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ネタバレなしで語るシン・エヴァンゲリオン劇場版:||~アナと雪のOver Quartzer~

「うるせ〜〜!!!!!知らね〜〜〜〜!!!!FINAL FANTASY」
自己紹介はこちらだけどスルーして、どうぞ。

シンエヴァの直接的なネタバレはしない、けど察しがつくようなことは書くのでそういうのすら嫌な人は回避してほしい。
そもそもエヴァに興味ないけどアナ雪かOver Quartzerは好きだぜって人にはまぁ伝わると思う。

と前置き(言い訳)したところで、まずは『アナと雪の女王』及び『劇場版仮面ライダージオウ Over Quartzer』及び『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』、通称『旧劇場版』の話をしたい。

1.雪の女王エルサ・時の王者ジオウの共通性

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2013年、世の中が「レリゴー、レリゴー」やら「ありのー、ままのー」で溢れ返っていたのを知ってますか。

『アナと雪の女王』の『Let It Go』。
May J.が各番組で紅蓮華並みに何度も歌っていた曲自体も、おそらくエルサ(CV.松たか子)が歌っている劇中のシーンも多分1回くらいは聞いたり見たりしてると思う。

「ありのままの姿見せるのよ。ありのままの自分になるの。二度と涙は流さないわ」

「感動大作の主題歌!」としてメディアが持て囃したこの曲だけど、実際に劇中で使われているのは「うるせー! 知らねー! 好きに生きる!!! Let It Go」って感じで、国民のことも家族のことも忘れ自由にさせてもらいますという、ある種の開き直り的なシーン
最近「うっせーわと歌う子供が心配……」みたいな声があるらしいけど、正直レリゴーは「親子で歌おう!」的な風潮だったのにそっちはダメなのが不思議なくらいっすわ。

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次に、「平成」って知ってますか。

「は?」と思った方向けに説明すると、これは『劇場版仮面ライダージオウ Over Quartzer』のクライマックスのシーン(及びジオウそのもの)を指す単語(元号)です。
多分まだ「は?」と思ってる方も多いと思うけど、本当に「平成」もとい


なので、そこは観ればわかるのでこれ以上は置いておく。
この「平成」の直前に「瞬瞬必生」という有名なシーンがある。

「俺もゲイツも、平成ライダーのみんなも、瞬間瞬間を必死に生きてるんだ! みんなバラバラで当たり前だ!」

「20年続いてきた平成ライダーシリーズは(メタ的にも)設定や世界観がメチャクチャで醜いのでリセットする」という敵(演:ISSA)への反論。
お察しの通り「うるせー! 知らねー! 好きに生きる!!! 平成」って感じで、(メタ的にも)それぞれのライダーが頑張ってきた結果だし俺も自由じゃボケェという、ある種の開き直り的なシーン
平成ライダーファンは「盛大な言い訳じゃねぇか!!」と思いつつ「ここまでされちゃ認めざるを得ないわ……」「なんだかんだ平成って楽しかったよな」「サンキュー平成、フォーエバー平成」となった(この映画が公開されたのは令和になってから約3か月後だが)。

この良作な両作に共通しているのは「他者に決定づけられる自己ではなく、自身で決めた/願った自己の在り方を大切にしよう」というテーマ、と勝手に理解している。

ところで、中学か高校くらいの国語(現代文)で多分一度くらいは「人は人との繋がりの中で自己を決定する」とか「他者との関係性によって自己が形成される」的な感じの文を読まされたことがある……ある? よね??
「人=ただそこにいるいち生物と人間=社会の中で生きる存在の違い」、的なものを取り上げているフィクションもそれなりにあると思う。

「さっきの2つの作品のテーマと相反してるように見えるけど……」と思うかもしれない。
だけど実際は、「他者との関係で自己が決定される」という前提があって、それに嫌気というか疑念が生じ、社会的・世界的反抗心が高まった結果生まれたのが「レリゴー」であり「瞬瞬必生」……
さらにもっと遡れば『旧劇場版』だと思う。

2.ATフィールドとはなんなのか

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エヴァを知らない方でも「ATフィールド」は聞いたことがある……ある? よね??
これは劇中で言われているように「心の壁」であって、さらに「自他の境界(を維持するもの)」としても有名だ。

