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益田ミリ「一度だけ」(小説)*読書感想文*
ちょっとしたことがきっかけで気持ちがふっきれる。
そんな母、叔母、姉妹の心模様が印象的だった。
隣の家の木が切られ、借景がなくなり、それを機にキッチンをリフォームをすることにした母淑恵。
介護の仕事でプライドを傷つけられ、承認欲求を満たしてくれる転職の話に乗ろうとした弥生は、結局自分の現実を受け入れた。
実家がリフォームされたことによって、もうそこは自分の家ではないと悟ったひな子。
ブラジル旅行を終え、自分の人生を振り返り、「あとは野となれ山となれ」という心境にたどり着いた叔母清子。
きれいごとではない弥生とひな子姉妹の心もようの描き方は秀逸。どうにもならない中途半端さだったり、虚栄心だったり、承認欲求だったり。
そして訪れる「気づき」。それはちょっとしたできごとの積み重ねの先にある最後の一滴なのかもしれない。
印象的だったのは、弥生の気持ちを表わした
なんだか、くたびれたのだった。
人をあてにする生き方に、ではなく、自分をあてにできないような生き方に。
という言葉。
きらきらした仕事を夢見て、どこかプライドを持てなかった現実に引き戻された時、弥生は自分への期待をできなくなりそうだったと思う。そんな時に、今の自分を褒めてくれる直子の言葉に救われたのかもしれない。
弥生は人に期待するような生き方をやめようと思った。それは諦めのようでもあるが、その後につづくことばで、自分に期待することを諦めない姿勢を示した。ある意味弥生は、やっと精神的に自立できたのではないだろうか。
それぞれいろんな思い、できごとがあっったわけだけれど、ある時に、気づきが訪れる。そしてその気づきは何かの呪縛から解き放たれる瞬間なのではないか、と問いかけられているような作品のように感じられた。
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