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報酬なき世界で「生きる」ということ

突然ですが、「アンダーマイニング効果」を知っていますか?

ある行動に対して報酬を与えた結果、かえってその行動に対する意欲やモチベーションが低下してしまう現象のことです。

例えば、元々楽しんでいた趣味に報酬が伴うようになると、その趣味に対する「楽しさ」という内発的な動機が薄れ、「報酬を得る」という外発的な動機に置き換わってしまうことがあります。

学校でも、会社でも短期的な成果を上げたい時、外発的報酬を用意します。その結果、内発的動機が薄れ、何のために何をやったらよいのか、報酬以外でわからなくなります。

2024年の日本はアンダーマイニング効果の影響で本来なにがやりたかったのか(内発的動機)がわからなくなってしまった人が多いように感じます。

この状況から回復するためには、一旦報酬を忘れることです。

報酬無き世界で私たちはどのように生きて行けばよいのでしょうか?そもそも、「生きる」ということはどういうことなのでしょうか?

「思考」の後にでてきた「責任」のある「断定」という「答え」。これを熱源にして体という機械を動かす。僕はそれが「生きる」ことだと「断定」している。

独立国家のつくりかた、坂口恭平、p.172

この完全な自己責任による人間と事物とのコミュニケーションに快楽を覚えたとき、つまり「ひとりあそび」を覚えたとき人間は孤独であるからこそ開く扉を通じて世界に関与できるのだ

庭の話、宇野常寛、p.223

これからみなさんは何か登っているのか、落ちているのかわからないような状態、うまくいっているのかいっていないのかわからないような状態、成功しているのか、ただ、ぐずぐず停滞しているだけなのかわからないような状態。そんな時間をすごく長く過ごすことになると思うんですね。(中略)何がいいことで、何が悪いことなのかわからないような状態に耐えることこそが、生きることなのではないかなという気がしています。

令和4年度バンタン卒業式 祝辞スピーチ、成田悠輔

自分の責任で報酬によらない答えを見つけていく。それは内発的な動機にもとづく快楽を感じる楽しいことでもあり、決して無視できない外発的報酬(承認や収入)が伴わない可能性を受け入れる厳しいことでもあります。

「生きることは楽しくもあり、厳しい」というありふれている、だけど忘れがちな性質を思い起こしています。

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