哲学的な問いに「自分と他者はどうやって区別されているか?」って感じのものがある。
「なに言ってんだおめぇ」と真顔になるかもしれないが、そういう問いをするのが哲学という学問なのでしゃーない。
肩の力を抜いて、何故「なに言ってんだおめぇ」と思ったのかを考えてみてほしい。

「自分と他者が別々に存在してるから」という答えがある。
まぁ言われてみればそりゃそうなんだけど、では「自分と他者が別々に存在しているってどういうことを指すのか?」と問うのが哲学の世界。

「物理的(肉体的)に別々」とか「心(思考・精神)が別々」とか「人生(歴史)が別々」、それ以上突っ込まれても即答はできないけどなんとなくの答えが思い浮かぶと思う。
エヴァにおける「ATフィールド」とは、そういった人々がなんとなく理解している「自他の境界」をわかりやすく表現したものだ。

さらに、「まず自分と他者がいて、それが別々の存在だから境界が生まれる」のか「境界があることによって自分と他者を区別できる」のかという、卵か先か鶏が先かワンダーエッグがプライオリティかという議論もある。ステマです。
エヴァでは後者の案を採用しているように見える。

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たとえば、今僕とあなたがハイタッチしようとしたとして……このご時世ではエルボータッチの方がお好み?
そういうことして、パァンやガシッとならずパシャっと溶け合ってしまったら?
あるいは、今僕とあなたが考えていることも感じていることも全て同じだったら? 見えているもの聞こえているものすら同じだったら?

『旧劇場版』クライマックス、いわゆるみんながパシャっていくシーン。
「アンチATフィールド」の広がる人類補完計画(の実行過程)とは、文字通りこの自他の境界をなくすことを指している。
なんのために……というのは、その真意ではないが後で触れる。

『旧劇場版』で碇シンジきゅん……失礼、碇シンジくんは「他者を拒絶する=ATフィールドを展開させる」ことで自他の境界を保ち(再設定し)、最終的にあの渚へ同じく他者を拒んだアスカと共に帰ってきた。

おかわり……いただけるだろうか?
失礼、おわかりいただけただろうか?

ありのままの姿見せて瞬間瞬間を必死に生きてるエルサとジオウ。
そう、彼らもあの瞬間「ATフィールド、全開!!」だった訳である。

3.リアルと合わせて考える人類補完計画

中学か高校くらいの国語(現代文)で多分一度くらいは、某バーガーチェーン店をネタに「画一化されていく世界」的な感じの文を読まされたことがある……ある? よね??
義務教育を受けている……受けていた? よね?? の間に、あるいは社会問題として「没個性社会」というものを感じたり聞いたりしたことがあると思う。
これらは文化という面やら能力や性格的な面で「自他の差がなくなる(なくされる流れがある)」ということの問題を提起する場合に使われる。
すなわちある種の「アンチATフィールド」だ。

「いやグローバル化とか学校教育とか自分にはどーでもええわー」
という方でも感じ取れるアンチATフィールドがある。

「他者との関係で自己が決定される」というのは、ATフィールドの展開を示すのと同時にアンチATフィールドの展開も指している。
これも心理学上ではよく言われていることで、人はほとんど他者のルールに合わせて生きている
たとえば、街中を歩いていて急にすれ違った人に刺される……なんてことを一々心配しないのは、「人を刺してはいけません」というルールを自分も他者も守っていると、互いに無意識レベルで理解しているから。
素っ裸で街中を歩いてはいけませんとか、お店のものを対価を支払わず持っていってはいけませんとか……そんな感じで人は法・モラル・マナー・文化といった共通認識を持つことを前提とされる。
最近で言えば、外食や旅行の自粛とかマスクの絶対着用とかに必要性を理解していてもうんざりしてしまうことがあると思う。
ATフィールドにより自他を区別することと同時に、(人間)社会においては協和性や同調性も必要とされる。
シンクロを求められる=自他の差がなくなることを求められる=アンチATフィールド、という訳だ。

