第25巻
15巻以上影を落としていた栄京学園・広田との決着がつく本巻。最後に広田にも一応の救いを見せる。長く付き合うとヒールでも思わぬ変貌を遂げる時がある。内面を見ているうちにヒールになる必然が見つかった時だ。その必然を描くと、描くことが必然からヒールを解放することになる。この巻の広田がまさにそれ。そして広田を解放する(そういう意図がなくても)役回りを担うのが主人公。比呂である。
熱い試合を描いても、あだちさんは高校生活の枠をかたくなに守る。それが、終わりがあるから生まれる美しさを感じさせてくれる。
次巻に続くエピソードになる三善という少年が出てくる。
三善の扱いと比較すると広田について理解しやすくなると思う。
第1話 たったの1点
完璧なヒール・広田が変わってきている。
主人公に限らずキャラクターの変化を作中で見ると、読者は緊張と期待を持つ。
広田は変わるわけだがが、漫画家としてはこう言う変わる寸前の回がもっとも難しい。あまり激しいきっかけと激しい変化を与えてしまうと広田が主役になってしまうからだ。もちろん「この数回は広田が主人公」という割り切りもあるが、広田の退場のエピソードを描く段でもあるから後を引き過ぎるのも問題だ。
あだちさんが使った解法は
周囲が気がつく
というものである。まず最初に大竹が気がつく。大竹は千川高校にいる広田の親戚。千川の野球部を攪乱する目的で広田に入学・入部させられたが野球の楽しさに目覚め広田と対立する。その大竹が誰よりも先に広田の変化に気がつく。変化する当人の内面から描くと変化の印象が強すぎる場合、このテクニックはとても有効。
あだちさんはさらに
その変化の兆候を否定する材料を揃える
というテクニックをかぶせて、状況を複雑にしサスペンスを感じさせるようにしている。
P9からP11がそれ。他人を嘲笑うのが好きな広田らしいエピソード(しかしこれも後で見返すと親切心で言ったように見えるから不思議である)。
次にP16、17。救急車が走りどこかで誰かが危険な目に遭っている。その音を背景にナイフの刃先を見つめる広田。過去に英雄をはじめ、何人も怪我させてきた男の不気味な態度である。
この二つのテクニックを併用すると「広田は変わったのかどうなのか」読者は混乱を来す。混乱解決のエネルギーが物語全体の推進力にもなってい
ミッドポイントで英京学園監督と英雄の会話が入るのに注目して欲しい。息を抜くような流れで同時に息を抜かせないという離れ業になっている。新聞で見つけるなにか=事件の兆候という図式の利用。
第6話 ふと気がつきゃ
新人がやったら多分怒られる構成。三分の二にあたるP95からP105までセリフがないのだ。セリフがないと読者は目をとどめてくれない。なんとなく眺めて先に行ってしまう。漫画は絵と言葉とコマ割があって初めて成立するからだ。
以前どこかの出版社で「8ページセリフなしの新人賞」というのがあって(まだあるのだろうか)その告知を見たとき「審査員、神経を失調するな…」と思ったモノだ。初学者の無声の漫画を何本も何本も読み続けるのだから。それに実践的ではないだろう。仮に無声8ページ漫画に熟達したとしても仕事にはなりにくい。無声でいけるのはカートゥーン、4コマ。ストーリーなら5ページくらいまでではないか。
じゃあ…あだちさんはどうしてわざわざそういう禁じ手っぽいことをしたのか?
読み飛ばして欲しかったのだ。
ここで描かれているのは地区大会の決勝戦。これに勝って甲子園出場を決めるわけなんだが、実質的には準決勝で話の方向は決まっている。だから一応は描くけども読み飛ばしてくれという合図のようなモノである。目をとめて欲しい比呂の投球フォームと勝利の瞬間は、美しい絵と目立つ構成になっている。
あまりまねしない方が安全な構成である。あ、三、四ページやるくらいならオッケー。
第7話 散歩いくかぁ
緩やかな三幕構成。
P113~P117 比呂の家庭生活
P118~P125 比呂+ひかり+英雄
P126~P130 比呂+ひかり
同じセリフを別のシチュエーションで聞くと意味が変わってくる。変わる理由は周囲の状況の違いであったり、発言者の違いであったり。
そして二番目に出てきた時、それを巡るやりとりがそのセリフの真意になる事が多い。あだちさんの得意技である。
本回では
「甲子園で優勝してこい」
というセリフを巡る演出が印象的。比呂は英雄の同じセリフに対しては
「かんたんに言うなよ」
と返すが、ひかりのこのセリフには
「ああ」
と自信を込めて返している。その様子からこちらこそ比呂の本心であるのがわかる。
このやりとりはP128の比呂の言葉でさらに意味が深まる。英雄が酔っ払って寝入ってしまったあと、ひかりにかける言葉だ。
「夢とか希望とか悩みとか、もっと話したいことがあるんじゃないのか---英雄に。」
ひかりは答えようとしないことで、この言葉を肯定する。
これによって、上の「甲子園で」のやりとりは、英雄には告げられない本心を二人とも持っている、そういう共犯的な回路があることを表している。緻密なセリフ構成である。
最終P130に今後の不安材料をちらりと見せるのは、週刊連載らしい手際。