蛞蝓が殻を失い得たものは何だったろう印鑑を押す (桃園ユキチ)
『 蛞蝓 』という題で歌が詠めるだろうか。ナメクジが這うとか溶けるとかボンベの裏にじめっといたとか、そんなことなら記録のように書きとめることはできるが、心を詠み込む歌にすることなど、そうそうできることではない。しかし、この一首はそんな前人未到みたいなことをやりおおせてしまったのだ。主体はおそらく「蛞蝓が殻を失」うように、何か拠りどころのようなものを失う経験をしたのだろう。その喪失には、「印鑑を押す」儀式が伴なうのであるから、離婚や退職など何らかの契約解除が考えられる。もちろん主体は、蛞蝓とはちがって自分の意志でその選択をし、いくばくかの自由を得るのだ。しかし殻のない蛞蝓にメリットは見当たりそうもないのだが、あるとすれば何だったのだろうか。自分が契約解除に伴って得たものは本当に自由なのか、幸いなのか、良い判断なのか、悩みは尽きない。だからこそ主体的な強い判断だと確認し、言い聞かせるように、「印鑑を押す」ことを敢えてストレートに結句で宣言しているのだ。結句がないがしろになりがちな現代短歌で、この重みは胸に深く響く。心象と実景のバランスも実にほどよいので嘘っぽさがない。真似したい構成である。
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