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源氏物語ー深い森のように尽きぬ読み処

(1)「召人」に紫式部が込めたもの

 源氏物語については、古来多くの識者が「何度読んでも新しい発見がある」と評しています。長年研究してきた専門家ですら「読むたびに違う感動が得られる」という感想を口にされるのを聞いたことがあります。専門家ではない私も、源氏物語に接するたびに同じように感じています。

 最近の源氏物語体験で強く印象に残ったことの一つは「召人(めしうど)」について作者・紫式部の描き方が質・量とも大変念入りなことです。
「召人」というのは、平安時代の貴族の邸で主人の男性に仕えながら夜の相手もする女房のことです。当時、貴族の男は正妻・妾(しょう)・一時的な愛人といったさまざまな女性をパートナーにしていましたが、召人はそれらの女性より下に置かれる存在で、それまで物語や和歌などで表舞台に出ることはあまりありませんでした。
 
 源氏物語に「召人」という言葉自体は一部しか出てきませんが、長い物語には多くの召人の女性が実名(通称名)で登場し、ときにはストーリーで重要な役割を果たします。

 まず、主人公の光源氏の相手として登場する召人について紹介します。
源氏の正妻の葵の上に仕えていた「中納言の君」と呼ばれる召人の女房がいました。葵の上が物の怪に取りつかれ、出産後に急死した後、源氏とこの女房との関係が次のように書かれています。

<中納言の君という女房は、源氏の君が長い年月秘かにお情けをかけてこら  
 れました。この喪中の間は、葵の上への気がねもないのに、かえってそう 
 いう色めいたお相手をさせようとはなさいません。中納言の君は、それを
 亡きお方へのおやさしいお心遣いだと拝察しているのでした。>
           (瀬戸内寂聴訳『源氏物語』「葵」より。講談社)
 
 その4年後、源氏が失脚して須磨に旅立つ直前にも、同じ女房と見られる「中納言の君」が登場します。名残惜しく別れる場面が次のように描かれています。
<人々が皆寝静まったあと、源氏の君は中納言の君と、とりわけしみじみと 
 睦(むつ)まじくお話しになります。おそらくこの人のために、今夜はここ
 にお泊りになられたのでしょう。>
源氏は「再び逢えるのはいつのことか」と声をかけ、中納言の君は泣くばかりだったと記されます。           (瀬戸内訳「須磨」より)
 
 さらに源氏の最晩年、召人は源氏を精神的に癒す存在として登場します。源氏が生涯の伴侶として最も愛した紫の上が亡くなった後の哀傷の一年を綴った「幻」という帖です。
源氏が「六条院」に住むほかの女性たちとやりとりしても心を慰められない中、長年仕えてきた「中将の君」という召人の女房に対し、源氏は「君とだけは過ちを(今でも)犯してしまいそうだ」という意味の色めいた和歌を詠むなど、源氏の心が安らいだことが強調されています。
 これらの描き方からは一貫して、身分の低い召人に優しく対する源氏の態度が浮かび上がってきます。

『源氏物語手鑑』「幻」和泉市久保惣記念美術館蔵
(同館デジタルミュージアムより引用)

 対照的に記されるのは、源氏以外の男たちの召人への冷酷な態度です。
たとえば、物語中盤の「真木柱」という帖で、髭黒大将という貴公子が、源氏も惹かれていた養女の玉鬘との結婚を果たします。彼には長年連れ添ってきた北の方がいましたが、玉鬘との結婚で関係が悪化しました。これについて「木工(もく)の君」という召人は、そわそわと玉鬘のもとに通う髭黒に対し「すっかりお見捨てになった北の方への御態度は、わたしども、側で拝見していても、あんまりひどいと、平気では見ていられません」と直接、苦言を呈しました。ところが髭黒は意に介さず「一体どういう考えから、こんな女に手をつけたりしたのだろう」と思うだけでした。
                 (引用は瀬戸内訳「真木柱」より)

 もう一人、召人に冷たい男として記されるのは、源氏物語終盤の「宇治十帖」で登場する八の宮です。
八の宮は源氏の腹違いの弟、つまり故・桐壺帝の皇子の一人で、一時は東宮(皇太子)に選ばれる可能性もありましたが、零落して宇治に住みながら娘の大君・中の君の姉妹を大事にして暮らしていました。ところが実は、八の宮は正妻を亡くした後、密かに召人と関係を持ったことがありました。その間に生まれたのが源氏物語最後のヒロインの浮舟で、八の宮は浮舟を認知せずに母子との関係を冷淡に断ったことが明かされます。召人だった女性は受領の男性の後妻になり、娘の浮舟は受領の任地の東国で育ちました。

