【ドクター・ストレンジ/MoM感想文】126分間の丁寧な推しの●●※ネタバレあり
2022/5/4に公開されたマーベル最新作「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」、私は公開初日に観に行った。ディズニー+での配信ドラマ・アニメの内容を受けての映画は初ということもあり、期待と不安に胸を躍らせ高鳴らせて。
そうして、体感5分の126分間を経て私が感じたのは。
「これ、126分間かけて行われた、丁寧な推しの●●じゃん……」
※●●はネタバレになるのでこの後に記載。
ちなみに、私がここで言う「推し」は、ドクター・ストレンジのことではない。そのため、この感想文はドクター・ストレンジ以外の登場人物に注目してボロボロになりながら書き綴られた内容だという点を、ご了承いただきたい。
※この後、感情ぐちゃぐちゃの本文が始まります。ぐちゃぐちゃだったので、公開までこんなに時間がかかりました(鑑賞日は5/4、本記事公開は5/23)。
「ドクター・ストレンジ/MoM」以前のマーベル作品のネタバレ、東京・六本木の森アーツセンターギャラリー開催「アベンジャーズ展」の画像も含むので、不安な方は閲覧をお控えください。
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丁寧な推しの●● ※ここからネタバレ有
さて。
私は既に、マーベルで多くの推しを失っている。ロキもナターシャ・ロマノフ/ ブラック・ウィドウもヴィジョンも、エターナルズのギルガメッシュも死んだ。
あんなにたっっくさんヒーローが居るのに、どうして悉く私の推しが死んでいくのか……。私は自分の死神性質(※推しを推すと推しが死ぬ)を恨んだ。ピンポイント過ぎやしないか。
私は心の中で何本ものお線香を灯し、お焼香をしながらマーベル映画を見守ってきたわけだ。
しかしワンダは生きている!!きっと「ドクター・ストレンジ/MoM」では、ストレンジ先生とすったもんだの末に共闘して、よい未来を切り開くに違いない! やったぜ、推しの時代だ!!!
私にも、そう思っていた時期がありました。
ありましたよ……。
……葬式じゃん。
126分間の丁寧な推しの葬式じゃん……。
これが、「ドクター・ストレンジ/MoM」体感5分の126分間を経て私が感じたことだ。
推しの人生を振り返る
よく考えてみて欲しい。ワンダの人生を。
10歳で両親を失い、ヒドラで特殊能力を得てしまい、その後スターク打倒のためにウルトロンに協力。結果として、唯一の家族である双子の弟・ピエトロとは目の前で死別。ヴィジョンと少しだけの間恋をして、彼もまた目の前で失い……(おのれサノス)。
ワンダがただ願う「普通の幸せ」は、彼女の力によるお人形遊び(ドラマ「ワンダヴィジョン」)の中でしか叶わない。
こんなのってある……?
どうしてこんな人生で、最後に一つも報われないのか。彼女は幸せになれなかったのか……。彼女が願ったのは「幸せなごく普通の家族として息子たちと暮らすこと」。それだけだったのに。
ドラマ「ワンダヴィジョン」の作中、彼女は2日で双子を出産している。お腹がいきなり大きくなって、なんか知らんけど気付いたら双子が生まれた。
この出産の流れは、単なる魔術による奇跡と言って見逃してもいいけれど、成人女性が考える出産としてはあまりにも稚拙だ。
もちろん、苦しまずに産めるならそうしたいというのが多くの女性の願望だろう。しかしそれ以前に、もしかしたらワンダは、出産とはどういうものなのか知らなかったのかもしれない。“なんかお腹が大きくなってポンと生まれる”その程度の知識しかなかった可能性がある。
なんて苦しい人生だ。
彼女の生い立ちと不自然な出産を組み合わせると、ワンダは“普通の子ども”が“普通に生きている”と得られる知識や情操教育の機会を、すっ飛ばしている可能性が高いことは想像に易い。
つまり彼女は、命の神秘や現実、自分の心の守り方、そういったごく自然でありふれている、だけどとても大事なことを知らずに育ってしまった。それが「ワンダヴィジョン」や「ドクター・ストレンジ/MoM」を通して、白日の下に晒されたわけだ。
見た目も年齢も大人、そして世界を揺るがす力を持っている。だけどワンダの心は子どものまま。そんな彼女がボロボロになりながら自分や世界を壊し、「ごく普通の幸せ」を求める様は涙なしには見られなかった。彼女の叫び声は、発せられる力は、居場所を求めてさまよう子どもの泣き声と変わらない。
マーベルと闇落ち
更に輪をかけて苦しいのは、ワンダがスカーレット・ウィッチになってもなお、完全な邪悪に染まり切れなかったところ。彼女の中にある善性が、愛情が、彼女を完璧な闇に導いてくれなかった。
