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李兎煥展 兵庫県立美術館「余白の存在感」

展示されている「モノとモノ」の作品群をみていたら、
質量はエネルギーを生む。エネルギーは質量に拠っている。  E=mc²
学生時代に習った物理の公式を思い出しました。

「物と言葉 改題 関係項」   壁にあって床にない。床にあって壁にない。

白い大きな矩形の物体がぼんやりと白く光り、存在感を静かに放っている。その存在感がエネルギーになって、物体の壁から床に移動する軌跡が描く空間に、何かあるような感じを起こさせる。

「関係項ーサイレンスー」    両者の間の空間が濃密

白いカンバスと石が向き合っている。その間の空間に、両者がお互いのエネルギーを、見えない無数の矢のように送り合っている。
他にも、石のエネルギーで向かい合った重い金属の端が少しまくれあがっている。あるいは少し削れてしまったように見える作品があった。

関係項

棒状の鉄と石。見た目は冷えて固まっているが、両者の接触面で絶えずエネルギーが熱く交換されているのではないか

「関係項」 ガラスと石

関係項というタイトルから、またまた勝手に連想して、中学校の数学で習った、共通のものを前に出してカッコで括るという作業を思い出した。 
重い( 割れやすい × 堅牢 )
重い( 四角い平面 × 丸いかたまり ) 
重い( ツルツルで透明 × 凸凹して混濁 )  なんてね。

絵画作品では「対話」が一番、印象に残りました 

対話

※以前に、「#小さな美術館の学芸員」さんのメンバーシップ「#大人の美術研究会」掲示板にて、同じコメントをのせています。

 私にはこの描かれているオブジェが、一個のヒトや国に思える。
色のグラデーションがそれぞれの思想や行動で、白い部分は共通しているので、そこでは分かり合える。しかし、色の濃い部分は相反していて、どうしても分かり合えない。理解し合おうとお互い向き合って対話しているものの、間には白い空間が存在し、歩み寄ることはできそうにないのである。

国立新美術館(東京)との違い

新国立美術館(東京、2022/8/10-11/7)開催の方にも足を運んだが、
幾つか展示作品に違いがあった。
 一つあげると、東京の方では、屋外展示でフランス ヴェルサイユ宮殿であった作品のミニ版「関係項 - アーチ」が観られたのがよかった。

 兵庫では、フランス ラテューレット修道院での作品「関係項 – 棲処」が屋外展示であったことが、とくに私には好みだった。

「関係項 – 棲処」
上を見上げると空が見えた

 足元には存在感のある、割られた黒い石板が敷き詰められている。それらを一生懸命、踏みしめて歩きながら、ふと気を抜いて、上を見上げると建物の壁に四角に切り取られた青空が見えた。その空間は無限に上方に続いている
濃度の高い物質が放つエネルギーがしだいに、粒子が小さくなって、最後は気体になって上空に放たれる解放感。

建物の大階段を上ったところ ガラスの柵がある

建物の外から撮影。私の身長では柵が高くて下を見下ろすことはかなわなかったが 、この下方に作品「関係項 棲処」があるようだ。

港とハーバーハイウェイの高架がみえる風景

左の物体は「青リンゴ」のオブジェ
 

 展示会場全体の「余白」に満ち満ちたエネルギーで、頭がパンパンになってしまった。館外に出たら、海がすぐ近くに見えた。
しばらく、建物の周りをめぐり、冷たい海風でクールダウン。

エッセイ集 1987年までに発表された文章をまとめたもの

鑑賞した作品を踏まえつつ、エッセイ集「時の震え」李兎煥著 みすず書房 をこれから読みます。

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