見出し画像

性の話題を扱ううえで欠かせない3つのアティチュードとは?

アティチュードって何?

性の相談を受ける。性に関するトラブルに対応する。そういった場面で対応者はどういうアティチュードで対応すればいいのでしょうか?

※アティチュード(attitude)と言うのは、「態度」を意味する英単語です。「性の話の対応者の態度」と言ってもいいのですが、「アティチュード」と表記することで、日本語の「態度」という言葉には含意されていないもう少し色々なニュアンスが込められていますので、以降は「アティチュード」と記します。

性に関する対応をする時に求められる対応者のアティチュードですが、例えばあなたが恥ずかしさや気まずさを乗り越えて、思い切って自分自身のプライベートな性のことを誰かに相談したとします。

相談相手に笑われたり、バカにされたり、からかわれたりしたらどうですか?とっても嫌な気持ちになり、「もう二度と相談しない!」となりますよね?

笑う。バカにする。からかう。こういうものもアティチュードです。もちろん、この場合、不適切なアティチュードということになりますが。

こんなふうに考えていくと、相談者に求められる適切なアティチュードというものがあるはずです。

性の健康イニシアティブではそれを3つ紹介しています。

性の話題を扱うために必要な3つのアティチュード

性の健康イニシアティブが紹介する3つのアティチュードは、
1)ノンジャッジメンタル
2)主体者は相手であることを忘れない
3)科学的根拠のある情報を扱う
です。

それぞれについて、以下に概要を説明します。

ノンジャッジメンタル

ノンジャッジメンタルとは、支援者が勝手にジャッジしない(決めつけない)ということです。

ノンジャッジメンタルというアティチュード(決めつけないという態度)を発揮する場面の例として、
・相談に来る人の見た目に関する決めつけをしない
・本人の思想や価値観、自己決定の内容についての決めつけをしない
などがあります。

「派手なかっこをしているから、この人は性的にもアクティブなんだろう」など、見た目で人を判断するようなアティチュードは不適切です。

また、「あなたの考えていることは世の中では甘えと言います」「そんな考えはバカげています」といった決めつけも不適切なアティチュードです。(さきほどの、笑う。バカにする。からかう。といった行動は、相談内容がくだらない・バカげていると決めつけていることで起こる不適切なアティチュードということになります)

相手の価値観を尊重して支援をする必要があります。

ここでよく質問されるのが、「自分の価値観と相手の価値観が違っている場合、どうすればいいか」ということ。

僕の答えは明確です。

相手の価値観を尊重してください。
自分の価値観は自分の人生を豊かにするために使ってください。

例えば、支援者であるあなたが「結婚は人生の宝物。絶対したほうがいい」と思っている一方、相談に来た方が「自分は結婚とかはしたくない」と言っている場合。

あなたはあなたの人生を豊かなものにするために結婚すればいいのです。でも、相談に来た方は「結婚をしたくない」と思っている。ならばその価値観をきちんと尊重し、そのベースの上で支援をします。

この時、「本当は結婚したほうがいいと思うのに、この人何なんだろう」と思わず思ってしまう支援者もいることでしょう。それはそれでいいのです。内心の自由は誰にでもありますから。それを支援の中で表現する自由はありませんが。

ただし、思っていることは多くの場合、相談に来た方に対して、言外のメッセージとして伝わるものです。「本当は結婚したほうがいいと思うのに、この人何なんだろう」と思っていると、相談者にはその想いがネガティブなメッセージとして伝わってしまうと思います。これは、自分の価値観と支援行動の切り離しができていないから。価値観と支援行動の切り離しもまた、トレーニングによって少しずつできるようになります。

なお、自分と支援対象者の価値観があまりにも違いすぎて自分では手に負えないと思えば、それは無理せずリファー(別の支援者に対応を依頼する)の対象と考えたほうがいいでしょう。

主体者は相手であることを忘れない

人生の主導権はその本人にあります。誰しも、人生の主導権を他人に渡してはいけないし、他人の人生の主導権を奪ってもいけません。

支援の場面においても、
・支援者が勝手に決めない
・支援者が良かれと思ってやらない
ことが重要です。
本人が何を考えているのか、どうしたいと思っているのかを、きちんと本人に聞く必要があります。

思春期のデートDVの相談では、デートDVの被害に遭っている相談者に「別れたほうがいい」と(良かれと思って)言って絶縁される相談員がいます。

相談者は、(暴力をふるわれてもなお)パートナーのことが好きで、別れたくなくて、何とか相手に変わってほしいと一縷の望みを持って相談に来ています。頭ごなしに分かれたほうがいいと決めつけられてしまうことで「信頼できない相談相手」「もう相談しない」と思われてしまうのです。