いっそのことソーとロキの姉・ヘラ並みに、邪悪でいられたら。自分の力を振るうことを楽しみ、笑いながら殺戮が出来たなら。ワンダも少しは、楽に生きられたのかもしれない。
どれだけ強大な力を持っていても、ワンダはずっと苦しそうな表情ばかりを浮かべていた。「ドクター・ストレンジ/MoM」で心から楽しそうに笑っているのは、夢の中のワンダ、または私たちが見て来たのとは違う宇宙のワンダだ。
マーベルの世界で闇落ちすると、復帰までの道のりはあまりに険しい(それは現実世界でも同じか)。ウィンター・ソルジャー/バッキー・バーンズくらい映画の尺を使わなければ、完全なるヒーローとしての復帰は難しい。
平たく言うと、映像作品として時間をかけてもらえない登場人物は、闇落ちすると退場するしかない。
なにそれ、辛い。
往生際の悪いオタク
せめてもの救いを挙げるとするならば。別宇宙のワンダが、スカーレット・ウィッチが心の奥に仕舞い込んだ善性の塊であり、ワンダの理解者であり、そして「私が(息子たちを)愛します」と頬に触れてくれたことだった。
この、”自分が自分を救い出す”構図、私は大好きだけど同時にとても切なくなった。ワンダは結局、自分に手を差し伸べてくれるのは自分だけだと思ってしまったんじゃないか。それは、別世界のワンダも同様に。
だけどその分、別宇宙のワンダは、スカーレット・ウィッチの心にある孤独や善性を知っていた。もしかしたらそれは、別宇宙のワンダが人生で乗り越えたものだったのかもしれない。
それでも、私たちが見て来た世界のワンダは一人で死んでいく。自分の役割は、価値は、本を封印することだけ。そう判断して岩に埋もれていく。
もう切なくて苦しくて、私はぼろっぼろに泣いた。
もし、ヴィジョンが亡くなった後に誰かが手を差し伸べていてくれたら。ドラマ直後のタイミングで、誰かがワンダの家を訪れてくれたら。彼女を孤独から救い出してくれたなら。彼女の未来は変わったんだろうか。
いずれにせよ、この宇宙ではそんな彼女の姿は見られない。私が好きになったワンダ・マキシモフは、自分を止めに来たストレンジ先生が遠巻きに眺める中、自らを封印してしまった。
この状態、日本の伝統芸能である能や歌舞伎でよく見かける、“狂った女とそれを止める男”の構図にそっくりだ。つまり悲しいかな、いつの時代でも国でも、物語の中で女は狂えば救われずに死んでいく。
いい加減にしてくれ、こんなの辛すぎる……!
いや、まだ遺体を見てないから諦めない。ちょっと瓦礫の中で眠っただけで、そのうち目を覚ますかもしれない。
心の中で、両手に溢れんばかりのお線香を握り締め、轟々と燃える煙の中で私は誓った。
私はワンダを諦めないぞ。諦めないんだからな……!!!!
そう言えば、この映画の主人公は
そう言えば、「ドクター・ストレンジ/MoM」の主人公はドクター・ストレンジだった。
この映画は、先生の成長物語だったなと思う。「全宇宙の君を愛してる」って、自分の宇宙のクリスティーンに言えたらよかったのに。
ところで、ベネディクト・カンバーバッチファンの方は、ゾンビ・ストレンジ先生をどんな気分でご覧になっていたのだろう。私はあの怪演を見ながら、ナショナルシアターライブ「フランケンシュタイン」で怪物役を演じた彼を思い出した。本当に、いい俳優だと心の底から思う。
だけどストレンジ先生。素人がジャガールクルトの時計を修理するのには無理がありますよ。(私は時計大好き人間でもある。)
それから、「ドクター・ストレンジ/MoM」が「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」から見てどの時系列なのかわからないけれど、どうして先生は「スパイダーマンが云々」という台詞を口にしていたんだろう?
「スパイダーマン:NWH」以降であれば、ストレンジ先生もスパイダーマンのことは忘れてしまったはずだ。もしかして、一人ぼっちになったピーター・パーカーがまたスパイダーマンとして活躍してる? それとも、この映画が単純に「スパイダーマン:NWH」より前というだけだろうか。
1週間後にとどめを刺されるオタク
とにかく私は、「ドクター・ストレンジ/MoM」を126分間の丁寧な推しの葬式だと思って見守った。
そのとどめとなったのは、その翌週に足を運んだ「アベンジャーズ展」で対峙したこのブース。
お焼香コーナーじゃねえか!!!!!!!!
(「エイジ・オブ・ウルトロン」、マーベル映画の中でも特に好きです。)
これからも、私はマーベルを応援します。感情ぐちゃぐちゃな時間をどうもありがとう、ありがとうマーベル。
タイトルが最高にダサくて最高な「ソー:ラブ&サンダー」の公開も、今から楽しみにしています。
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© 2022 Aki Yamukai