になって間もなく、入院するほどひどい鬱病になり、
何度も再発と寛解を繰り返しながらサバイブしてきた私は、
強くそう思います。
消せない不安は、他人を信じる事ができるかどうか
それでもやっぱり、正直になるのは心配になってしまうかもしれません。
そうですよね、分かります。
『こんな感想』と怒られないかな、などと、ね。
どうか私と同じようなお考えの先生が、どの学校にもいらっしゃいますように。
いえ、きっといらっしゃると私は信じたいです。信じてみます。
かつて私を指導して下さった先生も、きっと、
当時の私の心の成長に必要な気づきを与えようと一生懸命になって下さったがゆえの、
ご指導だったはずなのですから。
正直に自分の内面をさらけ出せるかどうかは、
結局、
自分が他人を信じる事ができるかどうかという問題になって来るのですね。
そりゃ読書感想文が“強敵”のはずです。
次回【第二回】は……
≪感想文の書き方その1≫と、超重要な注意点
読み終わった直後の感情をそのまま書く。それがネガティブ感情であっても。
↓
「だってさぁ」をひとしきり書く。自分語り、大歓迎。
↓
(もし浮かんで来れば)なんで自分はこんな事思ってるんだろう。
これを、もう少し具体的な例を出してご説明していきます。