デートDVのメカニズムとしては、暴力をふるう相手とは別れる、は正しい場合が多いです。でも、正論が正しい(相談活動として最適解)とは限らないのです。

本人がどうしたいのかをきちんと聞いて、その人生の主人公としての相談者の意向に基づいて一緒に考えて支えるという姿勢が重要です。

科学的根拠のある情報を扱う

思い込みや願望、妄想に基づいた指導や支援は極めて不適切です。科学的な根拠がある情報をベースにして支援をおこなうことが必要です。

科学的であるとは、再現性があること。何回やっても、他の人がやっても、同様の結果が得られるような事実のことを科学的と言います。

科学的であるとは、既に再現性のある事実として得られている知見や、それを応用して得られる知見のことでもあります。

「性交中にコンドームが破れた!」という相談をされた時に「コーラで洗えば大丈夫」なんて答えてしまうのは科学的態度とは言えません(コーラで洗っても避妊には効果がないということが、既に得られている知見であるから)

「財布にコンドームを入れておけばお金が貯まる」なんて言ってしまうのも、科学的態度とは言えません。ジョークとしてはいいと思いますが。(ちなみに、財布にコンドームを入れておくとお金が貯まるというのは、財布にコンドームを入れておくと、お財布を開いた時にそれを見られるのが恥ずかしい。だから財布を開かなくなる。するとお金が出ていく機会が減るのでお金が貯まる、というエスプリだそうです)

根拠のない情報や、本人がやっても効用を得られない情報をもとに活動を展開することは、支援とは言い難い面があります。個別具体的な知識についても、科学的であるかを検証しつつ、学び続けることが我々には求められます。

ただし、科学的であることを錦の御旗にはしない

他方で、科学的であることを錦の御旗にしないことも重要だと考えています。科学的に正しいことに固執し始めると、そこに乗ってこられない人に寄り添えなくなります。

例えば、
「ワクチンは害の塊だー!」という言説は非科学的な誤認です(もちろん、それを信じる自由は万人にありますので、信じることは自由です。ただ、それをもって支援活動をおこなうことは必ずしも適切ではないということになります)。

しかしながら、
「ワクチンは個人を感染から守ること+社会的に感染を抑制することのふたつの意義があるので打たなきゃ駄目です!」という科学的な正しさに固執すると、「でもちょっと怖くて気が進まないんですよね…」という人の感情的な余白に寄り添えなくなります。

人相手の仕事において感情を軽視してはならず、正しさや科学的・論理的ということだけに偏ることも最適解にならないことがあります。科学的であることを当然の前提にしつつも、そこに固執しないバランス感覚が求められると考えています。

アティチュードを身に着けるコツは、支援者の限界性に自覚的になること

支援者は相談者の人生に関することを扱っています。相談を受ける側はどこまでいっても本人に成り代わることはできないし、その人の人生の責任を取ることもできません。そのような「支援者の限界性」を自覚することで、謙虚に、この記事で紹介したアティチュードをベースにした支援ができるようになっていくことと思います。

追記:野暮と粋

科学的根拠に基づく話を同じようにしても、それが「粋な話」になる場合と「野暮」になる場合があるように感じています。どうせなら粋な話をしたいと支援者誰もが思うものだと思いますが、粋と野暮を分けるのは、「いつ話すのか」というタイミングだろうと思います。

「今そんな話聞きたくないんだよね」と相手が思っている時に話せば、どんなにいい内容の話も野暮になるし、「今ちょうどそういう情報が欲しかったんだよね~」と相手が思っている時に話せば、粋な話になるものです。

僕はこの現象を「相手の生理に合う/合わない」という言い方で認識してきました。(ここでいう生理は、心身が感じている欲求という程度の意味です)

生理に合うか合わないかを見極められるかどうかは話をする側のバランス感覚の問題が大きく、バランス感覚を磨くことも支援者として重要だろうと思います。支援者側の都合だけで動いてしまうと、せっかくの価値ある話も野暮になってぶち壊しになる。バランス感覚が大事です。

なお、支援の現場においては、相手の生理に合わないタイミング(野暮なタイミング)で話をしないといけないこともたくさんあると思います。そのような時には、「相手の聞きたいモードをこしらえる」という作業が有効です。枕(話の入口)に何を話すかが大事になります。

真面目で責任感が強い支援者ほど、正しいことを、順を追って、ちゃんと伝えようとがんばってしまうことで野暮に野暮を塗り重ねるケースが多くあります。ならばまず、誰よりも変なことを言ってしまうくらいのほうがいいでしょう。そのほうが「何言ってんの、この人!?」と相手を振り向かせることができるからです。

自分の生まれついた在り方が生きづらさの理由になるのではなく、誰もが「自分は自分に生まれてよかった」と思える世界をビジョン(実現したい世界像)に掲げる「性の健康イニシアティブ」の立ち上げ人/代表です。ビジョンに共感してくださる方はリアクションお願いします。