命日、スメタナを想う
5月12日。1884年のこの日にスメタナは60年の音楽家人生を終えた。
136年前の出来事だ。ふとそれを思い出したので、スメタナの室内楽について書きたいと思う。
ベドルジハ・スメタナはチェコを代表する作曲家で、指揮者でありピアニストだった。今でこそ作曲家として名高いが、彼のキャリアのスタートは天才ピアニストからだった事はあまり広く知られていない。
スメタナが生きた時代、チェコは独立への切望の中にいた。長くオーストラリアの支配下にあった反動から、国民は祖国への愛を強く持つようになる。それは様々な分野に影響し、故郷愛に溢れた国民性を育てたと言えるだろう。音楽も例外ではない。スメタナは音楽家達の筆頭に立ち、国民のための音楽を確率させた。今ではチェコ音楽の祖として広く知られている。
スメタナは、生涯で弦楽四重奏曲を2つしか残していない。彼は主にオペラや交響曲、そして自身のピアノに力を注いでいた。有名な「モルダウ」や「売られた花嫁」などは彼の苦労の末に生み出された作品だった。早くから音楽的才能は認められていたがあくまでもピアニストとしての成功を望んでいた彼は、作曲家としては遅咲きだったのだ。また、生きた時代も国も政治運動の渦中だった。
彼が評価されたのは創造性よりも、若い音楽家達への教育力。彼の、ピアノ教師、指揮者としての指導力は素晴らしいものだった。生徒の中には当時ヴィオラを弾いていたあのドヴォルザークも居た。後にスメタナと同じくチェコを代表する作曲家となる人だ…羨ましい、私もその時代に生きて居たかった。
・・・
弦楽四重奏曲第一番を書いたのは1876年。スメタナ、52歳である。
これまでの人生は決して明るい時ばかりでは無かった。家族の死や、評論家からの厳しい批判、何より政治運動の波に飲まれたプラハは、スメタナにとっては灰色の世界だった。教育者として、そして一時的なピアニストとしての名声も落ちていった。そして精神的にも身体的にも病に犯されていたスメタナは完全に聴力を失う。
プラハを離れる理由は十分だった。
ヤブケニツェという穏やかな田舎に隠居したスメタナは、この弦楽四重奏曲をわずか2ヶ月で完成させた。副題は『わが生涯より』。自伝的な内容のそれはものすごく魅力的な作品である。
チェコの至宝、スメタナ四重奏団の演奏だ。だめだ、素晴らしすぎて語彙力がなくなる。
堂々たるホ短調の和音で、スメタナの生涯の寸劇が幕を開けるのである。
第一楽章の冒頭、ヴィオラのメロディは一体何を語っているのだろうか。スメタナ四重奏団のミラン・シュカンパの唯一無二の名演を見て欲しい。ヴィオラにしては高音域のメロディは悲痛な響きだが、どこか勇気と思い切りの良さ、そして隠れた幸せが感じられる。私は、生涯の寸劇の結論が一番初めに堂々と語られている気がしてならない。彼の身体と精神はとっくに侵されていたが、無意識に幸福を感じていたのではないかと…そう願ってしまう。
二楽章は印象的なポルカ。まるで遊園地のような、ワクワクに溢れた若かりし日々。激しやすく音楽に全ての情熱を注いでいたスメタナは恋をした。一気に色濃くなった人生は、まさに曲に現れている。彼の現存する楽曲の中でもっとも初期の先品もポルカだ。『ルイサのポルカ』、ルイサは初恋の相手だった。若かりし日々、彼は素晴らしい恋と友人に恵まれた。後に妻となるカテジナとの出会いや、音楽に情熱を注ぐ仲間たちとの交友は彼の人生に彩りを与えた。きっと、幸せだった。スメタナ四重奏団の演奏を聴きながらこれを書いているが、私は今泣いている。今20代の私には、スメタナの彩り豊かな世界が今まさに目の前にあるものだからだ。だからこそ感じる、彼はとてもとても幸せだった。
三楽章。チェロの、暖かい独奏で始まる。
これは、もう。スメタナが語っているのを、そのまま聞いているようだ。スメタナは多くの死別を経験した。愛する妻と子供達を病気で、深い友情で結ばれていた友人達は、政治活動に命を捨てた。数々の別れは僅か数年のうちに起こり、スメタナの心を蝕んだ。この楽章は、嘆きと回顧、褪せることのない想い出に満ちている。寄せては返す波のような音符はスメタナの心を表しているのかもしれない。
四楽章、なんと爽やかな疾走。まさしく人生。人生は呆気なく過ぎ去ってしまう、本当にあっという間の出来事だったと感じさせる楽章だ。そしてユーモアと、生きる歓び、スメタナの作品全てに通ずる魅力が詰まっている。
疾走し、現れる回顧、そしてこの楽曲の最も特徴的な"耳鳴り"…第一ヴァイオリンが突然弾く高音のミの音は、彼の失聴の始まりを表す。そして一楽章のメロディが悲劇的に現れ、また回顧。物悲しく、哀愁に満ち、彼の寸劇は落ち着いていく。チェロの寂しげな独り言はヴィオラに変わり、最後の最後にヴィオラが明るい和音へと変える。確実に終息へと向かう彼は微笑んでいたのだ。良い、人生だったのだ。
なんと素晴らしい作品だろう。
スメタナ四重奏団の名演は、スメタナの代弁者のごとく心に語りかけて来る。私は今ボロ泣きだ。
スメタナがこれを書き終えてから、初演まで二年かかった。技術的に困難であり様式的にも欠陥があるとされ、演奏の引き受け手がなかなか見つからなかったからである。しかしやっとの思いで漕ぎ着けた初演は素晴らしい縁があった。ヴィオラ奏者はあのドヴォルザークだったのだ。もし私がその幸運なる奇跡を目の当たりにしていたら多分その場で失神していただろう。チェコの音楽を変えた2人の運命は交差していた。
スメタナの弦楽四重奏曲第一番は、わかりやすく物語性を持っている素晴らしい作品である。彼の人生に想いを馳せるにはとてもいい題材だった。
そしてもう1つの作品、弦楽四重奏曲第二番については次回書きたいと思う。
スメタナはいつでも暖かな愛に満ち、いつでも心に寄り添っている。