 このように、源氏物語できわだっているのは、召人を繰り返し描く作者の力の入れ具合と、光源氏だけが召人に一貫して温かく接した様子なのです。この書き方から何が言えるでしょうか・・・。

 源氏物語の作者をすべて紫式部だとする多数説から考えますと、やはり彼女自身の階級意識と、女房としての勤務経験や同僚との交流が影響したのではないでしょうか。紫式部の出自は、曽祖父は藤原氏のなかでも娘を天皇に入内させるほど名門の公卿でしたが、その後零落し、父親の為時は漢籍の才こそ評価されていたもののときどき官職を失う、しがない受領階級でした。源氏物語にも式部のそうした階級的な劣等感と、もともとは高貴な家柄だったというプライドがにじみ出ている気がします。中宮彰子の後宮に出仕した後は、周囲の女房が貴人の召人になる例を見聞きしたのではないかと考えられます。召人という、身分は低いが貴人と近く接する特異な存在への強い関心は、こうした式部の出自と体験から出たものかもしれません。(冒頭の画像は紫式部ゆかりの地である京都市上京区の廬山寺にある紫式部像です)

 では、紫式部自身は誰かの召人だった経験があるのでしょうか。自ら書き残した『紫式部日記』や和歌を集めた『紫式部集』、当時の貴族社会の男たちの日記などに直接の手がかりはみつからず、真相は闇の中です。
 しかし研究者の中には、自らの男性との体験が召人についての源氏物語の記述に影響したのではないかという見方があります。
 
 国文学者の木村朗子(さえこ)氏が注目するのは、上にも引いた晩年の源氏が召人・中将の君とやりとりする「幻」の場面です。木村氏の指摘を引用します。

<紫の上の死後、光源氏はどの女君たちにも関心を失い、もはや男女の仲ら
 いは誰とももっていなかった。そんななかで、ただ一人だけ光源氏が夜を
 共にする女がいた。それは紫の上に仕えていた女房の中将の君である。光
 源氏の召人であったその人が、光源氏の最後の女になる。
 『源氏物語』は光源氏の死を描かない。だから中将の君との愛に終わりは
 ない。一人の召人との関係が永遠の愛を得て物語は完結するのである。そ
 れが道長の召人であった紫式部の答えなのである>                  
      (文春新書『紫式部と男たち』木村朗子著より。ルビは省略)

 一方、紫式部日記を全訳するなど紫式部研究で知られる国文学者の山本淳子氏も、式部と道長との関係を「召人」をキーワードに分析しています。
 山本氏は、紫式部が道長を想っていた形跡が紫式部日記や紫式部集の複数の記述から窺えると指摘します。しかしその上で、道長には多くの召人がいて、『栄花物語』などに書かれている召人もいるのに対し、式部との関係は一時的な興味本位のものだったのではないかと推測して次のように記しています。

<……もしも二人の間に関係があったところで、それはかりそめのものだっ
 たろう。当時、主家の男性と男女関係にある女房を「召人」と呼んだが、 
 紫式部は道長の召人にも及ばないものだったと思う。……
 ……紫式部は、「召人にもなれなかった女房」として召人たちの思いを
 すくい取り、物語に綴ったのではないだろうか。>                
    (朝日選書『道長ものがたり』山本淳子著より抜粋。ルビは省略)

 紫式部は日記にすら本心をストレートにさらけ出さない性格だったようですから、自分の経験や思いをフィクションである物語にどこまで忍び込ませたのか、私自身は何とも定めがたい感じがしています。道長と式部との男女関係は無かったと見る研究者もいます。皆さんはどうお感じですか。

 源氏物語に記された召人についての読み方や、紫式部と藤原道長との関係については、近く出版する私の著書『源氏物語 —―生涯たのしむための十二章』(論創社から11月初旬刊行予定)で、より詳しく記しています。そのほかにも、源氏物語の味わい方を幅広く書き込みましたので、ご関心がありましたら読んでいただければ幸いです。

(源氏物語の読み処についてのこのコラムは、来年春ごろまで月2回程度
 掲載します。次回は10月11日にアップする予定です)


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