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ところで、厨二病って経験したことある……ある? よn、オイなに目ェ逸らしてんだ照れんなよ。
第二次成長期というか思春期におけるあの「私は特別な存在」という感覚は、他者から押し付けられる協和と同調への反抗=ATフィールドの展開であって、発達段階において自律した自己の形成のために踏むべきステップなので全く恥じる必要はない。
でも多分その時期どんな奇行に走ってたかはあなたの胸の中にしまっておいた方がいい。

しかし、そういったATフィールドとアンチATフィールドのせめぎあい自体が面倒に思えることもある。
「どうしていつも思いを正しく伝えられないんだろう」と悩んだり、「これだけ言ってるのにどうして理解してくれないんだろう」と悩んだり……。
偏見や差別や先入観やすれ違いや勘違いや……自分と区別された他者という存在自体が煩わしく思える瞬間は、いくらでもあると思う。

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もしその煩わしさを拗らせ続け、極限までいってしまったら?
「他者の存在を全て消してしまえばいい」という考えに至る場合もある。
それは「自分以外の全てを駆逐する」ということでも叶うが、「自分と他者の境界を完璧になくす」ことによっても叶う。
肉体・精神、全てが同一ならそこにいざこざは生まれないのだから。
「アンチATフィールド」の広がる人類補完計画の目的……いや目標がここにある。

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碇シンジくん14歳は思春期真っ只中。
エヴァに乗れだのエヴァに乗るなだのバカだのガキだのなんだの。
彼もまた他者の存在をうっせぇわ! と感じていた側だけど、その苦しみに対し採った手段は「イヤフォンをして外界のノイズを遮る」というものだった。
彼にとってアレはATフィールドであり、だからこそパシャって全てがひとつになっていく中でも他者を拒絶できたのだ。

あ、「外界のノイズを遮る」って話ではヘッドフォンだけど、エヴァと同じくらいファンを待たせたどころかファンですら夢幻と思っていたアニメ版が4月から放送される「すばらしきこのせかい」の桜庭ネクもそうですね。ダイマです。

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『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』『アナと雪の女王』『劇場版仮面ライダージオウ Over Quartzer』と、あるいはもっと多くの作品で「他者に決定づけられる自己ではなく、自身で決めた/願った自己の在り方を大切にしよう」というテーマが扱われたのは、先に挙げたように画一化されていく社会や同調圧力の強まる世の中に対し、本来思春期で解消されるハズだった反抗心が燃え続けるからだと思う。

会社の中で、学校の中で、日常の中で。
有名人のように輝いている訳でもなく、フィクションのようにカッコイイカワイイ存在になれている訳でもなく。
「はぁ~、異世界に転生してチートスキル持ってハーレム作りてぇ~~~」
とか思いながらでも、なんとか好きな物だったり好きな事だったり好きな人だったりで自己を保っている人々。
彼らもまた時の王者たるジオウ、雪の女王たるエルサ、エヴァンゲリオン初号機パイロット碇シンジと同じように、ATフィールドを展開して懸命に抗っているのだ。

4.で、シンエヴァなんだが

ここまで長々書いておいて!!
『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』においては!!!
「ATフィールド展開できてよかった。ありがとう母さん。さようなら父さん。やっと自律できた自分に、おめでとう」
では終わらなかった!!!!!!!!!

ありのままの姿を見せ、瞬間瞬間を必死に生き始めた碇シンジきゅん……いえ碇シンジさんは!!!
ただ自分が他者をしっかり拒むことだけでなく!!!!!!!!
遂に、遂に……!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


というところでネタバレはしないって約束を守ろうと思う。
思うのは、何年もアニメーション及びフィクションの前線を走っているディズニーや四半世紀シリーズを続けた平成ライダーがこうであったのだから。
そしてもちろん映像のクオリティ的にも。

観る前「何年掛けてんだよいい加減にしろ💢 💢 💢 💢 💢 💢 ⚓」
観た後「たった9年で作ったのか? たった25年でこの極みへ辿り着いたのか???」

となりました。
3時間弱の上映時間が長いと話題ですが、体感25年です。

おそらく金ローとかのテレビ放送やBlu-rayなどでは、劇場で観たあの体験は二度とできないと思うので、マジでこれはこう……エヴァを体験してみてほしい。ダイマです。

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