「東京都さびし区君まち胸ノ中二丁目心」ここにすぐ来て  (矢留)

理と情のバランスが命の短歌において、人々はそれを上下の句に分けて表現したり、譬喩的に投影させるかたちを模索したりするのが常だが、この一首は類型の少ない方法でその融合を試みている。読者から見れば馴染みのないこんな方法はすぐには心に響きにくかったのだろうか、「うたの日」での票は集まっていない。しかし、ここまでオリジナリティに溢れた歌は、似た表現の追随を許さず、その作者の代表作にも成りうる要素が満載なのだ。第四句までの住所に準えた表記は、一見、背景のように軽く通過されてしまうかもしれない。だが、よく見るとここが深いのである。「さびし区」は23区には含まれないがすべての区を包括しているのかもしれない。「孤独区」などともできたところを、きちんと形容詞の連用形にすることで「まち」が動詞であることを証明する効果がある。「君まち」は町の名であると共に君を待っているという古来の掛詞になっている。胸中の二丁目あたりに心があるのも納得してしまうが、「胸の辻」とでもしたらもっと揺らぎが出たかもしれない。このアドレスは声に出して読んだ時にはさらにありそうな体になるので魅力的である。表現は、いくら他者の作品に心酔したとしてもそれを真似ればいいものではない。このように自分らしく新しいことに向かう勇気が必要だろう。それを実現しつつ、たまらなく逢いたい恋心を十二分に伝えているのだから良い作品だ。

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